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31歳、母が亡くなった朝のこと

2021年6月18日、兄の声で目を覚ました私は、隣の部屋で父が母に心臓マッサージをしているのを見ました。
「ママが息してない」と、兄が言い、私はパニックになりながらも、急いで救急車を呼びました。
兄もパニックになっており、もうどうしていいか分からない状態。
父は「帰ってこい」と、必死に声をかけながら心臓マッサージを続けていました。

とにかくパニックで、ちゃんと電話で状況を伝えられたか、ほとんど覚えていません。
ただ、電話を切った後で、たまらず母へ「帰ってきて」と、叫んだのだけは覚えています。

その後、救急隊が到着しましたが、もう死後硬直が始まっていたらしく、5分も経たないうちに「病院に運びますが、お看取りになると思います」と言われて、私の中で何かがさーっと冷めていきました。

私は救急車で運ばれる母に付き添いましたが、病院について事情をあらためて話しました。そしてしばらく待たされた後、死亡確認をしました。
私一人でした。
すごく怖かった。この時が、何よりも一番怖かったです。

自宅で待機していた兄にはもちろん連絡をしたし、千葉に住む姉にも連絡をしましたが、私は自分がこの時、冷静だったのかどうか分かりません。
ただ、淡々と時が進んでいました。
母は自宅で死亡したため、警察の方に一度引き取られることになりました。
救急隊の方に話したことを警察にも伝えましたが、その辺りのこともほとんど覚えていません。ただ、現実感がなくてよく分からなかったです。
空腹は感じたけれど、何か食べたいとは思えなかった。
何年か後になって、たぶん私はこのことを作品に反映させるんだろうと考えた後で、すごく変な感じになった。気持ち悪くて、何で自分は生きてるんだろうって。
でも、少しずつ目の前にあるものが現実感を帯びてくるのを、私は感じていました。

その後、病院から警察へと母の遺体が運ばれ、私は自宅へ帰ることになりました。
病院を出ると清々しい青空が頭上に広がっており、朝日がとてもまぶしかったです。
気温も上がってきた頃だったので、すごく暑くて。
何で、私はこんな道を一人で歩かなければならないなかと、ふと不思議に思いました。
着替える暇がなく寝間着のままだった私は、奇しくも上下ともに黒で、まるで喪服のようでした。

そして自宅へ着き、待機していた兄と合流。
何故か会話に上がったのは「ホログラフィック理論」のことでした。
ちょうど私も同じことを考えていた時なので、兄妹ってやっぱり似てるんだなって思いました。
あと、母への愚痴。
というのも、母はあまり家族に大事なことを言ってくれず、何でも抱え込む人でした。
亡くなる一週間ほど前から、母は起き上がってもずっとぼーっとしており、仕事へ行くことすらできていませんでした。
食欲はなく、手が震えていて、一気に老け込んだのを覚えています。
私たちは心配して病院に行くよう、声をかけたりはしていたのですが、母が行きたがらなかったため、そのままにしていました。

「もっと話してくれればよかったのに」
「何も言ってくれないからどうしようもなかった」
「言ってくれたら、こっちも病院に付き添ったりできたのに」

そればかりで、私たちは胸がもやもやして、涙よりため息ばかりついていました。

その後、警察の方が来て現場の写真を撮ったり、あらためて事情聴取をされました。
それが済むと、今度は葬儀社の方が来て、どんな日程やプランで葬儀をするか話し合いました。
本当に急で、お金が用意できそうになく、一番安いものにしてしまいましたが、私たちにはそれが精一杯でもありました。

それから母が管理していた銀行口座の確認をして、口座にいくら入っているか確かめました。
この時は私が冷静でいられたので、行動は早かったように思います。

そして千葉に住む姉夫婦が来てくれて、今後のことを伝えました。
私たちはその頃には疲弊しきっていたため、母の職場への連絡などを助けてもらいました。

病院で聞いた話によると、母は救急隊が駆けつけた時にはもう、死後数時間は経過していたそうです。
第一発見者の父が気づいたのが午前5時頃、つまり午前2時か3時に母は亡くなっていたようです。
しかし、持病はなく、大きな病気をしたことや手術の経験もなかったため、死因は不明で、解剖へ回されることになりました。

実は母が亡くなる前日、私は少し嫌な予感がしていました。
椅子に座ってぼーっとしている母の姿に、義兄のお父様を連想したからです。
義兄のお父様も晩年はぼーっとテレビを見ているばかりで、あまり食事をしていなかったそうです。
だから、このままでは死んでしまうのでは、と思ったのですが、いやいやそんなことはないと思い、口に出すことはしませんでした。
結果、その翌日に亡くなったので、私は自分の直感(霊感?)が現実になってしまったことを、すごく複雑に思いました。
「このままではママが死んでしまう」と、口に出していたら、少しは何かが変わったでしょうか。

いえ、そんなたらればの話はやめましょう。

母が亡くなった当日は、私たち家族みんな食欲がなく、時間の経つのをひどく遅く感じていました。
現実をまだ受け入れられず、どうしたらいいかと考えても、頭がうまく回りませんでしたが、やるべきことだけは頭に入れられるよう、それだけは忘れないようにと、私以外の家族も気を張っていました。

そしてこの時、私の目下の問題は「喪服がない」ことでした。
葬儀というものに縁がないまま、大人になってしまったからです。

(続く)

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