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「人の口に戸は立てられぬ」を教訓として

「人の口に戸は立てられぬ」は、父が好んで使うことわざだった。

人の口に「戸を立てる」こと、即ち、扉をしめるようなことはできないということ。つまり、「人の口に戸は立てられぬ」とは、噂は誰にも止められないという意味である。

これを口癖のように父はいっていた。「口が堅く人になる」ことを「躾け」られていたのだと思う。


噂好きな人には気をつけろ!

噂好きな人。

悪気なく人を批評する人。

世の中には種々様々な人がいる。

だから一概にはいえないのだが、敢えていう。

噂を流して印象操作をすることを生きる武器と思っているような人との付き合いは百害あって一利なし。もしそのような人の存在に気がついたら、全速力で逃げるしかない。

ただし逃げるにしても穏便に逃げるよう心がけなければならないだろう。なせなら、逃げ方を間違えると「あらぬ噂」を立てられかねないからだ。


人としての品位を保つ

男女問わず、このような人はいる。噂をあたかも事実のように伝え、確かな情報源もないのに知った風な口を聞く。

あらゆるところに噂好きの人は存在する。言葉を知った人間ならではの欠点だが、ある意味人間らしさなのかもしれない。けれども、決して好意的には受け止めることができない性質である。

その危うい性質は、誰にでも備わり得ること。だからこそ、人としての品位を見極めやすいともいえるだろう。


父が私に伝えたかったこと

父は、口うるさいほどに「人の口に戸は立てられぬ」といっていた。とても大事なことだと思っていたから繰り返し私に話していたのだろう。

具体的には、父の教えは次のようなことであった。

[1]何百という群衆に向けて伝えられるかのごとく覚悟を持って言葉を発すること。

つまり、人というのは口が軽いものだという前提で動きなさいということなのだろう。

実際、気軽な会話ほど他人に知れ渡る率は高いと経験的に思う。と同時に、気軽に話しているからこそ、相手にキチンと伝わったかどうかを確認していない。つまり、挨拶の延長のような立ち話のような、そんな感覚で話しているから、誤解して受け取られてしまうことが多々ある。

そういう経験を重ね、私は「お喋り」という状況に身を置くことがとても嫌いになった。口が堅いということは最大の美徳だとすら思うようになっていったのだ。

[2]噂を立てられるような立ち居振る舞いをしないこと。

自分の考えでモノをいったり、自分の考えで行動したりすることが好きで、他人の物差しで動きたくない気持ちが私は特に強い方だ。

この性質を知った上で、父から次のようなことをいわれていた。

全く悪気なく行動していても、周りと違う行動をすると、「異質なもの」として「つまはじき」にしたい衝動が周囲の人々に生じると知っておくこと。

例えば、夫と私は、結婚してから2年近く、通い婚状態であった。つまり円満別居で暮らしていたのだが、「そのことが周りに与える印象を自分でよく考えるように」と諭されていた。

私は「田舎」に住んでいる。つまり、周りからの目線は、かなり濃厚な地域だ。それゆえ、周りからの理解を促すよりも、あらぬ噂を立てられるくらいなら、同居してしまったほうがよいのではとの提案でもあった。

結局、周りとの摩擦を考慮して、自分の生き方を自分で決め、夫とは同居をするスタイルへの変化を受け入れたのだ。

[3]人の噂話の聞き役にならないこと。

このことは盲点になっている人が多いのではないだろうか?

噂は話す人と聞く人がいる。聞く人がいなければ話す人はいない。つまり、自分は噂好きではない、自分は噂話などしないというスタンスであったとしても、もし噂の聞き役をしているのなら「清廉潔白」ではないということだ。

噂を聞いても噂を広めたりしていないということを、噂に関与していない「免罪符」のように主張する人がいる。「ただ聞いているだけ」だから大丈夫だというのだ。

だが、ただ聞いているだけであっても「噂の発信者を増長させた」という罪を犯している。要するに、噂の聞き役になっていはいけないのだ。

けれども、これは実行に移すのが難しいことでもある。なぜなら、噂好きな人は、「いまから噂話をしますね」と宣言して噂話を始めるわけではないからだ。


限りある命の時間を大事にする

噂はどうして広まるのか。しかも、広まる噂は、正しい情報ではないことも多い。

尾ひれをつけた噂話は、センセーショナルでもある。そのような内容は、人を惹きつけ、「噂を発信している人」の自尊心をくすぐるのだろう。

口を堅くして、強い意志と対人スキルで噂の聞き役を回避し、円満な人間関係の中で生きる。

言葉にするほど、それは簡単ではない。

だが、限りある命を尊いものとして生きていくなら、噂に関わっている暇などないのだ。

父が教え諭してくれた言葉を胸に刻みつつ。