Aldebaran・Daughter【13】焦燥と愛に終止符を
ミヤは、アーディンとは恋人関係になれなかった。
彼は「上司と助手が関係を持つのはご法度だよ」と言ってはぐらかし、島民や移住者に告白されても首を横に振り続けている。一生独身でいたい男なのかしらと、ミヤは思った。
翼竜の友人であり共犯者、暗躍する世界の味方。バーカーウェンでアーディンの名を騙っている男の本名は、サイモン・ピエルティア。魔法軍事国家アイネスの研究者で、織人事件が起きるよりずっと前に国外逃亡した。
派遣されたミヤの目的は一つ。
正体を隠してバーカーウェンに潜入し、サイモンから翼竜に関する情報を聞き出すこと。
「ふうん、俺と働きたいって?いいよ」
「有難うございます」
アーディンが助手を探してると聞いてすぐに申し込んだら、あっさり受理された。
(目の前に敵が居るとも知らず、馬鹿な男め。ついでだわ、女として気に入って貰えたら手っ取り早い)
だが、安直すぎたらしい。
あまり日が経たないうちに告白してみたところ、冒頭の通り、上手く行かなかった。
(長からは、いつ頃に報告へ戻れとは命令されていない。気長に挑もう)
*
ある日の真昼。ミヤが事務局のなかでベリーの果汁を煮詰めていると、アーディンのほうから恋愛しない理由を打ち明けてくれた。
「俺は本土に妻子を残して逃げて来た。負い目を感じてる」
(……なんだ、結婚してたのね)
ミヤは、気の弱い男が好きではなかった。アーディンの
賢い
優しい
大らか
力持ち
頼もしい
背中を摘むと贅肉のようなものがある
そういう所は好きだ。
「帰る場所があるっていいじゃない」
思ってもいないことを言う。
アーディンは椅子に座って脚を組み、鼻で笑った。
「一生、帰らないよ。君とエリカと俺の三人、島でみんなの役に立ちながら、毎日楽しく過ごせればいいんだ」
(私も一員に含まれてるのか)
愛の告白に聞こえなくもない。だが、フラれた身。希望は消えてる。
「我が儘な人ね。でも、嫌いじゃないわ」
いつからか、なんとなく良い雰囲気のまま、傍に居れたらと思うようになっていた。
「ミヤさん、髪、結んで」
「いいわよ」
「有難うっ」
エリカの正体は知らない。翼竜の子と知ったうえで仲良くしていたが、時が過ぎればどうでも良くなった。人を疑わず、無垢な性格で、姉か母親のように慕い続けてくれるこの子の可愛さに癒されているからだ。
(一族の人間としては失格よね)
助手を務める、移住者のミヤとしては成功だ。
武器や魔法で人を傷付けず、壊れた物を一緒に手作業で直したり、年齢の近い同性と美容に良さそうな料理を作ってみたりと、策略から離れた平穏な日々を過ごせている。本土もみんなこうだったらいいのにと思う楽園。
(優しい時間が、ずっと続いて欲しい)
そう願っていた。
「十二糸の呪いを解く方法、ご存じですか?」
あの日、会話を終えたあとのアーディンは、生気が抜けたような顔色をしていた。
噂話を聞いたとオリキスは言ったが、挑発的で、演技に聞こえない物の言い方をした。目当てに、翼竜の子も含まれているのだろうか?呪いを解く方法と関係している?
だとすれば、
島の外に出て存在が明らかになったとき、エリカはミヤが仕えている一族の者たちに命を狙われ、殺されてしまう。最悪、アーディンも。
…………血の気が引く。
(私が守らなくちゃ)
恐れたミヤはフード付きのケープを被り、オリキスの動向を調べようと、何度も足を運んだ。警戒されてはいけないからと、物陰に潜んで注意深く様子を見るのが関の山だが、何もせずに放置するよりマシだ。
一度だけ、火の妖精らしき者と何か話してる姿は見かけた。以降は十二糸の呪いを解く手がかりを入手していないのか、目立った様子はない。
その不審な一面を除けば、オリキスは善人だった。
薬を煎じて売り、依頼があれば魔法で補助をする。島民にとって、有難い存在になっていた。
(本当に、冗談のつもりだったのかしら)
信じていいのだろうか?
