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【世界史】諸子百家

諸子百家は中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称のこと。

諸子百家をまとめました。


儒家・墨家・道家・陰陽家・法家・名家
前漢初期の司馬談は、諸子百家を六家(六学派)に分類した。

農家・縦横家・雑家
後漢の班固は『漢書』芸文志で、上記の六家に三家を加えて九流に分類した。

小説家を加えたものを十家とし、十家に兵家を加えた合計十一家を諸子百家というのが、現代では一般的である。


諸子百家51人をまとめています。

儒家

・孔子
中国の春秋時代末期、魯国の人で、儒学・儒教思想の祖。周の封建制度下の社会を理想とし、諸侯に仁による政治を説いた。

・孟子
孔子の儒家の思想をさらに発展させ、性善説に基づいた政治論を説いた。

・荀子
斉の祭酒となり、のちに楚の春申君に仕えた。孟子の性善説に対して性悪説を唱えた。

・曾子
孔子の弟子となり、孝道で認められた。

・子思
孔子の孫で、曾子に師事し、孟子に影響を与えた。


墨家

・墨子
兼愛説にもとづき、諸侯に戦争の否定、衣食住の節約などを説いた。

・胡非子
墨子の弟子で、墨子が楚に渡った後、斉で活躍したといわれている。

道家

・老子
儒教の人為的な道徳・学問を否定し、無為自然の道を説いた。

・荘子
内・外・雑編に分かれ、初期道家の根本思想を寓話ぐうわを用いて説く。道教では尊んで「南華真経」と呼ぶ。

・列子
「呂氏春秋」によれば虚を尊んだといわれる。

・田駢
稷下の学を形成して戦国時代の文化学術の一大中心となった。

・尹喜(関尹子)
周時代の秦の函谷関を守る役人であった。

・楊朱
人間の欲望を肯定し、自己満足が自然に従うものであるとした。儒家、墨家に対抗し、異端として孟子などから排撃された。

・黄石公
秦末の隠者。前漢の張良に兵書を授けたという老人。


陰陽家

・鄒衍
陰陽五行説などを説いて、後の中国人の世界観や歴史観に大きな影響を与えた。

・鄒奭
鄒衍の思想を継承展開し、燕・斉の方術の士に大きな影響を与えた。

・張蒼
律暦の学にすぐれていた。呂氏の乱ののち,文帝擁立の功臣として丞相となった。


法家

・商鞅
戦国時代の秦に仕え、法治国家、富国強兵をめざした改革を行った。

・韓非(韓非子)
荀子に師事し、法家の思想を大成した。韓の使者として秦に赴くが、李斯の讒言により投獄され獄中死した。

・李斯
中国の秦の始皇帝に仕えた法家の学者で丞相となり、その統一政策に関与する。郡県制の採用、文字統一、焚書坑儒などで重要な役割を果たした。

・申不害
刑名・法術の学を説き、韓の昭侯の宰相として富国強兵に努めた。

・慎到
黄帝老子の思想を学び、斉の稷下で宣王に仕えた。

・李悝(李克)
文侯をたすけて魏を戦国最初の覇国にした。諸国の法を整理して『法経』6編を編纂したといわれる。

・子産(公孫僑)
弱小国の鄭を安定させる善政を行い、中国史上初の成文法を定めたとされる。

・管仲
鮑叔牙の推薦で斉の桓公の宰相となり、富国強兵策をとってその覇業を助けた。

・土匄(范宣子)
春秋戦国時代の晋の軍人・政治家。


名家

・恵施
常識的な見解を自由な視点によって覆そうとする多くの命題を残した。

・公孫竜
趙の平原君の食客だったが、陰陽家の鄒衍より排撃を受けて趙を去った。

・鄧析
『鄧析子』を著した。その人物像から「初期名家」「名家の先駆者」のように位置付けられる。

・尹文
斉国の稷下の学士の一人であり、斉の宣王や湣王に仕えた。宋子と同様の学説をといた。

・黄疵
秦の始皇帝の治世中の秦王朝の医師だった。


農家

・許行
農業の重要性を三皇の一人神農の教えであると説き、等しく農業に従事すること、物価を均等にすることなど平等社会を主張した。


縦横家

・蘇秦
秦と対抗するために六国の合従策を主張し、六国の宰相を兼ねた。

・張儀
戦国時代の秦と個別の同盟を有利とする連衡策を主張した。

・鬼谷(鬼谷子)
数学や天文学、兵学や軍略などに通じていた。謀略家・縦横家の祖として知られている。

・蘇代
蘇秦の弟。燕王への謁見を望み、楚と魏を同盟国として利用し、秦と斉を制圧するという案を献策した。燕王は諸侯に使者を送り親善した。

・蘇厲
蘇秦・蘇代の弟。戦国時代に政治外交活動を行う策士だった。

・公孫衍(犀首)
はじめ秦に仕え、後には魏に仕えて犀首の官に任じられたことから、犀首と呼ばれた。

・龐煖
趙の悼襄王のもと、名将廉頗が出奔後の筆頭将軍として合従軍を指揮するなど、文武に優れ将軍であった。


雑家

・呂不韋 
中国戦国時代の秦の政治家。荘襄王を王位につけることに尽力し、秦で王に次ぐ権力を持つ相国として権勢を振るった。

・劉安
前漢の皇族・学者である。淮南王に封じられた。『淮南子』の主著者。

・尸佼(尸子)
秦の商鞅の食客になっていたが、商鞅が処刑されると、尸子は蜀に亡命したとされている。


小説家

・鬻子(鬻熊)
楚国の祖先で、楚国開国の君主である熊繹の曽祖父であると言われている。商朝末年に鬻熊は周の文王のもとに身を寄せており、そこで文王の火師となった。

・青史子
春秋時代の晋の歴史家で太史の董狐の子。

・師曠
中国春秋時代の晋の平公に仕えた楽人。盲であったが琴の名手であり、酒色に耽溺する平公にたびたび箴言を述べた。

・宋子
人間の心や感情を論じ平和主義を説いた。


兵家

・孫武(孫子)
呉王の闔閭に仕え、その功を助けた。呉起とともに兵法の祖といわれる。

・呉起(呉子)
儒家の曾子に学び、魯、魏に仕え、さらに楚の悼王に重用された。

・孫臏
戦国時代斉の武将。孫武の子孫。同学の龐涓ほうけんに才能をねたまれ、両足を切断されたが、のち、斉の威王に軍師として仕え、龐涓の率いる魏ぎ軍を破った。

・尉繚
古来の兵法家の格言などを総合して兵道を説いた。

・司馬穰苴
中国春秋時代の斉の将軍。宰相晏嬰の推薦により登用され、斉の繁栄に功績を挙げた。

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