Aldebaran・Daughter【執心篇4】砕かれて咲く
『彼らに救いを求めれば、
シュノーブも
助かるのではありませんか?』
オリキスとその弟サラは、織人たちの支配から解放してくれる英雄が近隣の国に現れたという噂話を城内で耳にし、ヴレイブリオンに提案したことがある。
「正義と優しさは相性が悪い」
森を抜けて段々畑が見える草原へ出るとオリキスは立ち止まり、陽の光を受けながら、七年前に父親から返された言葉をそのままエリカに伝えた。
「知っていたかい?」
質問に意図はない。
エリカは黒い瞳の奥で漂う悲しみと目を合わせ、オリキスの精神が不安定になっているのだろうかと心配顔になる。
「私には、まだ難しいです」
「いいんだよ、それで」
砂利道を並んで歩く。
正義と優しさは相性が悪い。人を疑っても警戒を知らなかった二十一歳の自分は愚かだったと、彼は心のなかで振り返る。
『織人と十二糸が
城内へ侵入できないように
巨大な呪文を張ることにした。
すまぬが、暫く篭もる』
英雄の出現後、織人同士のあいだで不定期に開かれるようになった会合では、遂に犯人探しをする者が現れた。
真っ先に英雄との内通を疑われたヴレイブリオンは「有り得ない話だ」と首を振って強く否定したが、いよいよ怪我を負わされるだけでは済まない予感がして、早めに行動へ移した。
『あとは頼んだぞ』
呪文を使った防御壁は張る範囲が広くなればなるほど、強い精神力と集中力を乱すことなく安定を維持しなければならない。気が散ると効果が弱まり、壁に穴を空けられてしまう。
ヴレイブリオンは、家族すら自由に入れない場所へ身を隠した。
そして一週間後、とある夫婦がオリキスたちの前に現れる。
『ぼくらは「暗躍する世界の味方」。
君のお父さんを助けに来た』
水鳥の巫女を象徴する言葉としても使われている『世界』。
オリキスとサラは、巫女が織人の一人に監禁されてる話をヴレイブリオンから聞いていた。
人々に慕われ、家族に愛されてもいる父。
優しい人が、神同然の存在に見捨てられることはなかった。
まだ若い二人の子どもが一筋の希望を見て、夫婦を信じたのは、誰かに救って貰うのをこれ以上待ち続けるのが精神的に難しかったのも大きい。
オリキスは男に質問した。
『噂の英雄は、あなたの味方ですか?』
男は、人当たりの良い笑みを浮かべて返す。
『紛い物の英雄だったら、どうします?』
その言葉だけで、違うことは明らかだった。
男の名前はマウロフ、女の名前はヒューイ。二人は織人が差し向けた刺客を難なく倒し、飢えや寒さから身を守る方法を人々に教えた。
ヴレイブリオンの臣下たちは夫婦に中央で働かないか誘ったが、「我々はあくまでも助っ人の立場。遠慮します」と言って断った。
優しい表情、穏やかな言動、怒りなき性格。
人に与えることが大好きな夫婦。
たまにマウロフのゲテモノ手料理が不評でヒューイを怒らせ、喧嘩をする日もあったが。
シュノーブの民は二人を受け入れ、気を許すようになっていった。
『子どもを餌にしろ!!』
二週間後。織人の統括者が放った手下が城内へ侵入し、オリキスとサラを捕まえた。これまでと違って格上の敵だったがマウロフは勝利を収め、勝手に離脱。
合流した英雄たちはオリキスに、呪文によって作られた防御壁が破られたことを話した。
『父上!!』
織人の手下は排除できたが、ヴレイブリオンは呪われたチカラをマウロフに剥がされ、命を落とした。
今朝見た夢の内容と違う所……。リラは、あの場に居なかった。マウロフと合流したヒューイに唆され、光のチカラを引き継ぎ、吹雪を止めることを選んだ。
