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ホホホ座の反省文

ホホホ座は、一般的に本屋だと思われていますが、その母体は四人の座員による編集企画グループです。

・・・すみません。本屋だとおもってました。。反省。。

ちなみにこちらがホホホ座です。ガケ書房というサブカル書店をやっていた山下賢二さんたち四人の座員が、本に限らず、雑貨に食品、イベントまで企画し制作販売している本拠地です。

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はじめは近寄りがたい趣にちょっとだけ圧倒され、勇気を出していざ入ってみると「・・・なんだ。ぜんぜん怖くないじゃん」と、なんか損した気持ちと安心した気持ちのないまぜになって、「どうせ入ったんだから、ゆっくりみてみよ」と好奇心が高まってくる。そんな場所です。

『ホホホ座の反省文』のタイトルにあるように座員の反省(というか半生)ものってますが、セレクトショップや社会的成功への反感だったり、半分以上はラジオのような雑談のような語りがつづく、人間味と生活感に溢れた『ホホホ座』ワールド。

セレクトショップ店主として酔えない三人は、<しらふ>で酒を交わし、うだつのあがらない会話をし始めました。僕はガケ書房を背負って、マツモトはコトバヨネットを背負って、加地は移転前の100000tを背負って。

居酒屋でのイベントの打ち合わせ。チーム名を決めようという流れになり、「ホホホ座っていうのはどう?」と、なんとなく生まれた『ホホホ座』。

いまやその世界観やら空気感に共鳴して『ホホホ座』を襲名する団体がいくつも増え、京都の三条大橋にも大阪にも愛媛にも『ホホホ座』があります。(知りませんでした。。。反省。。)

ちょっと本書の中で、反省っぽいところを拝借。

セレクトショップ的<清潔と特別>に対し、どうしてもそうはなれなかった者の怨念が生み出した、また別の<特別>なのです。その<特別>さに酔いしれることで、根拠のない選民思想をもっていたのだと思います。
次にやる店は、この「ゆるい」「混沌」「ややこしい」を流れにまかせ、そのまま受け入れるのではなく、客観的にとらえ、コントロールせねばならない。とは考えていました。

<清潔と特別>なセンスのいいセレクトショップの雰囲気に酔うまいとし、また別のかたちで<特別>になってしまう。かたや、あらゆるタイプのお客さんを受け入れる「ゆるい」店を目指し、変わった人もあつまる「ややこしい」状態になってしまった。。そんな過去の経験をふりかえり、反省し、それがいまの『ホホホ座』につながっています。

コンセプトは「暮らし・生活系」

「暮らし・生活系」という言葉も、「シェア」や「場づくり」の観念も、以前の僕なら間違いなく懐疑的にとらえ、問題提起はするけれど、行動としては何もしない。という体たらくだったと思います。
自分にとって、必要ではないものも、切実に必要としている人たちがいる。ただ、そのことを素直に認めるだけで、世界との付き合い方が変わってきたのです。
とはいうものの、どうしようもなく斜に構えてしまう自分も、まだ残っています。素直になりすぎると、自分から毒気が抜かれてしまう。そこまで「いい人」には、なりきれない。どこか、いい塩梅の居場所はないだろうか?

真摯で、誠実で、遊び心と行動力がある大人の集い。

また、ホホホ座いこっと。