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お年玉で買ったもの

新春初売り福袋やおせち料理の注文など、年始の話題が出始めている。

お正月といえばお年玉だが、お年玉の使いかたには、その人の個性がよく表れるように思う。

お年玉は、子どもにとっては普段手にすることのないような「ある程度のまとまった額」のお金を手にする機会だ。だから、お年玉の使い方が「子どもの内面」を映し出すことになるのだろう。

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お年玉は、毎年ほとんどを使い切っていたという人もいるかもしれない。パッと使い切って欲しい物を手にするという考え方なのだろう。

成長とともに何に使うかが変化していった人もいそうだ。例えば、お菓子やおもちゃを買っていた時期があり、成長とともに、オシャレな洋服やファッション関連のものへと変化していく人など。

全て親に没収されて全く自由がなかったという人もいるだろう。没収したお金を学費に充てられていたという人もいるだろうし、全て生活費として使われてゼロ円になっていたというケースもあり得る。

幸い、私の親は、お年玉を没収することなく私名義の貯金口座で管理していてくれた。

もちろん、私も、お菓子とか新春恒例福袋とか、そういうことに使ったこともないわけではない。むしろ、そういう経験を重ねて、貯めるという選択肢を選ぶようになったのだ。

何か大きなものが欲しいと思い始めたのは、小学5年生の頃、天体の魅力にはまってから。それ以降、お年玉で「プラネタリウム『友の会』の年会費」を払い、残りは全て貯金。そのおかげで、中学3年生のときに天体望遠鏡を買うことができた。

お金を貯めてから何かを買うという「喜び」を体験したことで、貯金の魅力にはまり、更に熱心にお金を貯めるようになる。ちなみに、今日のアイキャッチ画像は高校生のときに買い求めたタイプライターだ。お年玉に加えて、月々のお小遣いも貯めて手に入れた。

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天体望遠鏡とタイプライター。

この2つは、今は使う機会がなかったとしても手放すことができそうにない。

お年玉は「使うために貯める」という姿勢だった。その姿勢は私の個性のひとつだろう。と同時に、買い求めたものがおおよそ「女性らしくない」ものだった。この態度も私の個性のひとつだろう。

これらの個性は、どちらともが今も自分の根幹となっている、自分らしさの変わらない部分だ。

だからこれからも手放せずにいるだろう。永遠に手放すことができない自分自身の象徴として。