華物語:縷紅草
くて、と机にうつぶせた同居人は、小さなうめき声をあげたきり、動かなくなった。なんとなく見守っていたら、ちょうど三分間経った。
「カップラーメンができあがるなぁ」
さすがに三分間も見つめ続けると動かないものを見ているのにも飽きてきて、のんきにつぶやいたりしてみる。つぶやきを耳にしてか、うつぶせた同居人がぴく、と小さく動いたのを視界の端にとらえた。それを目にして、おやこれは、といたずら心が働いた。
窓越しの風景を眺めてみる。雲ひとつない空は、燦々と輝いている。心なしか、陽炎めいて見えるのはなんだか世界があぶられてるみたいだなと感じ、でも、と口が開く。
「でもなぁ、暑い日に熱いものを食べるのもどうかなぁ。それならそうめんもいいかもしれない……」
わざとらしく聞こえないように、それでいて本音の悩みも混ぜながらこぼしてみる。そうめんには反応がない。
「さっぱりばっかりだとつまんないかな。薬味たっぷりでいけばパンチがあっていいかも……?」
ぴく、と細い肩が揺れた。ふむ、と吐息を吐く。
立ち上がってキッチンに行き、冷蔵庫のドアに手をかける。しっかりと密閉されたドアは、軽く引くと抵抗が強い。ぐ、と力をこめて開けると、ひんやりとした冷気が頬に当たって心地がいい。
と、いけない。冷蔵庫の冷気にひたるのが目的ではないのだ。サイドポケットに立ててあったボトルを掴み、ドアを閉じた。薬味が揃っていることはばっちりチェック済みだ。ちらりと視線を向けると、動いた気配はない。
カウンターに洗いっぱなしにして置いてあったグラスを手に取り、ボトルの中身を注いだ。涼しげな水音とともに注がれた麦茶は、ひんやりとグラス越しに冷気を伝えてきて、それもまた涼やかさが得られて良い。飲み干して、うん、と頷いた。
「冷やし中華」
ぴく、は見えたものの、動きは小さい。
「唐揚げ」
お、少し大きなぴくり、が見えたぞ。
「……焼き肉?」
がば、とうつぶせていた同居人が起き上がった。真っ赤な顔をして、こちらをきっとにらみつけてくる。
「もぉぉぉぉっ! 美味しそうなものばっかりつぶやかないでよぉぉぉっ!」
涙目で訴えられて、思わず笑ってしまう。「なんで笑うのよぅ」と同居人は不満たらたらだ。
「頑張ってたら暑くて嫌になったのはわかったから、どうしたら元気になってくれるかと考えてみました」
「元気にするために美味しそうな食べ物つぶやいてた……ってことは、食いしん坊扱いしてご機嫌とったってこと!?」
「そう思うんなら、そうかも……?」
「もぉぉぉ~!」
顔を覆って再度突っ伏してしまった同居人のそばに戻り、机にうつぶせた頭をよしよしと撫でる。
「ほら、腹が減っては戦はできぬっていうし」
頭は上がらないし、返事も返らない。これは逆にご機嫌を損ねたかなぁとちょっとだけ反省してみる。
「焼き肉食べ放題、タン追加、デザートつき」
ぽそ、とつぶやくと、撫でていた手をがしり、掴まれた。
「国産カルビ、わさび醤油も追加で」
「……おぅ」
別料金追加となるメニューを、低い声で要求され、反射で答えて数秒。ふは、と声にならずに吹き出して爆笑してしまった。
もう片方の手に持っていた、置きそびれたままのグラスを握られた手の甲にそっと当ててみる。びく、と震えたのは、驚きからか。
「ほら、持ち帰り仕事、早く終わらせてデートしよう。まずは水分補給して、ね?」
待ってるよ、と優しく声をかけると、ノロノロと起き上がりながら「……はぁい」と同居人の口から返事があった。
ただ、やる気のない態度の割には頬は上気して瞳は星を宿したようなきらきらしていたので、焼き肉への期待は大きいようだ。よし、と気合いを入れ直して下敷きにしていた「持ち帰り仕事」にとりかかる姿からきっとはかどるだろうと予想ができた。
良かった、と心底ほっとしたことが、同居人には伝わりませんようにと願いながら。
ひとつ屋根のした、体力気力のゲージの最大値が低い同居人との生活は、なかなか興味深くて気を遣う。けれど、それを心底楽しんでいるのは、ひとえに愛情ゆえだな、と眼下の小さな頭をもう一度撫でてみる。
優しい感触は、幸せのさわり心地だなと思った。
縷紅草
7月23日、8月10日、8月24日誕生花
花言葉は「繊細な愛」「でしゃばり」「おせっかい」
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