サラは英雄に付いて行き、織人の統括者を瀕死の状態にまで追い込むも罠にかかって、無理やりチカラを引き継がされてしまった。
後に、マウロフとヒューイは偽名の一つだったことが判明。夫婦は大きな行動に出るときだけ翼竜を名乗り、国へ潜入する際は名前を偽り、使い分けていた。ギーヴルとテレースも実名か、真相は不明のままだ。
「仇は討てましたか?」
オリキスは微かに驚いたあと、暗い微笑みを浮かべる。
「エリカ殿は討つべきだと思うかい?」
「……。オリキスさんが悲しい所へ堕ち込んでしまうなら、しないほうがいいと思います」
「同感だ」
父親が亡くなって七年目。オリキスの所へ十二糸の一員が訪れた。
『呪いを切りたくば方法がある。翼竜の子ども……、アルデバランの娘が持つチカラを借りればよい』
オリキスは、何処で嗅ぎ付けたのか尋ねはしなかった。その者が均衡を歪めようとしていることだけは理解できる。
『用が済んだら、
娘を好きに調理してもいいかい?』
質問に対し、吉報を持ってきた十二糸の一員は真顔を崩すことなく「構わん、貴様の思い通りにしろ」と許可した。
オリキスは思う。翼竜の娘を道具にして利用したあとは女であることを後悔させ、命を奪って復讐するのも有りだと。
一に対して、一《いち》を返す。何も悪くない。同じ数、同じ重さを奪うだけ。
(赦せたのは、自分が歳を重ねたせいかもしれないな)
バーカーウェンに来てエリカに会い、初めは情に動かされることなく警戒したが、関わるうちに気持ちが変容していった。
(容姿が似てなくて良かった)
二人は海が見える場所まで来た。隣りでは、オレンジ色の髪が潮風に吹かれて揺れる。
エリカの父親ギーヴルの髪はどんよりと暗い青紫色で、右半分は錆色を被っていた。目は金色。母親のテレースは何処の国でもよく見かける榛色の髪と、薄い緑色と金色が混ざった目だった。
娘の容姿に共通部分が一つでもあれば、翼竜の影を見るときはあったが、心配ない。
凸凹の岩礁を歩いて降りながら、普段通りの調子で話しかける。
「君が僕と一緒に堕ちてくれるのであれば、歓迎するよ」
エリカは、ムッと怒った顔をする。
「冗談でも言っちゃ駄目です」
「一人では寂しいだろう?」
「怒りますよ?」
「ふふ、既に怒ってるじゃないか」
「もぉっ。心配して損しました」
サラとリラの呪いを切るために、アルデバランの娘を使うことに揺らぎはない。
だが。
(エリカ殿が反発して言うことを聞かなくなったら……、当初の予定通り、命を奪う。でも、立ち直れる自信がない)
彼女の存在が大きくなりすぎてしまった。自分の父親が見ていたら、息子に何と言っただろうか。
「オリキスさん」
「何だい?」
「正義と優しさは相性が悪いって言いましたよね?」
「あぁ」
「三つ目の答えで中和するのも有りだと思います」
「」
「抑えると破裂しちゃうし、仲良くしようにもぶつかり合うなら、誰かをあいだに置けばいいんです」
オリキスは微笑む。
「三つ目の答えとは何かな?」
「まだわかりません」
「その答えは、君が積んでいく経験と育てた心が、導いてくれると思うよ」
「はいっ」
彼女は右手で拳を作り、わざと気合いの入った声で返事をしたあと、オリキスに花のような笑顔を向けた。
無防備に懐いて慕い、カタチのない新しいものを与えてくれる、この娘が欲しい。自分も同じように与えたい。
「おはよう!」
オリキスは帽子の鍔を右手で掴むと持ち上げ、バルーガの姿を見つけて駆ける背中へ好意の視線を向ける。
明るさを少し取り戻した暗い瞳で。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?