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にゃむ❤️の『看護まがじ〜ん』

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30年以上、自分のスタイルでやりたい看護を自由にのびのびとさせて頂いています。緩和ケアや認知症に関する記事が主になるかなぁと思います。
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#介護

ナースが逝く

ルミさんは、「このワゴンを片付ける仕事があってよかった!」と言われた。 このワゴンというのは、彼女の部屋にある医療的処置をする為のガーゼやテープ、点滴などの物品が整理されているワゴンだった。 この聖域は、自分にしか管理できないということを周りに主張しているようにも見えた。毎回、なぜか微妙に位置が変わっており、「ガーゼはどこにありますかねぇ?」と伺うとちょっと嬉しそうに「ガーゼはね、ここよ」と教えてくれた。 後にご主人から「ちょっとせん妄状態みたいで夜になるとずっとワゴンの整

一晩だけ

神さまは 一晩だけ 家族の待つ家に 彼女を 帰らせてあげるねと言った そして ニ晩目を迎える前に 約束の日だね・・・って 天使たちが迎えに来た 最期に 地球の空気を 小さく吸い込んで 動きを止め やわらかな光を放った ……⭐︎ 働き者で 元気いっぱいの楽しい彼女のまわりには 沢山の親族が囲んでいた この人たちにとって どれだけ大切な人だったのか お元気な頃を知らない私たちも 容易に想像ができた 意識もかなり薄れている状態で ようやく瞬きでYe

お風呂の一場面

久々に看護のお話。 90歳代の一人暮らしのちえさん宅に訪問に伺った。 初回の契約の際に一度お目にかかり 2回目の訪問だった。 初回は、3人の看護師で伺った。 その時、私は記録など雑務担当していて ご本人やご家族とお話するのは あと2人の看護師が行っていた。 その後、代わる代わる4〜5人の看護師が 訪問していた。 訪問に伺った全員の名刺を見ながら 忘れないように復習をされていた。 私が訪問したのは1ヶ月以上前なのに とてもよく覚えていらっしゃった。 あまり喋らなかったか

誰かを撫でていたらこちらが心地よくなってきた話

久々にナルおばぁちゃん(80歳代後半)のところに訪問した。 ナルおばぁちゃんは、お子様はいるのだけど一人暮らし。 神経難病の為、歩行に支障がありながらもゆっくり伝い歩きをしながら生活している。時々転んで擦りむいているけどお子さんに怒られるから内緒にしとおいてと内緒でカットバンを貼る。 前回訪問したのは数ヶ月前。その際には田舎の妹さんにお菓子を送ってあげるんだと言い畳の上の段ボールの中にたくさんのお菓子を詰めていた心優しいナルおばぁちゃん。ご自分の生活もままならない中で妹さ

認知症のかたの保清(おふろ等)ミッション💫

最近は、看護の記事をほとんど書いていないことにふと気づいた。 ここら辺で久々に日々の看護の中のエピソードを少しばかりお届けしたいと思う。 訪問看護の仕事は多岐に渡っている。ご自宅で人工呼吸器をつけているかたの全身管理・ケアなどもあれば褥瘡(床ずれ)や創傷などの処置、PEG(胃ろう)の管理、バルンカテーテル交換、高カロリー輸液の管理、点滴、注射、血糖測定、吸引、リハビリ、浣腸、摘便、ターミナルケア…と所謂、医療的な処置。 そして、医療的な処置とは別に保清ケアなどもある。

コ・ウ・カ・イ(後悔) / あの時が最初で最期になるなんて・・・

“1時間半”・・・。 彼と一緒に居たこの1時間半が、最初で最期になるとは思わずあの時間を過ごしていた。 彼は、50歳代の独身男性の剛(つよし)さん。 薄暗い部屋の中でも彼の中肉中背の体が黄色く(黄疸)見えた。 そして異様なほどの大きなお腹(腹水)をみれば、“がん”が、彼の意思に反して体を占領していることが一目でわかった。 受診した時には、既にエンドステージの状態だった。 ついこの間までバリバリとサラリーマンをしていた彼が、この短い期間の中でこれだけの体の変化を簡単に受け入

コロナ禍での看取りのヒント〜逢えない愛する家族への工夫をシェア〜

【はじめに】2020年1月から日本でもコロナ感染の報道が始まり、はや1年4ヶ月が経った。感染リスク回避の為、病院の中での「面会」や「看取り」の事情も大きく変化している。訪問看護の中でもコロナ禍においてもたくさんの看取りがあった。 看取りの場は、大きくは、「病院」か「施設」か「在宅」に分かれる。介護者のマンパワー不足であれば、ご本人が家で過ごしたいと思ったとしても叶わないこともある。それぞれの家族の事情や環境によって選択が変わってくる。 それに加えて今はコロナ禍。病院や施設で

