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Aldebaran・Daughter【執心篇 2】泳ぐ鳥は谷底へ向かう
オリキスの縫い付け作業が終わった。
三人は防具と武器を装備して岩礁地帯へ向かう。
今日の目的は【渦を調べて、潮の胃袋を探索すること】。
「危険を感じたら引き返すぞ。いいな?」
出発前。バルーガは眉間に皺を寄せて、二人にそう言った。
魔物が現れる場所へ行くとき、各々が自由行動に走ったら危険度が増す。誰かがリーダーになって率先しなければならない。
良くも悪くも、好奇心旺盛なエリカは論外。オリキスは慎重派で、単独行動をしたがる傾向にある。それではパーティが成立しない。
となれば、適任者は一人。
(オレはこいつらの飼い主かよ)
島へ息抜きしに帰ったはずが、振り回されて寛ぐ余裕がない。リードのない大型犬と小型犬を相手にしてる気分だ。
(シュノーブが恋しいぜ……)
***
足場の材料は日にちをかけて、せっせとほら穴へ運び込んでおいた。直径が太腿四つ分はある丸太を五本並べ、ロープで縛ったら完成。
しかし、桟橋と同じ材料を使ってるとはいえ、三人分の体重を合わせると一枚では心許ない。渦のなかから突然何かが現れた場合、真ん中に立っている者が後ろへひっくり返る以外、回避する方法がないのは困る。調査一回目は、安全な状態で行いたい。
エリカたちは筏を四枚作ってロの形に置き、重なってる部分をロープでキツく縛る。
次は点検。
試しに乗ってみたところ、問題なかった。
筏を両手で押しながら移動させ、渦を囲うように置く。
本番は此処から。
体重が一番軽いエリカ、オリキス、骨太でやや重いバルーガの順に足場の上を歩き、一枚の筏に二人以上乗らないように配慮。
バルーガはしゃがみ込んで懐から細い木の棒を取り出し、左手で持つと渦に差し込んだ。
「突っ込む際に溶かされたり、食い千切られる心配がないっつうのは有難いな」
エリカは背筋を凍らせ、自分の上半身を抱き締めた。
「怖いこと言って脅さないでよ」
真顔な分、怪談じみた話に聞こえる。
集中しているバルーガは幼馴染みの言葉を右から左へ聞き流し、棒をさらに奥深くへと差し込む。
「…………。?」
棒の先端に違和感。
妙な感覚がする。
バルーガは顔を顰めて、掻き回すように棒を動かしてみた。
「」
右手の人差し指を使い、渦に触れる。
「!?」
バルーガは木の棒を懐に戻し入れ、渦のなかに両手を突っ込み、指先に触れた物をなかで握ると思い切って顔を浸けてみる。
その行動を奇怪に捉えたエリカは心配し、冷静に見守っているオリキスに話しかけた。
「バルーン、大丈夫ですか?」
「引き摺り込まれたわけじゃないだろう?」
「はあ……」
「騎士の名に恥じない勇敢な男だと、僕は思うよ」
「……」
優しい顔で諭されたエリカは考えを改め、信じて待つことにした。
バルーガは目を開いて確認。上半身を起こすと、腰のベルトに巻き付けてあった布を右手でほどき、顔と首周りを拭く。
「騙されたって、言っていいのかね」
「何を見つけた?」
オリキスの質問に、騎士の気迫に満ちた目で答える。
「これ、水の一枚板が水面で回ってるだけだ」
「!?」
「なかは空洞で、洞窟のように道が続いてるっぽい」
バルーガはベルトに布を巻き付け直し、オリキスを見る。
「入口部分だけ濡れる。水を弾く全体魔法をかけてくれ」
「了解した」
オリキスは左に提げてる鞘から、長剣をすらりと抜く。
腕を真っ直ぐ伸ばし、剣先を前方に向けると次は引っ込めて、柄を中心に縦回転。宙に円を三周描き、足場の上にすとんと剣先を当てた。
「『我を軸とし、洛陽を忌む、水の傘を広げん』」
柄の側から水色に輝く文字が刃へ現れると同時に、剣先を中心に青い光の紋が、傘をさしていくように展開する。
