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DXを成功したくば持統天皇に学べ:今のデジタル庁じゃ何も変革できないぞ

「大和朝廷と天皇家」という本を読んで5世紀以前の日本人というものを見て見ると、結構古代の日本人はいい加減だったんだなという気がします。
そもそも聖徳太子以前は読み書きできないのがデフォですし、日本書紀も古事記も天武天皇の事業ですから、当時の人間からして「100年前の日本人がやってたことを追う」のは不可能業に等しかったでしょう。
よって聖徳太子より前の時代に起きたことは伝説が多くなるのも仕方ないのでありまして、日本書紀や古事記から5世紀以前の日本を知るのは不可能に近くなってしまったわけです。
それと対比すると、今日の天皇家の土台を作った天武天皇と持統天皇の事業がどれだけ偉大なものかというのがわかります。
天武天皇と持統天皇無くして日本は奈良時代を迎えることはできなかったでしょう。天皇家が存続できたかさえ疑問です。
デジタル・トランスフォーメーション(DX)が叫ばれる今でありますが、天武天皇と持統天皇は今風に言えばジャパン・トランスフォーメーションを行った偉大な天皇と言えるでしょう。
思えば新しい風を起こし、国や組織を強くしたいと思うならこそ、歴史は参考になるかもしれません。
特にデジタルトランスフォーメーションをやりたいと思うなら、持統天皇の事業は実に参考になるでしょう。

🌸偉大なる失敗作:藤原京

天武天皇は「天皇」という地位を正式なポジションに定め、天皇家が安定する仕組みを作り上げました。
Amazon創始者のジェフ・ベゾスがよく口にしたと言われる「善意は役に立たない仕組みだけが勝つ」は正論で、天武天皇は正に天皇家が安定する仕組みを築いたわけです。
さて、天武天皇で天皇家が安定する仕組みは出来たわけですが、日本という国を発展させる上では、まだ決定打には欠けています。
本格的に日本を発展させるには、未知の領域に挑戦し、新しいものを作り上げなければならないのです。
そこで持統天皇は日本に長安式の都を建設するという事業を始めます。
どんな動機で長安式の都を作ろうとしたかわかりませんが、女性だからこその感性もあったのかも知れません。
今風に言えば「唐には渋谷109みたいなお店があるみたいじゃない! 飛鳥にはパシオスしかないのよ!!」みたいな感情があったとしても、不思議ではありません。実際、当時の日本に都会は無かったのです。
橿原市には藤原京の跡地があり、結論から言って藤原京は失敗しました。
藤原京の失敗要因はいくつかありますが、最大の失敗点は宮殿を街の真ん中に置いたこと。
今のように上下水道の発達した時代ではないので、宮殿を真ん中に置きますと入ってくる水が汚くなるのです。よって平城京では大極殿は街の北端にあり、初期の平安京も同じような作りになっています。
藤原京は確かに失敗作でした。ですが、藤原京で失敗したこと自体は問題ではないのです。
持統天皇は中国に行ったことがありません。当然、文献や伝聞から長安をイメージして京を作るしかないのです。よって失敗して当然なのです。
当時の渡航なんて命懸けですから、持統天皇が唐へ行ってないことも藤原京が失敗したことも問題ではないのです。
大事なことはやったことのない事業に挑戦したことと、失敗の反省を次に活かすことが出来たかということです。それは平城京で活かされ、山城へ出て行った桓武天皇の碁盤目状の京が今日、京都と呼ばれています。
逆を言えば今日の京都があるのは遡れば藤原京があったからこそであり、だからこそ藤原京は後の成功の糧となる『偉大な失敗作』なのです。

💻ベンチャーの人間を使わずに何とする

デジタル庁の失敗が今から見えてるのは、言うまでもなくデジタル庁に入っていく民間人材とやらです。
デジタル庁に入る民間人材はSIerの人間で、日立や富士通、NECと言った面々が送り込まれ、ITゼネコンの巣窟となりそうです。もうこの時点でデジタル庁の試みは失敗するのが目に見えています。

日立もNTTもNECもITゼネコンであってIT企業ではありません
だいたいSIerなんて、金融機関と官公庁案件が無ければとっくに倒産しています。
飛鳥時代から奈良時代への橋渡しは、天智天皇が破壊と種まき、天武天皇が安定、持統天皇の段階で創造の段階と言えるでしょう。
持統天皇は藤原京を造り、大宝律令を制定して奈良時代へのバトンタッチをしましたが、ここまで行けたのは中大兄皇子が蘇我氏を討ち、改新の詔という種まきをしていたことが大前提です。
「じゃあSIerって古代の日本で例えたらどんな存在やねん」って言うたら、そりゃ蘇我氏です。
だいたいからして日本企業のクラウド化を阻んできたのは他でもないITゼネコン共ですし、こいつらがデジタル庁に参画する時点で『令和の改新』などあり得ません。
尤も、蘇我入鹿はカリスマ性のある人物だったと言われますし、そんなものの欠片もないSIザウルスは蘇我氏ですらないかもしれません。
令和の改新に当たって最初に必要なことは前例主義からの脱却です。ITゼネコン人材を抱える時点でデジタル庁のDXに対するやる気の無さが見えてしまうもんです。
飛鳥時代の中国渡航が命懸けだったのに対し、今はシリコンバレーに行こうと思えば行けるでしょうに、長安に行かずして「長安のような街を作ろう」とチャレンジした持統天皇に比べ、シリコンバレーに行こうと思えば行けるのに行かず、SIerと癒着してしまうデジタル庁。こりゃ飛鳥時代の天皇の政治に劣る愚行というものです。
あぁ、もしかしたら菅政権のDXごっこと持統天皇の本気の改革を比較すること自体、不敬かもしれませんね。
いや、ダメだ、令和の改新なんてできるわけが無い。
ITゼネコンの解体くらいはやらないと、日本沈没待ったなしだぞ。

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