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何も変わらない日常がココにある。自粛ばかりがストレスではない

厳密にいったら何かは変わっているのだろうと思う。

だが、我が家では何も変わらない日常が過ぎていく。

夫は、ほぼいつも通り仕事にいっている。


手洗い、うがい、その他、日ごろからの心がけは、新型ウイルスの騒動が起きる前から、日常であった。だから、新型ウイルス感染予防は、いつも通りにしていれば、大丈夫なハズだという気持ちでいる。

それでも、どこか、いつもと違うピンと張りつめた空気を感じながら暮らす。

私の周りにある世の中は「いつも通り」ではない。それだからこの緊張を感じるのだろうか?



救急車の音が最近しなくなったと思った。そのことが無性に不安を煽る。

この状況下では、「何かあったとき」の「何か」が大きな命取りになるのではないか。

救急車の受け入れもいつも通りというわけにはいかないのかもしれない。何かあったとき、「命をつなぎとめる処置」はいつも通り行ってもらえるのだろうか。

考えをめぐらせると......不安になる。



4Kの仕事に就いている夫は「人の命を預かる役割」を担う。無事故は当然の勤め。だが万が一という場合もある。

だから、夫が出勤するときに「これが生涯最後の別れになるかもしれない」と私はいつも思うのだ。そのような気持ちで明るい笑顔で見送る。心から無事の帰還を願う。

それはいつもと変わらぬ日常。私たち夫婦にとっては日常。

一見、同じ日々ではあるが、同じように過ごそうと意識するからこそ、心の中には非日常を抱えることになる



心がとげとげしくなったクサクサした気持ちは、安全を脅かす。仕事の効率を悪化させ、仕事の危険度を増すのだ。

だから、どんなに腹立たしいことがあっても、イライラをぶつけたくても、夫が仕事に出かける前は全力で心にしまう

それは、夫のためでもあり、会うこともない命への敬意を払うことでもある。私にも夫が預かる命への責任があると思っているからだ。



何も変わらない日常を過ごそうとするからこそ求められる忍耐がある。

鍛えられる忍耐力を日々感じながら、緊急事態宣言の下、粛々と淡々と過ごしている。