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最終話 クズ男、恋に落ちる。|マッチングアプリ放浪記

「詠世くんは、これまでどんな人と付き合ってきたの?」

遥は僕の目を見つめて尋ねた。僕も思い切って彼女の目を見つめかした。すると、ふっと彼女は目を逸らし、長谷寺の見晴らし台から鎌倉の港町を眺めた。

前景に遥。後景に海。忘れることはない景色。


「気になるの?」と僕ははぐらかした。

「・・・別に〜」彼女はそっぽを向いている。

「中学と高校で4年間付き合った彼女がいたよ。男まさりで、負けず嫌いの身長の小さい人だった。意外でしょ?」

遥は驚いたように目を丸くして、僕を見た。

「全然想像できない。4年も付き合ったなんてすごい」そう彼女は言った。どこか嬉しそうにも見えた。

それからはしつこく4年付き合った彼女の話を聞かれた。ちょっと面倒だったが、遥には正直にいろいろと話した。

部活の帰りによく一緒に帰ったこと。ガストで一緒に勉強をしたこと。僕は元々少食だから全然ご飯を食べず、彼女に心配されていたこと。くだらない嫉妬から喧嘩もたくさんしたこと。浮気なんて一切しなかったこと。(少なくとも僕は。向こうはどうだったか分からないけど)

そんな話をしていると、遥は「青春だね」と言いながら、勝手に一人でしみじみしてやがる。(どういうテンションなんだか笑)



とまあ、そんなこんなで長谷寺で鎌倉の雰囲気を堪能しつつ、日も暮れそうだったので、僕らはまた海へと戻った。海は見ているとすぐ飽きる。でもまたすぐ見に行きたくなるものだ。



七里ヶ浜は、優しい潮の匂いのする街だった。淡いピンク色の空と水平線の相性は良かった。浜辺に足を踏み入れると波が絶え間なく、そして穏やかに押し寄せてくるのが見える。

遥は鞄からゴソゴソとフィルムカメラのようなものを取り出して、しばらく集中して夕日の写真を撮っていた。

「いい写真撮れた?」

「うん。いい感じ」

すると遥は写真に飽きたのか、ふらふらと砂浜を歩いて、適当な流木に腰をかけた。まるで、人間に海を見せるためだけに打ち上げられたかのような流木がそこにはあった。

僕は遥の隣に腰をかけて、二人で一直線に海を眺めた。


・・・分かっている。今言わずにいつ言うんだ。

穏やかな波と淡い夕日は、すべて彼女へのこの純粋な気持ちを伝えるために存在しているようなものだ。

僕は喉仏が小刻みに揺れているのが分かった。ペットボトルの水を飲む。冷たい水が喉元を過ぎて、腹へ落ちてゆくのを追った。



「遥、まだ俺のこと、嫌なやつだって思ってる?」

「思ってないよ笑」遥は海を見ている。

「俺、アプリ消したんだ。マッチングアプリ」

「え?! 消したの? 詠世くんの唯一の楽しみでしょ?」

「その言い方やめろ笑 ・・・別にもういいんだよ」

「いつの間に消したの?」

「遥にこの前、渋谷でフラれて、その日の夜に消したんだ」

「またインストールした方がいいよ」

「おい笑」



「・・・俺、純粋に好きだから。遥のこと。だからもう辞めたんだ」

ずっと言いたかったことが言えて、少しだけ安心した。


「んなぁ〜、調子がいいね」と遥はため息まじりに言った。



その後、数秒の沈黙が空間を裂いた。

何かが座礁してしまったかのような不安で、目の前の風景はとても薄っぺらに見える。その美しい海は、実体としてではなく、何らかの記号としてそこに存在しているような、そんな景色だ。

全てのものが後景化し、遥の表情だけに僕のピントは合っていた。

もう一度フラれるのだろうと思った。



「・・・・・・付き合わないよ」



一度失った信頼は簡単に取り戻せないんだ。そんなの分かってた。けれどやっぱり悲しい。



「今すぐはね。今すぐには付き合えない」遥は、そう言い直した。

「どういうこと?」

「今度ガスト行こうよ。ふたりで。詠世くんにご飯をたくさん食べてもらいたいので」

遥は、いつも通りの淡々としたトーンでそう言った。

僕は言葉が出なかった。本当に嬉しかったんだと思う。

「なんで? ただのヤリモクだった人間なんて嫌でしょ?」

「詠世くん、本当はそんな人じゃないでしょ? 本当はもっと根暗で、無口で、本好きで、冴えないタイプでしょ」

図星だった。

「・・・そうだけども」

「だからだよ。別に信頼してる訳じゃないけど、なんだかんだ楽しいし」


この時、僕は初めて本当の自分に自信を持てたような気がした。マッチングアプリを初めてから、自分を変えよう変えようと無理をしていたけれど、遥はありのままを自分を「楽しい」と言ってくれた。

僕は自分のアイデンティティをやっと好きになれた気がした。

口下手で、物静かで、本ばかり読んでいる自分。

それでもいいんだ。そう思えた。


そしてまた遥と会える。付き合えないかもしれないけれど、本来の自分でまた会える。

それが何より嬉しかった。



遥は珍しく、飽きずに海を見つめ続けていた。

「遥、そんなに海を見続けて飽きないの?」

「飽きないよ。だって今、ちょっと幸せな気分だから。詠世くんも、きっとそうでしょ? だからもう少し海を見てから帰ろう」

そうして僕ら二人は、芸術的な形の流木に座り、しばらく七里ヶ浜の潮風に包まれていた。



エピソード


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