それは、全員に透明の防御壁を張ると消えた。
水属性の魔法剣『忌み傘』。一定時間、水を弾き、火の攻撃をニ回無効化してくれる。
エリカは右手を翻したり、左腕を動かしてみた。何が変わったのか、まったくわからない。
バルーガはほら穴へ行き、余っているロープの束を肩にかけて筏へ戻る。
「どうやって降りるの?」
「梯子が付いてる」
バルーガ、エリカ、オリキスの順に下りて行く。
木製の長い梯子に巻き付いてる緑の蔦は、きらきらした粒子の塊。纏った植物を朽ちらせないよう、何者かが施した魔法だ。渦にしても、意図的な仕掛けとしか考えられない。
オリキスとバルーガは何が現れてもいいように、気を引き締める。
(梯子は十三段)
意味深な数だと、オリキスは下りながら思った。
着地後、「道を照らす物が要らないのは助かるね」と、エリカが言う。
暗いと視界の悪さから慎重さが増したり、油の消費量が気になって探索を中断し、引き返すことがある。
幸いにも、潮の胃袋は明るい。
ザッ、ザ……
バルーガは足下の凸凹した砂利道を、右脚の踵で擦ってみる。地上と同じ質感で、踏み込んでも大丈夫そうなくらいしっかりしている。
壁は燻んだ薄黄色、何かで黒く擦られたような白色、灰色の混合色で、触ってみると岩肌。右手の甲で軽めに叩いてみたら、小石同士がぶつかったときの音が聞こえる。
「火薬庫に居る気分だぜ」
バルーガは宙を泳ぐ石油クラゲを見て、感想を述べた。進路を塞ぐほどの数は居ないが、危険なことに変わりない。
三人は先へ進んでみる。
なだらかな下り。
広い空間、高い天井。
人間の胃腸みたいに続く道。
途中、立ち止まり、オリキスが周囲を見渡して口を開く。
「石油クラゲ以外に生息してる魔物は……、海ヤモリか。レベルは低いから、エリカ殿でもラクに倒せる」
体が半透明の薄紫色で、背中には緑色の横線模様が並んでいる、爬虫類系の魔物。基本的に無害で、エリカが攻撃を受けても小ダメージで済む。
「食用にできますか?」
「君はお父上にそっくりだね」
親に似てると言われたエリカは、嬉しげな顔をする。オリキスは(いや、褒めてはいないのだが?)と、思った。
念のため、注意はしておく。
「お腹を壊したり全身が痺れてはいけないから、やめておいたほうがいい」
エリカは自信に満ちた笑みを浮かべ、左手で拳を作る。
「心配ありません。オリキスさんの料理で、耐性が付いてると思います」
褒めたのか?
貶しているのか?
どちらにも受け取れる。
オリキスは右眉をぴくっと動かした。
「ははは、おまえも言うようになったな」
嫌がらせのつもりで笑うバルーガ。
「んじゃ、気分がノッてきたところで、練習と行こうぜ」
エリカが動く魔物を倒すのは、今日が初めてとなる。
彼女は左手の親指と人差し指を立てると、親指側を額の中央にくっ付けたまま右手の人差し指と中指を一体の石油クラゲに向け、氷魔法の詠唱を始める。
「『冷気の檻房にて、個の刻を凍て付く!』」
自由気儘に宙を泳ぐ一体の石油クラゲの周りに、白い冷気が現れる。どんどん白さが増したところでエリカが右手で拳を作ると一瞬で石油クラゲは凍り、そのまま地面に落ちて砕け、黒い砂になった。楽勝である。
オリキスは海ヤモリを指差した。
「次はあれを狙おう。物理攻撃でね」
エリカは左腰に提げている鞘からナイフを抜き、勝つ気満々で駆け寄った。オリキスとバルーガは、あーあ……、と言わんばかりの呆れた目で彼女の後ろ姿を見る。
「あ!」
海ヤモリは至近距離へ入られる前に気配を察知し、素早く逃げた。
エリカは接近戦では駄目だとわかり、ナイフを収めて弓に切り替え、離れた場所から狙ってみた。しかし、的が小さくて上手く当たらない。
「魔法じゃ駄目?」
「甘えんな。集中力を高めろ」
「むぅ」
バルーガに叱られたエリカは不貞腐れた顔をしたあと、構え直した。
