菜花
「っ!」
悲鳴が、室内に響き渡った。
次に聞こえた声に、漏れたのは安堵のため息と緩む笑み。
「おめでとうございます」
「姫御様でございますよ」
白磁の肌に、頬にのみほんのりと赤みがさした口元が三日月に割れた。
「そう……」
ほぅ、と一息漏らすと出産を終えた女性は眠りについた。
深い、ふかい眠りの底に。
見たのは、小さな希望と夢幻。
掻き消えたそれを胸に抱いて、ここまで来たのだと、彼女は思う。
それだけを得るために。
霧かすむ彼方に幸せな笑み。
「姫様!」
「ひめさまぁ~!!!」
とたとたと駆けてゆく軽い足音に、後ろから必死の形相の面々が追う。
それさえもうれしいようで、3つを数えるほどの幼子はさらに速度をあげようと、足を踏み出す。
と、それは目の前に現れた美しい色合いの衣に阻まれた。
「これ、侍女らを困らせてはなりませぬよ」
ぽすん、と幼子は衣の中に納まった。いさめる口調の割りに、笑みを含んだ甘い声。
幼子は捕まったというのにきゃらきゃらと笑っている。
後ろから幼子を追っていた者たちはまさか、同じようになだれこむわけにはいかず、ここ一番の力を振り絞って止まり、平伏する。
「奥方様」
呼ばれた女性はふわりと微笑んだ。
「菜子は、ほんに困った和子だこと」
その割には、困っていないと侍女らは思う。
姫に甘い女主人こそ、困ったものだと侍女らが親しみを込めて笑い声で返すと、女主人が心外だわと笑った。
穏やかな空気の中で親子と従者らの笑い声が高い空に響き渡る。幸せな風景があった。
朧月夜の夜に生まれた子ども。菜の花の咲く季節に。
淡黄色の光の中で、確かに赤子は微笑んだ。
あるべき場所へ帰ってきたかのように健やかで安心した、柔らかで心地よい笑みで。
彼女は夢を得た。
菜の花畑に見えた朧月と帰る家を。
それは月から来て、月へと泣く泣く帰ったかくやの姫ではなく、この世に生きる人の営みの末の、あるべき命。
人は生まれ行くたびに、帰ってくる。光宿した笑みをやどして。
「菜子」と名づけられた彼女の娘は、やがて夜の闇にかすむ朧月のような姫になる。
それさえも、彼女の見た夢の続き。
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