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落合直文『御代のほまれ 巻の三』(大倉書店・明治28年)

みなさま、こんにちは。

学生時代、古本まつりがあるとよく出かけて行って古書を漁っておりました。今日はいつかの古本まつりで買った落合直文おちあいなおぶみ著『御代のほまれ 巻の三』(大倉書店、明治二十八年)について、その序文を紹介したいと思います。

みなさまは落合直文(文久元年~明治36年)という人物をご存じでしょうか。歌人・国語学者として知られており、皇典講究所(國學院大學)には晩年まで在職されていたそうです。昨年5月に、梶原さい子著『落合直文の百首』が刊行されました。

書影。和綴じ本です。

「兄は、海軍の軍人にして、威海衛攻撃中なり」で始まるこの序文に私は心を打たれました。日清戦争の威海衛の戦い(明治28年)の場面でしょう。

父は亡くなり、母は病臥しています。家運が傾くなか、「兄君一人が、この世のたのみなり」と言って、十三歳の妹は冬の夜、着物を脱ぎ捨ててひとり井戸水を汲みに外へ出ます。手桶に二度も三度も汲んでは髪を振り乱して一身に浴びる。身を清めるのです。そして手を合わせて心ひとつに祈ります。そのさまを母が戸を少し開けて見ている…。声をかけようにも声が出ません。ああ、なんという境遇でしょうか…!

あくる朝、その日は兄の誕生日でした。父の喪であるから赤飯は炊くことがはできません。そこで手紙をしたためるのですが、そこに添えられた歌が読む者のこころを揺さぶるのです。雪降る戦地の兄を思う妹のこころのうつくしさ。

以下、序文を転記してみます。なお、現在使用されていない変体仮名は読者の便を考慮して常用のひらがなに改めました。踊り字(ゝ、〳〵)も表記を改めています。また、ところどころに〔 〕で註を入れました。

兄は、海軍の軍人にして、威海衛攻撃中なり。父は、兄の出征後、身まかれり〔亡くなった〕。母は、父のうせし後、ここちそこなひて〔病気になって〕、今猶枕をはなたず。少女あり、年十三、よく、母を看護して、怠らず。

ある日、母、娘をよびよせて、父君のうせ給ひてより、はや三十日にもなれり。今までは、兄にも知らせざりしが、後のうらみやおほからむ、一筆かきて、いひおくらば、いかにといふ。少女、御ことばはさることながら、今が大切の戦争とうけたまけりはべり。その戦争に出で給ひたる兄君なり。高きほまれを得給ふも、この時にはべり。さるに、悲しきことを知らせまつらむには、それがために、おくれをとらせ給ふ事やはべらむ。さあらむには、実にゆゆしき大事にこそ。今しばし待たせ給へといふ。母はうちうなつきたるままにて、何事もいはず。

肌もさくる冬の夜、少女は、ひとり、目をさまして、つくつく思ふやう、父君は、はや世にましまさず、兄君一人が、この世のたのみなり。かしこにて、討死になとし給はむには、いかにかせむ、かかるをりの神なりとて、母のうちねぶれるを幸に、ひとり、勝手〔台所〕の方にいでたつ。戸をおしあけて、外にいつれば、屋の上、霜いと白く、月は、三空にさえわたれり。やがて、井戸のかたへと進み行きしが、立とまりて、着物をぬきすてつ。かくて、鈎瓶に手をかけしが、縄こほりて、思ふままにもめぐらず。車の音に、母の夢をや破らむと、しばし、ためらふ。辛くして、手桶に二つ三つ汲みあげしが、そを、うちあび、うちあび、手をあはせて、心ひとつに祈るさま、いかなる神にても、必ず、うけ給はむと、見えたり。

母は娘のあらざるをあやしみて、こも、勝手〔台所〕のかたへと出できたるに、水をあぶる〔浴びる〕音す。戸をすこしおしあくるに、吹き入る風、いみじう寒し。見れば、娘は、髪ふりみだして、なにか、しきりに祈願してあり。あな、あはれといはむとせしが、手もて、みつから口をおさへ、落す涙は、袖の上に氷れり。