回避能力に長けた火の妖精との戦いに備え、行動を予測する癖を付けたり目を慣らしておくのに、海ヤモリは適してる。それに不得意だからと逃げては、ほかの行動を起こすときにも命中率が低いままになってしまう。
「!」
オリキスはエリカの髪を見て、目を見開いた。
毛先が水色に変わっている。
(バルーガは、)
視線を向けると、彼は鏃の向かう先しか見ておらず、エリカ自身も気付いていない。
放たれた弓矢はシュパ!と美しい音を立てて素早く宙を突っ切り、海ヤモリの体を貫通する。
「大成功!」
「一回当たっただけで、満足してんじゃねぇよ」
「自信は大事です」
「へっ」
毛先は元のオレンジ色に戻っている。
(攻撃心と集中力が大きく高まると、無意識に片鱗を見せるのか)
「ぁ」
オリキスは気配を感じて後方を見た。
塩辛蛙が真っ黒い舌を長く伸ばし、エリカの背中を舐め上げて前に転倒させる。
「きゃっ!」
短い叫び声と共に、ベシャッと乾いた土の音が響く。
オリキスは肩で溜め息を吐き、半眼で見下ろした。
「相変わらず、敵に背中を取られやすいね」
「〜〜ッ」
エリカは、バッ!と顔を上げ、
「いまのは不意打ちを食らったんです!」
と、拗ね気味に言い返し、自力で立ち上がって体ごと振り返る。
オリキスは、眼鏡のブリッジを右手の中指で押し上げながらエリカを見た。
元気があるのは良いことだが、気持ちが前に進みすぎて疲労に気付かなかったらあとで困る。
「それを使って攻撃するのかい?」
エリカの手は、矢筒から弓矢を取り出そうとしていた。
「近くまで駆け寄ったときに、べろーんって攻撃されたら危ないと思って」
「警戒を覚えるのは、良いことだと思うよ」
「有難うございます」
「でも、それでは君の勉強にならない。
塩辛蛙の属性は特殊でね、体が水色のときに水魔法で攻撃したら吸収される。体が赤色になったときは火魔法を吸収するから、タイミングを上手く掴んで攻撃したほうがいい」
「火を使ったら危ないんでしょう?」
「石油クラゲが近くに居ないときに使えば大丈夫だ。見ててご覧」
オリキスは鞘から剣を抜き、刃の平らな部分を上にして剣先を塩辛蛙に向けたあと、剣を頭上に掲げる。
「『赤の結晶よ、裂け』!」
赤い光の紋がオリキスの足下で展開すると、塩辛蛙の前に大きな赤い結晶の模様が浮かび、ゴオッ!と大きな炎を吐き出す。火力の強さに耐える間もなく、塩辛蛙は一撃で燃え滓になった。
『赤裂け』は火属性の魔法剣でも弱い攻撃に入るが、オリキスの魔力そのものは、現時点のエリカより何倍も高い。
「(わあ、凄い……)もしペトちゃんを爆発させたら、どうなるんですか?」
純粋な疑問に、バルーガは淡々と答える。
「近くに居るオレたち全員がダメージを受ける。おまえは瀕死か即死だろうな」
油汚れで済むと思っていたエリカは、青褪めた顔をして言葉を失う。
「そんだけ、おまえのレベルが低いんだよ。頑張って上げれば小ダメージになる。耐火アクセサリーか防具を装備しても軽減できるぞ」
オリキスは懐から小瓶を取り出して見せた。赤ワインのような紅い色の液体が入ってる。
「瀕死になったら、紅雀凰の雫を使う。心配しなくていいよ」
「何ですかそれ?」
「一滴で効く、高級回復薬さ。これに頼らないよう頑張ることだね」
「……努力します。ちなみにおいくらですか?」
「三十滴分で、一本二万ネリーだ」
「……」
バルーガは奥に目を向けた。
「次は面倒だな」
二枚貝の姿をした魔物、石貝。縦縞の殻が閉じてるときは人の気配を察知した途端、左右に揺れてガタゴト音を立てて警戒する。
しかし、あまり怖がる必要はない。
石貝の特徴は、移動速度が遅めであることと、空っぽだったら両手で抱えることのできる大きさ。つまり、何を放っても当たる所だ。
「弓矢を放ってみろ」
「わかった」
バルーガに言われた通り、エリカは行動してみたが。
コツン!
