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君子危うきに近寄らず?

どこかで聞いたことはあるだろう、この言葉。

賢く教養のある人間は、危険なことには近づかないといった意味合いで、怪しい儲け話を断ったようなとき、その理由を一言で告げるといった場面で用いる。

けれども、私は、この言葉に違和感を感じていた。

賢く教養のある人間は、そもそも危険なことに遭遇しないよう注意して行動するのではないかと考えたからだ。

父が危惧していたこと

世の中の全てを見てきたわけではないと思うのだが、父はそれなりに経験を積み、仕事をしてきた。きれいごとでは済まない世界を見る機会のある職業であったため、父自身、いろいろと心労もあったようだ。

特に、お金が絡む場合、人の態度や行動の豹変ぶりを見聞きして、恐ろしいと感じていたようだった。

そういう理由で、家を新築した私や夫に対し、次のように諭していたのだろう。

「家を建てると、嬉しいことばかりではない。大変な目にも遭うだろう。お金を持っていそうだという理由で面倒に巻き込まれることもある。面倒とまではいかずとも、ちょっとした周りの態度も変わるだろう。それで心を許さないこと。重々、気をつけるように。」

そういう父の言葉が、身に染みるようなことがパラパラと起きる。その問題を乗り越える度に、自分が消耗していく。

「お金を持っていそうに見える」という印象が私の心を消耗させるのだ。


「君子危うきを近づけず」の精神で

「どうしたらこの消耗を避けられたのだろうか」という自問が頭から消えなかった。自分にも非があったと反省し、今後にいかせるヒントを探したいという気持ちがあったからだ。

思案の末、ふと浮かんだ言葉は「君子危うきを近づけず」。

自分から近寄らないだけでなく、相手が来ないようにするということ。危険回避には、同じくらい必要な意識だと思ったからだ。

「君子危うきに近寄らず」と「君子危うきを近づけず」はタイヤの両輪のようなもの。

関わる相手を選ぶだけではなく、隙を他人に見せないこと。

状況次第では、話しかけにくい人だと思われるよう「壁」を作ってもよいだろう。

「お金を持っていると思われたら、周りの態度が変わるから気をつけなさい。」

父の言葉を心に留め置きつつ。