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結局Vの世界をダメにしたのはVのファンな気がする件

京まふで星街すいせいのライブ映像(?)を見た時、ふと「そういや私のVに対する印象は星街すいせいが作ったんやった」と思い返します。
そう、私にとってVTuberの初期のイメージを構成したのはキズナアイでもミライアカリでもなく、星街すいせいだったのです。

星街すいせいはホロライブのキャラクターですが、私はホロライブを「未来の声優を育てるプロジェクト」だと勘違いしていたのです。
まぁ折しも、星街すいせいを知った当時はとある事情でVTuberの研究をしなければなりませんでした(めちゃくちゃ乗り気じゃなかったけど)

それがエラい勘違いだと知ったのは潤羽るしあ事件でした。
まぁ一応研究のために頑張ってVTuberのコンテンツを視ようとしたことがあったんです。
ただ幾つかのVTuberの動画も20秒視聴するのが苦痛でした。

「いや無理、なんかこのノリ無理」と思っていたのですが、京まふで星街すいせいを見て、ふと思い付いたことを今回は書いて行こうと思います。

🍷電子キャバクラと化したVT

潤羽るしあ事件は様々なことがわかりました。
言ってしまえば、あの一事件だけでVTuberの見たくない現実が全て濃縮されていたとも言えます。

まず決定的に分かったことは、多くのオタクはピクセルで構成された映像の女の子より水と脂肪とアミノ酸で構成された生身の女性が欲しかったということです。
そりゃ虎婚がサービスとして成立しますし、ZWEIやオーネットがオタクを鴨(カモ)として考えるわけです。

まぁ考えても見ればコミケでも上海から来たコスプレーヤーの女性をカメ子が取り囲んだ事件からも、その解に至るべきでした。
いやぁ…失敗失敗。

なので私個人としては「中の人のことなんかどうでも良くないか?」と思ったところで、多くのオタクはそうはいかないのです。
何故なら「中の人こそが本命」だったのですから・・・。

そして「中の人こそが本命」という状態がスパチャとなり、一種の電子キャバクラの世界へ突入します。
或いは見方を変えるとパパ括の世界なのかもしれません。
こうなってしまうと部外者から見れば「Vのファンはキモい」ということになり、新規リスナーは減るわけです。

よくVTuberのキャラ名でGoogle検索かけると「中の人」や「前世(いわゆる中の人の顔)」が後続に続くでしょ?
残念ながら第三者目線で見れば、これがVの世界のキモさが助長されてしまい、なんだかんだで「アイツらやっぱピクセルじゃ満足できなかったんか」ということになるわけです。

京まふでは知多娘ブースで知多娘演じる声優さんが売り子をやってたのですが、なかなかご当地(アイドル)キャラの広報も大変やなと思いました。

「京まふって何かコミケみたいな感じですね」と言われた時には苦笑いをしてしまったものです。
確かに京まふも地下はコスプレスペースになってるのですが、少なくともそのスペース以外はカメ子君はいないのでね・・・。

アイドルマスターなんか見ればわかるとおり、最近は声優のアイドル化も進んでライブをやるのは中の人です。
AKBの握手会なんて考えた秋元のセンスも大したものですが、近年はアイドルは「会える」が焦点になり、声優も「会える」存在になりました。

その延長なのかどうかわかりませんが、やはりVTuberも「中の人が本命」とか「ガチ恋勢」なんてのが居たりするわけです。

「こういう(オタク達を相手にする)仕事に比べればIT業界まだ楽やわ」
なんて考えてしまいますね。
正直、アイドルやら声優やらとは住む世界は分けておきたいと言うのが個人的な感覚ですが、それはもう古い価値観なんでしょうね。


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