あくる朝、俄に、風かはりて、雪となりしが、母は、とく起きあがり、今日は、兄の誕生日なり。父君の忌服中にしあれば、赤飯などたくべきにはあらねど、せめては、写真にても、とり出てて、かざれといふ。〔少女は〕うけ給はりぬといひざま、たちて、とり出だす。出征の前日、うつせるものにて、うちいさみ、うちよろこべるさま、面にあふれたり。あはれ、父君のうせ給ひしことを、きかせ給はむには、このいさめる御心も、いかに、みだれ給ふらむ。このよろこべる御顔に、涙や流し給ふらむなど、口にはいはねど、少女は、ひとりうちまもり居り。母は、庭のかたを見て、この雪はいかに、さぞさむからむ。父君うせ給ひしことは、ともかくも、一筆かきて、無事なりや否やを問ひやれといふ。〔少女は〕かしこまりぬとて、やかて、筆とりぬ。

今日は、旅順、明日は威海衛とさためなきは、御艦のならひなり。さては、文さしあけむも、いつ、とどくやらむと、今日まで、音つれもしはべらざりし罪ゆるさせ給ひてよ。御地は、さむさも、きびしきよし、ことに、波風あらしとうけたまはるを、かはらせ給ふこともおはせずや。ここもとは、父君も母君もすこやかにわたらせ給へり。否、父君は、風の御心ちにて、さきつ日より、御床にのみおはしませり。一時は、案じまつりしこともありしが、おひおひに、よきかたにおもむかせ給へり。
とかきて、涙を拭ひしが、また、
今日は、兄君の御誕生日にはべり。母君には、兄君の御写真をとり出てゝ、只今、見ておはします。わらはも〔私も〕、かたへにありて、そを、をろかみまつりぬ。父君は、すやすやとうちねぶりて、ましませば、御目のさめたる後にや見給ふらむ。
とかきつつけて、また涙をおし拭ふ。ややありて、母君、なにか、特別に、かきしるすべきことははべらずやといふに、母は、なにも、それといひやるほどのことなし。〔母が〕なにとかきたりや、読みきかせねといふ。〔少女は〕うけたまりぬといひしが、文つたなければとて、別によみもせざりしは、母のなげきをおそれてならむ。母は、俄に思ひつきたるさまにて、それよ、兄の出てたちにし日、父君、八幡の宮に詣で給ひて、いたたき給へる御守あり。それおくらむとて、枕もとなる紙入よりとりいたせり。少女は、そを見るや、あはれ、兄君の御身にことなかれといのらせ給ひしその父君は、今はいつこ。こはこれ父君の御形見なり。されど兄君には、知り給はざらむと、いよいよ涙を落す。かく、心よわくては、かなはじとや思ひけむ、母にうちむかひ、さらば、そのむねをかきしるしはべらむとて、また筆とりぬ。
別封は、兄君のために、父君の八幡の宮より、いたたき給へる御守なり。母君よりおくりまつれよとのおほせなれば、おくりまゐらするほとに、御肌につけさせ給へ。かく、父君にも、母君にも、ただ御身にことなかれとのみいのらせ給へり。あツぱれ、よき手がらをせさせ給ひて、このふかき御めくみにこたへ給はむことをいのりまつるになむ。かしこ。

かき終へしころは、雪、いたく庭にふりつもれり。少女は、しばし、うち案じてありしが、やがて、その文のおくに、一首のうたをしるせり。
    兄君のおはするかたやさむからむ
         ここにのみ降れ今朝の白雪
少女の、兄をおもふこころのほとは、そのつもれる雪よりもふかしとやいはむ。さて、このことは、この一月ころのことにして、ここに軍人といへるは、岩瀬某といふ人なり。少女とは、その妹にて、名を春子といふとかや。三篇の稿、成りたる時、岩瀬氏の知人なる高橋氏きて、このことを詳かにかたりしかば、つたなき序文よりはとて、ここにかかけたり。
  明治廿八年七月三日
                         萩の家の主人直文識

落合直文著『御代のほまれ 巻の三』(大倉書店、明治二十八年)

上記の序文に「兄君のおはするかたやさむからむここにのみ降れ今朝の白雪」という歌が出てきます。
実は似た歌が落合直文「萩之家集」にあります。なお、「萩之家」とは彼の号です。
「をさな子の死出の旅路やさむからむこころしてふれ今朝の白雪」
詞書は「長女文子のみまかれる日」とあるので、長女が亡くなったときに詠んだ歌と思われます。
清らかな白雪が娘さんの一生と重なって、悲しくも美しいイメージを喚起しています。
「こころしてふれ」の命令形が悲痛です。ここには、言葉にならない魂の慟哭があります。


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