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人生は哲学だし、SPIもまた哲学。

まぁタイトルで全てなのですが。

先日SPI対策本を買いましたところ、巻末に「性格試験」分野の攻略が載ってました。ヤッタネ
まぁ大体分かりきった内容の、「短時間でパッパパッパ選びましょう」だとか、「一貫性のない回答はアウトです」だとか、当たり障り無いそんな類の話が書いてあって「アイそうだね」としか思わなかったのです…が、ある部分で「...?」となり。

それがこちら
「意見の相違の立場を明確にする」
という文章に「ハイ」と答えると
「場の調和を乱す人」である恐れがある...ということで「マイナス因子」になるとの事。(どこまで本当かは知りませんけど)

えぇ〜?うっそでしょ...ってなりました。
というか私、この間SPIやった時ここに「はい」って答えてた!
バ リ バ リ 答 え て た!!!!!


これは私の持論なのですが
会議やディスカッションの場で「反対意見」が出ないと何も進まないじゃないですか?その場の偉い人とか、「なんとなくみんなの総意」で物事がなぁなぁに決まっちゃったり...しません...?

もちろん「意見の相違」が元で喧嘩するんはダメです。「よろしい、ならば戦争だ」は、うん。ダメ絶対(大事なことなので2回言うスタイル)

でも、そういうケースを除けばむしろ「反対意見が出る」方が建設的な話し合いに...なる...のでは…?
ある意見に対して反論がきた。そしたらそれを踏まえて「じゃあ、この場にいる全員が幸せになる結論を出しましょう」というのが、言っちゃえば話し合いの「醍醐味」なのであって。

例えば私の在籍する大学では、ディスカッションの場で「反対意見」が出なかったら逆にストップかけます。
「いやいや、みんな何かしら思う事はあるんだよね?例え同じ意見だとしても、そこに至るまでのプロセスは違うよね?」
(というか、むしろ大学では「私と違う意見大歓迎」な人ばっかり周りにいるからな...意見の対立を避けてたら思考もブラッシュアップされないし...)


まぁ学生に「ディスカッション」なんて投げたら、そりゃあもうパブロフの犬状態ですからね。「やったーディスカッションだ!」つって。
ネコにちゅーるあげたら喜ぶのと全く一緒。



ちなみにバイト先の後輩にこの話をしてみたところ、とても興味深い事が聞けました。

「先輩は『意見の相違』が発生する場を『ディスカッション』に限って考えてるんじゃないですか?正直、ケースバイケースだと思います。

例えば友人関係にあるAとBがいて、AはBの友達Cが嫌い、BはAの友達Dが嫌い。って状況下でAとBがお互いに『私、貴女の友人が嫌いなのよね』とはっきり言う必要は必ずしも無い...彼女たちがその友人関係を続けたいなら」

って言ってて「ファー」ってなりました。確かにそのケースは考えてなかった。
やっぱり意見交換って大事だなぁ...だなんて改めて思った次第です。


まあ、色々総括すると結局
意見の対立は単純に「意見が違うね」ってだけの話であって、別に相手を批判してるわけではない。(ディスカッションに限った話なら)しっかりとした根拠や異なる価値観にに基づく反対意見って寧ろ大切にするべきだと思う。
物事が停滞せず前進する要素になるし、誰も不幸にならないよね?違うの?

「意見の相違」は「攻撃」では無いし、ましてや「場の調和を乱すために放った反対意見」でもない、はず。世界の価値観は日々アップデートされていて多様化している。各々の人生もバックグラウンドも違う。
そうしたら友人同士のやりとりの中でも意見の相違が発生したって、それ自体は全く不思議じゃないのでは?
むしろ大事なのは「その先」。その「相違」を互いに受け入れるか拒絶するかの違いかと。

うーんあとはなんだろ
結局こういう「意見を言う人に反対の立場をとる」ことが長年良しとされなかったから、それが今現在積もり積もって「忖度」とか「KY」とか「同調圧力」とかに繋がっているのかなとは感じました。
だからこそこの間みたいに「ちょっと倫理的にマズい話に、その場の全員が笑ってやり過ごした」だなんてことになったんじゃないのかしら、とも。


まあ…私が難しく考えすぎなのかもしれないけどね。
でもやっぱり、2週間くらいこの問題考えましたが、最後には結局

「哲学だわ」

に収まりました。笑

多分シンプルに解いてりゃ良いんでしょうね。
そんな「哲学」じみた事たくさん考えてないで。


あともう一つ。
弊大学にはありませんが「哲学科」が設置されてる大学、どうかこの先も末長くその学科生かしておいて欲しいなって。笑
結局人生は哲学なので


文系博士号の称号が「Ph.D.」"Doctor of Philosophy" である理由がよくわかった瞬間でした。

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