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2023.1.2 ケイコ 目を澄ませて

あなたの思う「普通」とは何だろうか。
それは、あなたが経験してきた、変わらないもの、安心できるもの、当然だと考えるもの、そんなところから由来するものだと思う。
五体満足な人はそれが普通だし、英語を話す人はそれが普通なのである。
では「ケイコ」にとっては…耳が聞こえないのが普通なのである。

音のない世界。

私には到底想像がつかない。私には音が聞こえるからだ。
それでも彼女の生活の中には音が、音楽が存在している。
作品の中で強く感じた。

【ネタバレあり】
冒頭のコンビネーションミットでぶったまげた人も多かったのではないだろうか。
なんというリズム、なんというスピード。
ボクサーはあんな高難度の練習を毎日続けているのか。
その一言に尽きた。
ジムで楽しく(必死にみんなについていきながら)音楽に合わせて格闘技レッスンをやっている私では到底初見でできるわけのないムーブであった。
それを彼女は音のない状況でこなしている(と想像する)。
幾度もの挑戦と目と体の反応で覚えている。

物語は彼女の生活を淡々と描いている。
日々の練習、弟との共同生活(たまに彼女?も)、ホテルの裏方、実家の母親との時間、そして試合。
そして彼女にとって大きな出来事でもあるジムの閉鎖。
彼女には葛藤が生まれる。
母親からの心配、慣れ親しんだ場所を離れ、他のジムでやっていけるかという不安。
言葉がないからこそ、彼女の外側から雄弁に伝わってくる。

淡々

あくまで淡々なのだ。

「普通」の映画に慣れていた私は、試合に敗れた彼女のその先を期待してしまっていた。
「これからもうひと踏ん張りあるんだろうな。もう一度試合をして勝つんだろうな。」
ほとんどの客がそう思ったのではないだろうか(私だけ?)。

そうはならない。

ロードワーク中に対戦した相手に出会い、彼女には聞こえない感謝の言葉を残して去っていく。
彼女にはどんな感情が芽生えたのだろう。
相手の表情から言葉を受け取ったのだろうか。
目に涙を溜め、振り払うように走っていく彼女の姿で物語は終わっていく。
そう、これからも彼女は彼女の人生を生きていくと語るように。


この作品には物語を彩るBGMもない。もちろん主題歌もない。
そんなものが最後にあったら興醒め中の興醒めである。
他人が音で彼女の世界を色づけするな。
その辺りに制作陣の熱量がうかがえた。大変感謝しております。

【余談】
①しかしまぁ聴覚障害をテーマとした作品には音楽がつきものなのだろうか。
昨年大泣きした「coda あいのうた」ではもろに音楽がテーマであったし、今回の作品ではケイコの弟が家でギターでボッサ風の宅録をしている。
耳が聞こえない人にとっての音楽カルチャーとは一体どのように映っているんだろう。
またどこかの機会で聞けたらいい。

②最近「ウェンズデー」から「アダムス・ファミリー」を見てきたのだが、いよいよもってマイノリティに目を向けざるを得なくなってきた。
自分も言うなれば学生時代はマイノリティに属していたのかもしれない。
今後、さらにその方面に目を光らせて生活していきたいと思う。

一読いただきありがとうございました。

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