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四大陸物語~北~

『ラ・スピリのお世話役』

 この大陸には、尊い御方がいらっしゃる。とおばあちゃんが言った。
 尊い、という言葉がどんな意味かはわからなかったけれど、いつもはふんわり柔らかくお話をしてくれるおばあちゃんが少しずつぴりりとした顔をしていて、それでいてぴしりと姿勢を正して言い聞かせてくれたことを覚えている。
 あれは、おばあちゃんがその御方をとても大切に、そして誇りに思っていたのだと、今ならわかる。
 尊い御方って、どんななの。
 舌足らずの自分の問いに、おばあちゃんはその瞬間だけ甘く目を細めて、うっとりしながら人差し指を立てて言った。
 その方はね、『ラ・スピリ』と言うんだよ。
 あまねく世界に存在する精霊に愛される存在。精霊の声を聞き、対話することができ、また精霊の力を借りることや自身が精霊の力を有しているとされる誓約の巫女。その巫女を、我らは『ラ・スピリ』、精霊の愛し子と呼ぶのだよ、とおばあちゃんは優しく教えてくれた。

 『ラ・スピリ』とは、北大陸において、精霊に愛された存在なのだという。精霊の声を聞いて対話し、一族を守り、慈しむ神秘の巫女なる存在として崇められている。
 かの存在は、精霊と一族を結ぶ存在とされ、一族を率いる。
 ただし、常に大陸にあるわけではなく、時折精霊の加護を色濃く持って誕生する。数年の時を経て現れる時もあれば、百年の時を数えても現れることがなかった時代もあったと一族では言い伝えられている。
 そして、現在においてこの北大陸には、その言い伝えの巫女である『ラ・スピリ』が存在している。
 族長の妹として生まれた彼女は、ヨタという名前なのだという。精霊の加護の強さを体現するように、森の一族が受け継ぐ亜麻色の髪と琥珀の瞳ではなく、赤茶の髪に朱色の瞳を持って産まれた。産声を上げた時には大地に一斉に花が咲いたという。一族に待ち焦がれ、待ち望まれて産まれてきた、一族でなによりも大切な尊き巫女。
 祖母はそんな彼女のことを、しばしばシェロに話していた。名前どころか『ラ・スピリ』と呼ばうこともおそれ多いと言い、尊き御方、と彼女のことを呼んでいた。祖母が産まれたときからヨタ様が誕生するまで、『ラ・スピリ』はいなかったそうだ。およそ百年を数えるほどだと、言い伝えになりかけた時に産まれた希望を、祖母は誇りにしていたし、嬉しそうにシェロに語っていた。
「子の産まれる数が少なくなってきているいまに、尊き御方のすぐあとに産まれたお前は幸せ者だね」
 祖母は枯れ枝のような、それでいて優しいぬくもりを宿した指でシェロの頬を撫でながら言った。シェロよりひとつ年上の、巫女と崇められ大切にされている少女。一族にとってとても重要な存在なのだという。
 そうやって崇められる立場でいる気持ちは、どんなものだろうとシェロは思っていた。会うことはないだろうけれど、いつか聞くことができれば、話をしてみたいとこっそりと思っていた。
 そんな風に過ごしていたある日、母が言った言葉に、シェロは目を丸くしてオウム返しで答えた。
「お世話役?」
 そうよ、と母が洗濯物を取り込みながら説明したのは、『ラ・スピリ』のお世話役を決める話がでているという話だった。『ラ・スピリ』の傍には、族長である兄、ザジャ様のほか、幼馴染であり『誓約の巫女』のセツカ様もいらっしゃるが、どちらも尊い役目を負っているために身の周りのことについて手助けを行う者を据えようという話になったらしい。
 今代の『ラ・スピリ』であるヨタ様は現在齢十五歳。普段は森の最奥の族長の邸で、ほとんど姿を見せることはない。人よりも精霊に近い身体のため、精霊の力となじむために日々を過ごしているのだと聞く。
 さらに十五歳という繊細な年頃とされる年齢であればこそ、できれば年の近い者をとはじめは考えたらしいが、残念ながらその条件にするとずいぶんと候補者は絞られてしまう。なにせ、一族はそれほど多くはなく、ヨタ様に年が近いとなるとさらに少なくなってしまう。
 一年の約半分を雪に閉ざされ、夏と言える日も短いという北大陸の過酷な環境に加え、もともとがあまり他者と交流を持たないせいもあり、一族の人数は他大陸どころか北大陸内においても多くはない。そうなれば自然、一族の婚姻は血の近しい者同士が結ばれることが多くなり、結果、血は濃くなったものの短命もしくは子が生まれにくく育ちにくい状態になっている。さらに、『ラ・スピリ』を守るためにもともと森の奥に住んでおり、しかもヨタ様が生まれてから森の奥に拠点を移しているため、一族の繁栄を考えると今後なんらかの対応が必要となってくるはずだ。
