見出し画像

受けて、受けきって、そこからひっくり返す力

いきなりだがプロレスという世界はとても奥が深い。
だけど僕の周りの大半はそれを意識していない。
理解していないという言葉も出てきそうではあるけど、
そもそも理解の域にまでも達していないと思う。
プロレスは勝つか負けるかの話ではない。
勝つにも勝つなりの、負けるにも負けるなりの
ストーリーというものが必ず存在している。
僕はそんなプロレスの美しさに魅了されている。

強い者が勝つんじゃない、勝った者が強いんだ。
キャプ翼とかに出てきそうな台詞を言ってしまいそうな
そんな試合がここまでのセレッソ大阪では続いていた。
前にも書いたのだけどこれで強迫観念は綺麗サッパリ。
「勝ったん?」と問われてスムーズに答えられるやつ。
次の勝利のために必要な負けだったのかもしれない。
勝敗にこだわりすぎるサッカーへの警鐘だと思う。
試合を見ていてそんなことばかりを考えていた。

それにしても、近地の名古屋とは言えども、だ。
物凄い数のサポーターがモニタに映し出されて絶句。
30年前では考えられなかったことも今では当たり前。
アントニオ猪木の呪縛と同じくらいの遠い過去とは、
サポーターはもう、とうの昔にオサラバしている。
あとはリズム。あとは相手との対話が必要だと感じた。
サッカーもプロレスも相手があってこそ成り立つ。
自分だけのペースで試合を進めることはできないし、
もしそうなったならばそれはもはや格闘技だ。
勝つことだけがすべてになってしまってはいけない。
個人的にはそう思ったりする大雨の昼下がりだった。

繰り返しだがプロレスという世界はとても奥が深い。
プロレスの醍醐味は受けの美学であると僕は思う。
相手の100%をすべて受けきることから始まって、
相手の100%を上回って勝つからこそ称賛されるのだ。
一方的な勝利などなんの意味も持たないし、退屈だ。
そういう目線で今年のセレッソ大阪をよく見てみると、
ほぼ全試合がプロレスで言うベストバウトではないか。
相手チームの良さが殺されていないゲームの連続体だ。
僕の愛するチームがこんな戦いを見せてくれることが、
実は僕にとってこの上なく嬉しい出来事でもあるのだ。

2024年シーズンではじめての敗戦ではあったものの、
勝つとはこういうことであり負けるとはこういうこと。
改めてサッカーとプロレスは近しい関係だって気づく。
うちは多分ここからもっと強くなると確信した。
受けて、受けきって、そこからひっくり返す力。
手に入れるのは果たしていつの頃になるのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?