「する」舞踏と「見る」舞踏【UrBANGUILD3/31舞踏ナイト感想】
つい先日、縁あってUrBANGUILDでひらかれた「舞踏ナイト」を見に行った。
出演者の一人、目黒涼子氏の誘いで見に行ったのだが、感じたことをどう言葉にしたものか私は迷っている。目黒氏の「作品」に解釈なり批評なり感想なりを加えることができれば良いが、しかしそもそも私はこの「舞踏」、とくに海外でButohと呼ばれるような広義の「暗黒舞踏」、前衛舞踏、コンテンポラリーダンスというジャンルそのものをその日はじめて目にしたのだ。だから、その個別の舞踏についてどう評価したらよいかさっぱり分からないのである。
それだから、私がこれから書くのは「舞踏」というジャンルに出会ったことそのものについての感想ということになる。
そもそも私は「単体でそれだけを観る舞踏」というものを想像したことがなかった。私がはじめて踊りというものに接したのは小学校でやらされたソーラン節で、それはクラスメイトと一丸になって踊り一体感を高めるためのものだった。踊りとは普通に考えたら「する」ものであって「見る」ものではなかったのだ。
これは多くの人にとってもそうだろう。たとえば「舞踏」と聞けば、大抵の人はすぐ「舞踏会」という単語を思い浮かべるはずだ。そして「演奏会」が他人の演奏を「見る」ものであるのに対して、「舞踏会」は参加者がそれぞれ誰かと踊りを「する」ものでそれによって関係を深める社交会なのである。
実際に踊る機会があるかは別として、ディスコにせよダンスパーティーにせよソーラン節にせ盆踊りにせよ、それらは踊りを「する」ものであり他の人との関係を深めるためのものである。「輪になって踊ろう」という言葉に代表されるイメージがそこにはある。
もちろん、「見る」踊りがあることは知っている。普通に思いつくのはバレエ、あるいはミュージカル、または能だろう。しかし、それらは踊りそれ自体を見るというより、その踊りに乗って進行する劇を楽しむという方が大きいのではないか。
それだから踊りそのものを踊りそれ自体として「見る」という体験は今回がおそらくはじめてなのである。
さて、その日、舞台には四人の舞踏家がそれぞれ30分くらいの舞踏をそれぞれ披露した。私は舞踏についてまったく目が肥えていないからそれぞれをどう評価したものかどうも分からない。ただ素朴な感想として、あるいは粗暴な感想としてまず思ったのは、「どれもみんな病気みたいだな」だった。
みんなのたうちまわり、這いずって、体を異様に軋ませるのである。最後のデカルコ・マリィは一番常識的なダンスに近いものがあったが、その彼でも地面を這いずり転がった。四人のいずれもが、痙攣かまたは何かの発作かのように見える質の動作を舞踏のなかに組みこんでいた。それで私はまず「病気」を連想したのだ。
しかし、そのような連想しながらも私はなぜか目の前の舞踏に惹きつけられた。一回30分くらいの時間も終わってしまうとそんなに経っていたのかと疑うほどで、明日は月曜日だから前半の二人だけ見たら帰ろうと思っていたのに結局全部見て十時半ごろのバスで帰ることになった。一体この傷ついた獣のような舞踏の何が良いのか。
「病気」と言った。「傷ついた」と言った。それはこれらの舞踏が、自らの身体というものの不自由さに抗おうとしているかのように見えたからである。身体という牢獄の檻をガタガタゆすっている獣、ちょうどそのように私には見えたのだ。
そしてすべて前衛的な芸術はその媒体の不自由さと向かい合うことによって生まれる。私はそう考えている。普段、何の気はなしに空気のように使っている言葉の重さを意識してはじめて詩は生まれる。詩は言葉そのものの不自由さと直面することで生まれる。言葉と言葉にならないものの臨界でこそ、詩は生まれる。同様に哲学とは思考と思考しえないもの、理性とその限界、その臨界でこそ生まれる思考の芸術だ。
このように考えるとき、身体という媒体の限界と向き合うにあたり痛みほど重大なモチーフが存在するだろうか。痛みとは身体の不自由さを二重に示している現象である。それは第一に「自分にとって自由にならない身体」を示しており、第二にどれほどのたうちまわっても「痛み」そのものを他者に伝えることのできない「表現媒体として自由にならない身体」を示している。どれほど言葉を重ねても伝わらないことがあることに向き合うときに詩が生まれるように、どれだけ身をよじっても伝わらないものがあることに向き合うとき、舞踏は単なるコミュニケーション・ツールから肉でできた詩になる。
***
その日、一つのトラブルが起きた。最前列に座っていた中年女性が突然舞踏にまざりこんだのだ。最初の演者のときはおとなしく見ていた。二人目のとき――それが目黒氏なのだが――立ち上がって演者の前にたちはだかりリズムにのって腕をひろげゆらしはじめた。そして、最後、デカルコ・マリィの番に至っては舞台に堂々とあがり踊りはじめたのだ。
デカルコ・マリィは二本の棒を鮮やかに振り回して踊るはずだった。が、舞踏の序盤ではその棒を舞台に置き、その少し前で踊っていた。その隙に彼女は棒を拾い上げ彼女なりのダンスを踊りはじめたのだ。そこからデカルコ・マリィと彼女の攻防がはじまった。舞台の上では棒の奪い合いが繰り広げられている。だがデカルコ・マリィはそれをあくまでも華麗な舞踏として演じきっている。彼は一度取り上げることに成功する。音楽でよく聞こえないが「もう一度だけ、もう一度だけ」と彼に縋りつきながら、女性は繰り返した。だが押し出されてしまう。ようやく諦める。だが、舞台を諦めたわけではない。彼女は演奏中のサクソフォン奏者にまとわりついて何事かを言っている。サクソフォン奏者は明らかに不快な顔をしている。
デカルコ・マリィはここで、この女性を排除するためにはかなりの強硬手段に出る必要があり、もしそうしたなら場は険悪になって舞台は破綻してしまいかねないことを悟ったのだろう。彼は女性に棒を一本差し出す。そして、この奇妙な闖入者をこの前衛的な芸術の一部であるかのように舞踏に組みこむことにしたのだ。彼女の手をとり社交ダンスのステップで踊り、彼女と並んでディスコ風に踊る。
先に、彼の舞踏が一番常識的なダンスに近いものがあったと書いたが、それはこのようなきわめて非常識的な事態によって引き起こされたのである。
舞台が何とか無事に終了したとき、彼女は叫ぶ。「今日はみんな踊ろーぜー」。「ほらあなたも」と、前の方に座っているゲルマン系の女性に声をかける。彼女は何も言わずきわめて曖昧な笑顔でこれに応じる。
さて、このようにひどく非常識な事件によって代表させるのは変な話なのだが、これは常識的にはダンスというものがどのような地位にあるのかを象徴していると思われるのである。
つまり「みんな」で「する」ものとしての舞踏。
そもそも何故舞踏はさまざまな文化圏でコミュニケーション・ツールとして多用されてきたのだろう。「あるリズムに合わせてみんなと同じように動く」、このように抽象的に表現しうる営みは何故他人との関係を深めるのに役立つのだろう。
それはおそらく、そのようにみんなと踊っているとき、踊る相手、仲間はいわば拡張された自分の身体になるからではないか。複数人と同じ体を共有していると信じ、それゆえ複数人と心が通じ合っていると信じる。ここにはそのような身体に対する信頼がある。
しかし「舞踏」は、身体に対する不信からはじまる。多分。
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