 と言っても、そのような難しい話はシェロにはまだ理解が及ぶはずもない。なにせ、シェロはまだ十四の年を数えたばかりだ。恋もまだ知らない。一族の繁栄なぞ考えが及ぶはずもなく、毎日どうやって楽しいことをして過ごそうかなどと考えているくらいだ。
 ただし、『ラ・スピリ』であるヨタ様にはすでにカロサ様という許嫁がいるそうで、一族内で精霊に近しい血を残すためとあればさもあらんと言ったところだろう。
「お世話役って、大変なの?」
「どうだろうねぇ。日々の鍛錬をこなされているヨタ様を支える素晴らしいお仕事、とはオババは言っていたけれど」
 オババ、は、一族で一番長く生きている女性だ。族長への助言を行ったり、精霊信仰の教えを伝えていく役割をこなしている。腰が曲がってはいるものの、体を支えるためにつくべき杖を、ぶんぶん振り回しながら悪ガキどもを叱っているのを目にする方が多い。
「じゃあ、話し相手とかってことかなぁ」
「そこまで簡単ではないだろうけど、ヨタ様はご自分のことは人任せにせず自分でできてしまうようだし、そんなにすることもないだろうかね」
「じゃあ」
 シェロはにこにこと笑って言った。
「私にもできるかな?」
 母は腕に洗濯物を抱えて一瞬立ち止まった後、吹き出した。
「ずいぶんと大きく出たね! 確かにヨタ様に近い年ごろと言ったらシェロが一番だろうけど、まだ甘えん坊なシェロにその役割が務まるの?」
 豪快に笑う母に、シェロは頬を膨らませる。そこまで笑うことはないのではないか。確かに、寝坊したり言いつけを忘れて叱られることはあるが、『ラ・スピリ』の話し相手くらいにはなれるのではないだろうか。
 『ラ・スピリ』には一族を守り慈しみ、直接的に一族と精霊をつなぐお役目があるのだというが、そんな彼女を支えるお世話役は、なんだか素敵な響きで、自分にもそんなお役目が欲しいと思っただけなのに。
 精霊が見えて、精霊の力を使うことのできる彼女のそばで、自分にもできることが一つある。
 シェロは、精霊がいることがわかるのだ。彼女が精霊と対話してお役目をするときに、この力が少しは役に立つのではないかと思っている。
「私、縫物が得意だし、動物にだって好かれるもの! 『ラ・スピリ』がのんびりしたいなぁって思われた時に、私がいたら一緒にのんびりお話したりできるよ!」
 強い反論に、母は笑うのをやめてシェロをじっと見つめた。母の視線はまっすぐで、強い言葉はまずかっただろうかと思ってたじろいだシェロだったが、洗濯物を籠に入れながら問いかけられた母の言葉に、ぴょんと飛び跳ねる。
「シェロが本気なら、お父さんから族長様にお話してもらうよう伝えるけど?」
「……! やる、やります!」
「ただし」
 空いた手の平をシェロに向けて制止するような仕草と共に、母は稔夫氏の言葉を伝えてくる。
「お世話役になったら『ラ・スピリ』の傍にいる者、ということでみんなの目が厳しくなるんだよ。ただのおてんばで縫物が上手なシェロじゃなくて、『ラ・スピリのお世話役のシェロ』ってみんなが見て、それを求めてくる。責任が伴う。そういうことをしたいと、シェロは言っているんだからね」
 うん、とシェロはうなずいた。ただの甘えん坊なシェロでは許されないのだと、それくらい『ラ・スピリ』の傍にいる人は大事な仕事を担っているのだと、母は説明しているのだとなんとなくわかった。そして、『ラ・スピリ』がどれほど大切に思われているのかも。
 祖母が、誇りを持って『ラ・スピリ』のことを話していた姿が浮かんだ。母も同じなのだ。シェロにもその自覚を、今、持てと教えてくれている。
「うん、じゃなくてはい、ね。言葉遣いも意識していくようにしないと……」
 と、まだなってもいないのにその気になった母からお小言とセットで指導が始まり、大変なことになったぞとシェロは思った。ちょっと早まったかなと思わなくもないが、それよりも、自分が新しいことに踏み出そうとしていることに高揚しているほうが勝っているのを感じ、気づけば合わせた両手に力を込めて握っていた。
 シェロは『ラ・スピリ』であるヨタ様にまだ出会ったことはないが、祖母や母や、きっと父も同じように、『ラ・スピリ』を誇りに思って大切にする自信がある。
 ヨタ様に会えたら、お世話役になれたら。精一杯「お役目」を果たそうと決意したのだった。

X(旧Twitter)のタグ「#いいねした人を自分の世界観でキャラ化する」にて応募いただいたフォロワーさんのキャラから生まれたお話


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