わからない は つまらない ではない
たとえば何か漫画や書籍を読んだときに、あるいは音楽を聴いたときに。「わかんなかった」と思うことがある。
(映画やドラマやアニメなんかでもいいけれど)
自身にとってこの「わかんなかった」は、「面白かった」とか「共感した」とか「興奮した」とか「すごかった」とか。そういった抽象的なパッと出た感想のひとつなのだが、他人と共有する際にそう言うと、「つまらなかった」と捉えられることの方が多い。それに驚いてしまう。
いやいやちょっと待て。「わからなかった」は「わからなかった」でしかない。「つまらなかった」とは違う。
わからない理由は色々ある。そもそも自分がターゲットじゃない。時代が違う。背景知識が足りていない。今の自分の気分に合っていない。難しい単語や技法が出てきて知らなかった。とか。まだまだあるだろう。
しかしそれらを、「わからないまま」にしておいたっていいし、「わかる」に変える努力をする楽しみもあるわけじゃないですか。
「これがウケた時代があるんだな〜」
「この単語知らないから調べてみよう」
「もうちょっと大人になったらもう1回読もう」
もちろん、改めて読んだけどやっぱり「つまんない」だったわ、ってことがあってもいいと思っている。でも「わからない=つまらない」ではないはずだ。
いやわかる。わかるんすよ。「わからない」って少なくともポジティブな感想ではないじゃんみたいな感覚は。「面白い」や「すごい」とは質が違うでしょって、いいたいんでしょわかりますよ。
でもそもそも感想ってそんな手放し礼賛コメント以外は言っちゃいけないものなんでしたっけ?
もっといえば、ネガティブな感想が出てくるものは価値が低いこととイコールでもないじゃん。胸クソ作品とか鬱小説とかクソゲーとかは決して褒め言葉じゃないけど、必ずしも作品そのもの価値と直結しないでしょ。
「わかんない」には「わかんない」の価値があるんだよ。むしろ「つまんない」って感想ですら別にいいだろ。
JUDY AND MARYがYUKIになったときわかんないと思ったし、歳の離れた異性から『スキマスキ』を勧められたときもわかんないと感じたし、大御所コピーライターの作品だという昔のコピーを見たときも全然わかんなかった。
でもそれは対象が悪いわけでもないし、自分の感覚が変なわけでもない。
そのときにただ、わかんないなという感覚があった。それだけのことである。これから違う感想を抱くかもしれないし、わかんないままでも別にいいと思う。
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