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苦しい気持ちが救われる魔法の呪文

人間関係に問題がない人っているのだろうか?

おそらくいないだろう。人間関係とは、それほど根深い問題だと思うのだ。

もし仮に人間関係の問題を直視して、それら全てを解決しようとしたら、おそらくそれだけで人生が終わってしまうだろう。

だから、私は、ほとんどの問題は見て見ぬふりを決めこんでいる。

見て見ぬふりをしていると同時に、見て見ぬふりをせず本気で向き合う関係を選別してきた。

大事な人、特別な人、一生をともにしたい人との関係では、緩急つけながら本気で向き合っている。

大切な人との関係で問題ががおきれば、直視して解決するべきか、それとも見て見ぬふりをしてもよいだろうかとケースバイケースで判別する。

大切な人との関係ではなくても、状況が深刻なときは、真っ向から問題に取り組むこともある。

◇◇◇

状況を判別して「見て見ぬふり」を決めたとしても、その拗れた関係が生み出す心の葛藤というものは、居心地が悪い。

だから、どうにかしてその状況をやり過ごそうとして、呪文を考えるようになった。

呪文というほどの大したことではないが、気持ちは楽になる。

「誰も私のことなど見てはいない。だから気にかけようがないのだ。」

そう自分にいい聞かせる。ただそれだけのこと。

誰も見てないから、誰も私のことに気を遣わないし、私の苦しみなど知らないのだ。

私のことを見ていないから、葛藤を抱えていることすら知りようがない。

寂しい響きにも聞こえる。だが、相手が故意に自分を辛い気持ちにさせているわけではないと思えることで、気持ちが楽になるのだ。

私が辛いことを仮に知ってたら優しさを向けてくれるはず。でも、知らないから、見ていないから、私の苦しみを和らげることを思いつくはずがない。

誰かの悪意で自分が苦しんでいるわけではないと思うだけで気持ちが楽になる。

それで人間関係がうまくいくのであれば、これはすごい発見だと思うのだ。