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おせち廃止宣言

SNSをやるようになって以降のお正月で、ひどく驚いたことがある。みんなおせちを各家庭できちんとつくっていることだ。

自分の実家では、おせちは買うものだった。毎年同じ仕出屋さん(?)に注文していたはずだ。そしてあるときから、おせちそのものが廃止された。

母親から、おせち辞める宣言が発令されたのだ。

理由は何てことはない。みんな食べないから。持て余すからだ。おせちに子どもが好きなものなんて基本的には入っていないので、子どもは食べない。酒を飲まず子ども舌な父親も食べない。ローストビーフとかエビとか、そういうやつだけ食べる。田作りやなますや昆布巻きなどは、母や祖母が“処理”する格好になる。廃止にしたくもなるだろう。

セメントはおせちの冷たいのが嫌でいろんなものをチンして食べていた。

代わりに元日の食卓に上がるようになったもの。ポテトサラダ、エビフライ、ヒレカツ、イカのマリネ、ミートローフ。ほぼ運動会のお弁当である。運動会のお弁当を元日の昼に食べ、芸能人格付けチェックを流しながらステーキかすき焼きを食べる。

結局それはそれで手間だからなのか、お正月っぽさがないからなのか。その後おせちは復活と廃止を繰り返した。NUMBER GIRLか?

地方における正月の女は労働力なので、自分も中高生くらいから手伝って台所に立った。品数が多いのは大変。全員食卓に着くタイミングで全部熱々の状態って基本不可能。あとポテサラは買った方がいい。

炎上の余地すらない。ポテサラは買おう。

いろんな試行錯誤と紆余曲折があり、ここ数年はハイブリッドに落ち着いている。小さめおせち+ちょっとした運動会である。ちょっとした運動会ってなんだ。クラスマッチか。

今年はエビフライをはじめとするフライを何種類か揚げ、キッシュをつくり、ポテサラをつくった。ポテサラは買った方がいいと母親にまだ言えていない。私は粛々とイモをつぶすだけだ。我々子どもたちも大人になったので、好きかどうかはおいといて、意味で食べることができる。子孫繁栄を食ったり、よろこびを食ったり、見通しを食ったり、五穀豊穣を食ったりした。エビフライはまっすぐの方が美味しそうだが、腰は曲げなくていいのか迷ったりもした。

本当はみんなSNSで言わないだけで、実家おせち謎ルールがあったりするのだろうか。

ちなみにセメントの実家のお雑煮は、具材が多過ぎてほぼ鍋である。野菜も冷蔵庫にあるものを適当に入れるし、おもちは入れても入れなくてもいい。鍋だ。でもお正月にポテサラを食べる家なので、鍋で正解なんだと思う。

ポテサラっておせちみたいな意味づけはできるのだろうか。(勝利を)ぽてっと攫うみたいなことだろうか。ヒレ勝とか、meet老父(老父になるくらい長生き)とか、ステーキな1年、とか。言ってて不安になるものばかりだ。あと私はポテサラがすごく好きだ。

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