届け!海の向こうの家族に 〜コロナ禍での看取り 第2弾〜

<はじめに>コロナ禍の看取りの第2弾となる。第1弾の記事はこちら。 前回の記事にも書いたように感染予防という観点で、家族の人生の最期なのに逢えないというケースもよく伺う。当たり前のように諦めなくてはいけないことになりつつある。最期の瞬間を見届けることも辛いことではあるけれど、逢えないことは、もっと辛い。今回は、海外在住のご家族がいるかたのお話をしようと思う。 国内でも中々、家族に逢えない状況の中、海外に住むご家族にとっては、大きな苦しみではないだろうか。 <アキラさんのこ

きっかけは、2人のドクター

<はじめに>私が、彼らのことを職業的な「ドクター」としてというよりも1人の「人」として見るようになったきっかけがあった。 多分、2人のドクターがあの瞬間、生身の姿を見せてくれたおかげだと思っている。 そのきっかけをもらってから私の看護師人生の中でのドクターの見方は、人とはちょっと違ってきたのかもしれない。 元々、職業のプロフェッショナルな部分にはとても興味があるけど、職業的なカテゴリーにはあまり関心がなく、むしろその職業という殻の内側に興味津々の私だった。 ドクターに

認知症/「忘れん坊だけどなにか?」って世界になればいいな

昨日、久しぶりに朗子さんの訪問に行った。 今日は、朗子さんとお散歩に行った時のことをちょっと書いてみようと思う。 朗子さんの病名は、アルツハイマー型認知症。 私たちは、受け持ち制ではないので、訪問がしばらく開いてしまうことがある。1年ぶりに会った朗子さんは、1年前とそれほど大きな変化はなかった。 4年前に訪問が始まった頃から私たちの顔も名前も覚えられない状態だった。 5分前のことを覚えていられない短期記憶障がいがあった。 “短期記憶障がい” 短期記憶障がいとは、認知症の

『部屋とYシャツじゃなくてサルマタと彼』

その彼は、トトロの庭の主人。 彼は、トトロの庭を潜り抜けたところに住んでいると聞いていた。 噂通り、庭は、トトロな感じだった。そこそこ都会の住宅街にこんな空間があるなんて。 季節ごとの果実をつけてた樹々が生い茂っているトトロの庭をくぐり抜けたらメイちゃんたちが住んでいる家があるはず。 ・・・出てくると思わせといてぇ・・・ バーン、出てきたのはモノに溢れたお屋敷だった。勝手に気分を盛り上げといて騙された感あり。 そこには80半ばの彼・・・「とと助」さんとしよう(仮名が雑

私が93歳になったらどうなるか問題 〜認知症のミチさんの訪問より〜

はじめに私たち看護師は、実に色々な方と沢山出会わせて頂いている。 30年以上も看護師をしているともはや何千人、何万人の人にお会いしているのかもわからず。星の数ほど・・・という表現をしておこうと思う。 こうやって出逢わせて頂いた人のことや仕事で経験した事を最近は特に書き留めていきたいと思う気持ちが強くなっている。 その時、私はどんな事を感じたのか、その折角の出逢いを私だけに留めておくのが勿体無いような気がずっとしていた。 以前、違うblogでは書いていたことがあったが、このn

前世での誓い 〜ある難病の子のお話〜

今回は、ある親子のお話をご紹介しようと思う。 出逢ったころじゅんくんは、13歳だった。 難病で寝たきりのじゅんくん。 鼻からは、栄養の管が入っている。 カールの利いた睫毛の下からまっすぐで澄んだ瞳が見える。 言葉は喋れないけどお母さんが、時々、じゅんくんの思いを代弁してくれていた。 排泄のお世話も全てお母さん担当。 お母さんの名前は、明るい子と書いて明子さん。 名前の通り、とにかく明るくていつもにこにこしているお母さん。 ケラケラと笑うお母さんを見るとこちらまでつられて笑

認知症の「忘れてしまう記憶」と「忘れない記憶」

10秒後に忘れてしまうマダムK ~忘れてしまう記憶~ ある年のお正月の話。 認知症のマダムKのところに伺った。 年賀状が10枚くらい届いており、マダムKが年賀状を見ていた。 「あら、これは誰からかしら?あ、みっちゃんからだわ」と言って裏返しにして本文を読む。 申年だったので「まぁ、かわいらしいオサルさんがついてる!」と言って、年賀状をまたクルっと裏返しにした。 「あら、これは誰からかしら?あ、みっちゃんからだわ。へー、懐かしい!」と言って裏返しにする。 「まぁ、かわいらし