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男子大学生の考える「真の豊かさ」とは。
この世界には無数の苦しみ、地獄、絶望がある。
それらの苦痛の程度は、当事者にしか分からなかったりする。
つまり、人には人の地獄があるってこと。
だからこそ、「豊かさ」を考えるときに、
・お金があること
・家族がいること
・友達に恵まれていること
・賢いこと
なんてふうに、端的には言えない。これは自明。
それならば、何が「真の豊かさ」なのか?
ここからが一番大事なところなんだけど、
「真の豊かさ」というものは、
それは、人が本当に苦しい時、悩んでいる時、目の前が限りなく死の色に近づいた時、
そんな苦痛の淵にいる時にこそ現れるものなのだと思う。
つまり、そんな状況に自分がなった時、
そこから「脱却すること」が出来ること。
これが本当の豊かさで、これが出来る人が、真に豊かな人間なのだと思う。
きっと人の生には、幾多の苦痛が待ち構えている。
だから、そんな死の淵から如何にして這い上がるのか。
それはもちろん、自分ひとりの力では成し遂げられないことである場合が多いけど、
人の助けを借りれるのも、その人の豊かさの度合いに起因する訳で、
結局、当事者の豊かさが問われてくるのだと思う。
ここからは自分の体験談なんだけど、
高校生2年生の頃、毎日が充実してた。
熱い仲間と部活に励み、勉強にもちゃんと熱心で、クラスでは友達に恵まれて、中学から付き合ってた彼女もいた。
「自分は高校生なりに、豊かな人間なのかもしれないな」
そんな傲慢な考えに自分が至っていることにも気付かないほどだった。
でも高校3年生の時、
僕は部活を引退し、受験に専念するようになってから、彼女とも別れた。毎日やらなければいけないことに忙殺されて、心身が徐々に衰えていくのを肌で感じた。(実際、鬱病の初期段階と診断された。)
そんな苦痛の渦中にいる自分に対して、もう「豊かな人間」だなんて思えなかったし、
2年生の頃の充実感は、春の夜の夢だったのかなとも思った。
この時、気付いた気がした。
そんな一過性の充実感は、「豊かさ」なんかではない、友達がいることも、彼女がいることも、人より勉強ができることも、「豊かさ」なんかじゃなかったんだ。
むしろ、ある種の絶望的状況に置かれている時に、どんな思考を発揮できるか。どんな行動が出来るか。
「自分を幸せにするための思考・行動をする力」を行使できるかが、「真の豊かさ」を持ち合わせているかどうかなのではないか。
じゃあ、「真の豊かさ」がそういうものなのだとすれば、どうしたら「真の豊かさ」を身につけられるのだろうか。
次回の記事では、そのことを考えていこうと思う。
ここまで読んでくれた方はありがとう(嬉しい)
まだ僕は若い。20年しか生きていないが、20年も生きた。(みんなありがとう)
ではまた。
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