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#12 アプリを消した。片想いは続く。|マッチングアプリ放浪記

遥の意向で、その日は鎌倉駅に現地集合となった。朝の11時に待ち合わせだ。

僕はソワソワとしながら横須賀線の電車に揺られていた。車内は空いていて、座席の両脇には誰も座っていない。11月下旬の冷たい風が、ドアが開くたびに流れ込んでくる。


遥を好きになってしまったことは、もう気付いてた。そして今までとは違って、誠実なスタンスで彼女と接することも決めていた。

そのとき、ふっと思い出した。

まだマッチングアプリ「T」を消していなかった。

僕はスマホのホーム画面に映るマッチングアプリのアイコンを眺めた。訳もなく眺めて、それからアンインストールした。いや、訳もなく眺めていたわけではなかった。

このアプリは僕の性格を変えてくれた。奥手で卑屈で、行動せずにウジウジしているだけのつまらない僕を変えてくれた。

そういう意味では、僕はマッチングアプリをやってよかったと、割とそう思っている。


僕は「T」を消すと、なんだか新しい気持ちになれた。爽やかで前向きになれるような気持ちだ。

だが、その気持ちが続くか否かは、今日にかかっている。

遥との再会だ。初対面で飲んだ後にホテルを打診し、無惨にも振られた相手との再デートである。(ほんとに緊張する)

泥臭く、非常にダサいことだということも分かっている。それを承知で、今日は「また会ってほしい」と僕からお願いしたのだ。


鎌倉駅でドアが開き、11月下旬の冷たい風が流れ込んできた。仄かに潮の香りを包み込んだ空気だ。




遥との待ち合わせ時間。僕は横断歩道の標識の下で立っている小さな女性を見つけた。晴れた空が鎌倉を覆っていて、透明な光が乱反射しているような優しくも明るい空気を彼女は纏っていた。

茶色の襟のないロングコートで、足元には独特な柄のスカートがあった。おしゃれすぎないおしゃれだった。絶妙なファッションに、僕はずるいなと感じた。


「詠世くん、待った?」独特の籠った声。高くもなく、低くもない。

以前に一度だけ「声が可愛い」と褒めたとき、彼女は全然信じてくれなかった。彼女すらも気づいていない彼女の魅力に、僕は気付いている。これは良いことだ。


「ううん。ちょうど来たとこ。今日は来てくれてありがとね、また会えて嬉しいよ」緊張を押し殺してささやかな気持ちを伝えた。多分ぎこちない挨拶だったと思う。

「全然いいよ! それよりさ、今日何するか私全然決めてないんだけど。ごめんね」

「とりあえず行きたいところは考えておいたから、まあゆっくり適当に行こう」

「おお〜、さすがだね。でもでも、ねえ、詠世くんの計画をぶち壊すこと言っていい?」彼女はいたずらな顔をした。

「なんでも言いなさい」

「サイクリングしたい」


っっっっっっ!!!


「・・・全然いいよ。確か駅前にレンタルサイクルがあったと思う」

僕は少し戸惑ったが、今日は遥ファーストで1日を過ごすんだ。自転車だろうが、セグウェイだろうが、なんでも乗ってやる。彼女をおんぶして砂浜だって走ってやる。

「ありがとう! あ、、でも待って、やっぱりやめよ」

「え?なんで?」

「秘密〜〜」

はぁ。やれやれ。なんて自由なんだ。だけど彼女といるとリラックスできる。それは遥が平気な顔で破天荒なことを言うからだろうか。僕に気を遣っている態度も見せない。やっぱり彼女といる時間は最高だ。



それからは変な話は一切せず、僕らはただただ遊んだ。前回会った時の話も、性の話も、当然しなかった。

美味しい匂いを辿って小町通りを2往復くらいしてみたり、江ノ電に乗って適当な駅で降りてみたり、海沿いのよく分からない住宅街のよく分からない路地を探検してみたりと、ただただ楽しかった。

いや。ほんとは僕はずっと、気が気じゃなかったのかもしれない。

それは今日、絶対に気持ちを伝えようと思ってたからだ。時間はかかるかもしれないけど、またこれからも会いたい、と。そう伝えるつもりだった。



時刻は15時くらいだっただろうか。海を飽きるほど見た僕らは、海に飽きていた。

海は決して美しくあろうとして美しくあるのではなかった。僕らが美しいと形容するから美しいのであった。だから僕らはすぐに海を見飽きるんだ。


「ねえ遥、苔とかみたくない?」由比ヶ浜を遠くから眺めながら僕は言った。

「苔!!見たい!!」と、遥は僕の唐突な提案に目を輝かせた。


そして江ノ電で、由比ヶ浜から一駅の長谷まで行った。長谷駅は趣のある造りになっていて、木の感じ(?)それがよかった。

歩きながらいろんな話をした。彼女は大学でデザイン系の勉強をしていること。彼女は適当そうに謙遜して話しているけど、彼女なりに一生懸命やっていることが伝わってきた。それはとても良いことだ。

あと好きな食べ物と嫌いな食べ物についても話した。彼女は味噌汁が好きで、きのこが嫌い。僕は漬物が好きで、しらすが嫌い。二人とも主食に興味は無いようだった。



苔を見るために入った長谷寺は、有料の寺院だ。

寺の敷地に入ると、池なり小川なりお地蔵さんなりが迎えてくれる。

有名な長谷寺のお地蔵さん

そして遥は、海を見た時よりもはしゃいでいた。

「わ〜〜!! 木がたくさんあるね! 苔もあるね!」

遥は急に馬鹿でかい声を出して、パシャパシャと頭上の木々を撮り始めた。

「遥、声でかい笑」と僕が思わず指摘すると

「うるさいだよね。ごめんなさい」と、刹那的反省をしたようだった。


そんなはしゃぐ彼女の姿が愛おしかった。(本当は彼女の可愛さについて、3000文字くらい語りたいのだが、紙幅の関係上、泣く泣く断念した)

そんな風に僕らは、あちこちの地蔵をジロジロ見ながら、ゆっくりと歩き、やっと長谷寺の展望スペースへと辿り着いた。

そこにベンチがあって、二人で腰掛けた。

「詠世くん、疲れてるでしょ?」

「え?疲れてないよ」(本当はめっちゃ疲れてる)

「嘘だね、君は体力が少ない。そんな顔をしている」

「うるせえな笑」


少し無言の間があった。

「詠世くんはさ、これまでどんな人と付き合ってきたの?」

遥は、僕の目を見ていた。世界中のすべての色が、その瞳に収斂されているような、そんな瞳だった。

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