生きてることのすべてはボーナスポイント/心の中に松岡修造をインストールする
人生でいちばん重要なのって、「何を成し遂げたか」ではなく「それらすべてを通して、自分をどう捉えるか」なのだろうなと思う。
自分の価値をどれだけ認めてあげられるか。
どれだけありのままの自分を受け入れられるか。
どれだけ自分を信じて、一番の味方でいてあげられるか。
そういう意味で、わたしはこれまでほぼ全くと言っていいほど、自分に対して優しい声かけというものをしてこなかった。
そもそもつい数年前まで、自分に対して声をかけるということをやろうということ自体全く頭になかったし、そうしようと思いつくことさえなかった。
わたしの頭のなかは常に開けっ放しの蛇口のように、自分自身への批判、叱咤、そして外の世界に対する不平不満で溢れていたのだ。
でもここ数年の色々を経て、そっと隣に座り、しばらくその流れる水音に耳を傾けたあとにその蛇口をキュッと締めて、自分をちゃんと包みこんで、称賛の言葉をかけてあげるということが少しずつできるようになってきている。そして明らかにそれは、わたしにこれまでに経験したこともなかった良い変化をもたらしている。
自分で自分を褒めることは、日本の文化のなかに深く浸っている状態ではなかなか難しい。
ナルシスト、自信過剰、目立ちたがり、イタイ、勘違い野郎、かぶれてる等々々、自己を肯定し、自分らしく生きようとする人の出鼻をくじき、足をひっぱろうとする言葉が、残念なことにこの国には山のようにある。
他の国の文化事情は詳しくはわからないからこそ「こんな風潮があるのは日本だけだ」「だからこの社会はだめなんだ」と、社会のせいにしたくなる自分がいたし、だからこそ海外がうらやましいと思い続けていた節がある。
けれど広い目で見れば、もしかしたらどこの国でも同じような風潮があるのかもしれない。つまりは結局、どこにいても自分次第なのだ。
でも誰だって、それまで全くやってなかったところかいきなり自分のことを褒めるなんてできないし、やろうとしてもなんだか恥ずかしくて躊躇してしまうもの。だからこそ、「誰か」が代わりに望む言葉を言って、背中を押してくれたらいいのにと願う。
しかし「誰か」が認めてくれるまで待つのか、それを自分でするのか、どちらが早いかは一目瞭然だ。
「自信がないなら、本気で自信があるフリをしてみなさい」という、亜耶バネッサさんの言葉を読んだときはシビレた。
「本気で自信があるフリしたこと、ある?」と聞かれれば、答えはノーだ。
自分の内側からほんとうに自然発生的に自信や肯定感が湧き出て、自然と自分を褒めることができるようになるまでは、ちょっと優しく褒めるくらいでは、すぐに元の鬼将軍にやられてしまうものなのかもしれない。
むしろあえて大げさすぎるくらいに全力で自分を褒めちぎって、称賛の嵐を浴びせ、自分を褒めることになれることが有効だ。例えて言うなら、どんなときでも自分を絶賛してくれる松岡修造をインストールする、みたいなかんじで。
(↑松岡修造ではないけれど、これまた最近「最高!」と思ったポストのうちのひとつ。)
生きていることのすべては、ボーナスポイントなのだ。
今日も朝目覚めることができた。歩いた。トイレに行った。ご飯を食べた。それだけで、もれなく「天才!」「素晴らしい!」と叫んでいい。冗談ではなく、本当にそうなのだと思う。
自分で自分をどう捉えるか。そのイメージがアップグレードされていくたびに、人生もきっといつの間にかアップグレードしているはず。
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*𝔽𝕖𝕞𝕚ℝ𝕚𝕤𝕞*古川明美『社会に求められるわたし』ではなく、『わたしがありたいわたし』として生きながらも【わたしらしい美しさに目覚める】ためのコンテンツを配信。✦ダンスインストラクター
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