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バンドで生計を立てようとしたら心が荒んだ話

大学を卒業しても就職はせず、僕は相変わらず音楽三昧の日々でした。大学では音楽サークルづけで他に友達がいなかったので、そんな人が多かったですね。就職、何の話? みたいな感じでした。就職しない方が少数派なのに、焦りは全然なかったです。

親は放任主義で、僕が就職しないことには何も言わなかったのですが、卒業したら仕送りは止めるので自活しなさいとだけ言われました。僕は家賃がかかる学生時代の家を引き払って、当時祖母が住んでいた母親の実家に転がり込みました。そこは昔下宿を営んでいたため二世帯住宅になっていたので、祖母の迷惑にならずに暮らせると思ったのです。卒業前年は授業が少なくなっていたので、アルバイトをまた始めました。

卒業してからはバンド活動をメインにしていて、それで生活をしようと必死でした。毎週のようにライブハウスやカフェやイベントで演奏して、演奏依頼がなければ路上で演奏し、時々友人の結婚式など依頼を受けて演奏をしました。
ライブといっても小さなハコでチャージバック(チケット売上高の 60〜70%くらい)をメンバーで割ると、良くても1万円くらいです。依頼演奏はバンドで3〜5万円でした。そのほかは週に3、4日は朝だけ近所のスーパーでアルバイト、午後は個人練習という日々です。お金を払って毎週レッスンにも通いました。人生で一番真剣に練習した時期です。

収入はアルバイトが6〜7万円、演奏の収入が4万円、他にCDの臨時収入が少々。家賃がかからなかったし、食費は自炊したり100均を活用したりして余裕で生活できました。健康保険は会社員の親の扶養で免除、年金は免除してもらっていました。

その頃のことです。税務署からいきなり住民税の請求書が届きました。確定申告をしていなかったためその年齢の平均収入で算出した税額で、僕にはとても払えない金額。不服があれば税務署まで来て確定申告しなさいと言われて、初めて確定申告(白色)をしました。先輩音楽家から「領収書を保管しておくと経費になる」とか「ゴニョゴニョして赤字申告すれば税金はかからない」といった質の悪い税知識を聞きかじりました。あの頃は大学を出たら税金を払うものという思考すらなかったです。

今思えば女の子のファンがついていて、地味な僕でもモテていたし、就職した友人はまだ若くて給料が安かったので自分と暮らしぶりは変わらなかったし、その割に会社員には残業や満員電車の通勤があると聞いていたので、フリーター万歳、人生楽勝じゃんと思っていました。僕は青春を謳歌していました。映画「ソラニン」みたいな感じですね。

その時のバンドは全員が真剣で、これでメジャーに行くんだという意気込みがありました。でもその道筋が見えません。ライブでファンを増やすくらいしか思いつきませんでした。ツアーもたくさんしました。ツアーというと華々しいですが、地方に住んでいるファンを頼りにライブ企画を手伝ってもらって、車やバスで小さなハコを回る「ドサ回り」です。そして、稼いだお金のほとんどがその晩の飲み代に変わります。明け方まで飲んで話して。全然稼げなかったけれど、いい思い出です。

その頃はフリーターでバンド活動をすることがダサく思えて、もちろん公式にはアルバイトのことは言っていなかったし、先輩ミュージシャンでも音楽以外のアルバイトで収入を補っていると聞くと見る目が冷めました。ライブの収入が生活費に直結していたので、そのうち集客が少ないと演奏を始める前からメンバーの気分が落ちたり、お客さんの人数を数えて1人1000円バックだから今日はいくらの収入…と明らかにゲスい発想をするようになりました。

夢を追いかけて真剣にやっていたバンドですが、若い男だけが集まるとリーダーシップを巡ってマウンティング合戦になります。自分のアレンジが採用されるかどうかで口論したり、誰がMCするかで険悪になったり、ちょっとしたことで言い合いになりました。全員がフリーターという同じ境遇だったので少しのお金でも誰が得した損したということに過剰に敏感になります。もともと人間関係のストレスに弱い自分にとっては大変な苦痛になり、音楽よりもどうやって自分を守ろうかということばかり考えていました。その頃メンバーが脱退したこともあり、バンドは崩壊しました。

人の知恵と力が集まると一人では出せない力が出ることがありますが、バンドは一回崩壊すると後が大変です。それまで応援してくれた人に解散のお詫びの連絡をしたり、定期的にもらっていた演奏の仕事の権利を誰が引き継ぐのか、解散後のCDの在庫をどうするのか、ということでまた揉めて、将来に残る禍根を残しました。離婚の財産分与みたいなことが起こります。弱小バンドでこの体たらくなので、人気があってたくさんの人が関わっているバンドだったら、もっと悲惨でしょうね。これがトラウマになって、バンドにつくづく懲りました。

その頃、付き合っていた彼女と結婚話が持ち上がり、僕は就職する道を模索することになります。

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