弾かれてしまった。
「ちんちくりんは、弓矢では歯が立たないと感じたらどうする?」
「魔法?」
「石貝はそれで正解だけどな、物理攻撃にも剣と爪による斬撃、拳や蹴りを叩き込む打撃ってのがある。余裕が出てきたら、一つは無効でもほかは効くか試してみろ。弱点を探すってのも、戦いにおいては大事だ」
バルーガの助言が終わると、石貝は二回小さく飛び跳ねてゴトン、ゴトン!と音を立てた。まるで、エリカの失敗をからかうように。
「なんか腹が立つんだけど?」
「『挑発』を真に受けすぎんなよな」
魔物が使う『挑発』には、敵を怒らせて判断力を鈍らせ、集中力と命中率を下げる効果がある。狙われた者は長時間『挑発』を受け続けると攻撃力は増すが、精神を乗っ取られ、物理攻撃しかできない状態に陥ってしまう。
オリキスはエリカに助言する。
「相手は無属性で、殻の弱点は雷。本体である中身には物理攻撃が効く。レベルを上げれば、魔法攻撃を殻に放つだけで倒せるようになるよ」
しかし、彼女の目には苛立ちが残っている。放置は、まずいかもしれない。アルデバランの娘に変化して暴走されると、手に負えなくなる。
オリキスはエリカの前に立ち、視界に石貝の姿が入らないようにした。
「早く倒さないと……」
「と?」
「僕の手料理を、毎日ご馳走するよ」
「サラダと卵焼きなら歓迎します」
バルーガはツッコむ。
「全然、罰になってねーだろ」
他愛のない会話にエリカは、ぷっと吹き出し、肩の力を抜いて笑った。
「ふふっ、あはは。…………はあ……。有難うございます」
いつもの彼女に戻った。
オリキスは口元に笑みを浮かべて横に移動。バルーガは(また甘やかして)と、舌打ち。
落ち着きを取り戻したエリカは左手で弓を持ち、右手で弦を引っ張る。
矢筒に入ってる弓矢を使わない。代わりに、魔力で弓矢を作る。
「『空気を竦ませ迸る、開口せよ、雷の声』!」
放たれた魔力の弓矢は石貝にぶつかると同時に、蒼白い一筋の雷を落とした。
電流が走ったことで驚いた石貝は混乱状態に入り、殻を開けて本体を晒す。フリルのようなひらひらが付いた黄色と白色の体に、明るい赤色の点模様。頭部には二本の角が生えている。
(うわ。気持ち悪い)
エリカは、踊るみたいに体をうにょうにょと左右に動かしている姿を見て不快になったが、それ以上、精神が乱されることはなかった。
矢筒から弓矢を取り出し、物理攻撃を続ける。無我夢中で。
「ッ」
安定した集中力を維持するのは骨が折れる。
石貝はダメージを受け続け、最後に強烈な一撃を放たれて力尽きた。
萎れ、溶けて消える。
バルーガは歩いて殻に近付き、右手を置いて見下ろす。
「持って帰りてぇなぁ」
エリカは肩で息をしながら
「何に使うの?」と、質問。
「取っ手を付けて鍋に加工したり、器の素材にするのさ」
「へー」
*
そのあと、三人は胃袋のような形をした地下空間まで来たが……。
「行き止まり?」
「いや」
オリキスはヒビ割れた地面に石油クラゲを置き、二人を呼んで離れた場所から『赤裂け』を使い、爆発させた。派手に何かが崩落した音が聞こえる。
油で足を滑らせないために『忌み傘』を使い、土煙が収まってからヒビ割れていた場所へ戻ると、大きい穴があった。
三人は穴を囲い、下を覗く。
「あそこ!階段が見えるよ」
エリカが指差して言った。
バルーガは束ねたロープをばらして近くにある円柱へ括り付け、残った分を穴に垂らす。
一人ずつ降りて着地。階段を下りると、円形の広間に着いた。
天井はいままでと大差ない高さ。壁の色は同じだが、カコドリ遺跡で見た白い光が灯っている燭台がいくつも付いており、青黒い石の床には大きな水鳥の模様が彫られている。
オリキスは中央にある台へ近付いた。
「書物を開いて置くみたいだね。エリカ殿の自宅で読んだ書物の一冊が役に立つと思う。僕に任せてくれ」
ほかにも仕掛けはないか周囲を見渡すと、通路が二つあった。十歩進んだ先には小部屋。
「転移魔法の紋か」と、バルーガは床に張られた光の円を見て言った。
階段から向かって右にある小部屋では、太陽の模様を囲っている円が光りながら回っているのに対し、左の小部屋にある蟹の模様は円が光っておらず、回っていない。閉じている状態だ。
オリキスは頷く。
「太陽は地上だね。何処に繋がっているか試そう」
紋の上に立つと、三人の足下から光の柱が現れた。
*
「エリカ殿の家に繋がっているのか」
一瞬で、翼竜が使っていた部屋の中心へ移動していた。
バルーガは室内を見渡す。
「此処には転移の紋がないな。一方通行か」
ぐうぅうぅ……
三人のお腹が鳴った。バルーガは自分のお腹に、右手の手のひらを当てる。
「昼飯を持参せずに行ったもんな」
張っていた気が萎れる。空腹には勝てない。
「オリキス、どうすんだ?」
「次に入ったら、出てきたときは夜になっている。今日は解散しよう」
「だな。二人ともお疲れ」
バルーガが左手を挙げて挨拶しながら出たあと、エリカは続いて帰ろうとするオリキスの右袖を掴んで足を止めさせる。
「あの」
「どうしたんだい?」
「お父さんとお母さんが、試練や遺跡と何か関係してるってことですか?」
「みたいだね」
深くは、まだ話せない。
「じゃあ、オリキスさんの目的が果たされつつあるんですね」
前進したことが、エリカは嬉しかった。自分がどうなる運命かを知らず。待ち受けている不幸にも気付けず。
オリキスはエリカの後頭部を、左手で優しく撫でた。
「今日は疲れただろう?よく食べて寝るんだよ」
「はい」
「また明日」
二人は手を離した。
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