一瞬、過ぎる。
(……駄目よ。まだ気を許しちゃ駄目)
初めて事務局に現れたとき、彼の黒い瞳の奥に潜む、邪悪な意志を感じ取った。
ミヤは自分の体を抱き締める。
見たことがある。
覚えがある。
あれは長と同じ、暗い野心を持つ人間の瞳。
そして突き止めれないまま、事態は悪化していく。
エリカはオリキスを選んだ。それも、恋の相手として。
直接二人に、問い質すことはできない。隠れていたことがバレてしまう。
噂を立てれば、見間違いか事実か判明するだろう。
アーディンが怒れば、関係を考え直してくれることだって有り得る。エリカにオリキスと関わらないよう説得するのは、それからでいい。
期待した。
「ごめんね。私、信じてるの」
アーディンに向けられた言葉が、ミヤの心も突き刺した。
暗い感情が、蓋を開けて漏れ出る。
此処でオリキスを仕留めれば、本国へ帰らなくていい。
アーディンの気は休まる。
エリカの悲しみは、新しい恋をすれば切り替えできる。
(殺さなくてもいい。脅しをかけよう)
たった一人の犠牲で片付く。
ミヤは、今日中に行動へ移すと決意した。
オリキスが住む家の近くに生えている草むらに隠れ、姿勢を低くし、夜を待つ。
幸い、バルーガとエリカは早めに帰った。
いつ仕掛ける?威力が強い魔法だと、周辺に音が響いて目立つ。弱い魔法は……、シュノーブの魔法騎士が相手だ、意味を成さない。丸腰で出てきたところを狙おう。
ミヤはナイフに手を伸ばし、息を殺して機会を待つ。
外が暗くなると、家の窓から明かりが漏れた。
オリキスがドアを開けて外に出る。布地が薄い長袖に長ズボン……、防御力0の軽装だ。左手は、カップを持っている。
彼は明かりで照らされた地面の上にしゃがみ込んでカップを傾け、鉢植えに水遣りをした。そのあと立ち上がり、此方に背を向けて両腕を組み、屋根を見る。
ミヤは足音を忍ばせて素早く駆け出し、斜めに斬り付けようと、背中を目掛けて後ろから襲いかかる。
「!!」
ところが、ミヤが左手を振り上げた瞬間、オリキスは腕組みをやめて体を翻し、下ろしたナイフを避ける。こうなることを見越していたような反応の速さ。かすりもしなかった。
「痛ッ!!」
ミヤの左手首に、右手の手刀が素早く縦に振り落とされ、当たった瞬間、手からナイフが落ちる。
(まだ、負けていない!)
一撃だけでもとミヤは構え直し、右手の拳で殴ろうとしたが前に出た腕を掴まれてしまい、そのまま地面に背負い投げされた。
「かはっ!」
訓練を盗み見したとき強そうだと思ったが、それは剣技であって、肉弾戦まで強いとは思っていなかった。
「ッ……!」
背中が痛い。このままでは殺られてしまう。
ミヤは体を動かして地面に手を着き、上半身を起こして逃げようとする。
「助かっても、明日にはバレますよ?」
「ぐっ!」
右足で背中を強く踏まれ、ミヤは地面に突っ伏す。
左手は、まだ痛くて使い物にならない。右腕を使って脚を強打しようと動かしたが呆気なくぱしっと掴まれ、残念なことに背中側で両腕を拘束されてしまった。
「大丈夫か!?」
バルーガは帰っていなかった。帰ったフリをして、別の草むらに隠れて潜んでいた。
ミヤは周りが見えなくなるほど、自分が焦っていたことに気付く。
「見ての通りさ」
「ッ」
「ご対面といきましょうか」
オリキスはミヤの腰に跨り、フードを掴んで後ろへ引っ張る。
バルーガは近くに寄って来て屈み、晒された顔を見た。
「……。この人、誰だ?」
「バルーガはまだ正式に会っていなかったのか。エリカ殿が働いているヒノエ新聞の助手、ミヤ殿だ」
「なんでそんな人が」
「さぁね。ミヤ殿、殺されたくなければ、僕たちにあなたの情報をください」
冷たく見下ろしてくるオリキスの薄暗い笑みを見て、悪魔のような男だとミヤは思った。
「私は、あなたがエリカを誑かそうとしているから、気になってる、だけよ」
顔の右側に、目の前に、地面に向かってナイフが勢いよく突き刺さる。ミヤの持ち物ではない。
オリキスは前に屈む。
「動かないでくださいね。毒蛙の胃袋や薄荷草などを調合して作った液体が塗ってあります。毒性が強いので、至近距離でも肌が灼けますよ?」
「ッ!」
ミヤは可能な限り、顔を離した。
「あなたではないかと、薄々気付いてました。エリカ殿と二人で訓練した日、髪の毛が残っていたのでね」
地面の上で息を呑む。
「一つ気になったのですが、ミヤ殿は島民の割りに俊敏な動きですね」
「此処の暮らしに慣れれば、なんてこと、ない、」
ナイフを持つ手に、ぎゅりっと力が加わる音がした。
「僕は時々短気です。痺れを切らさないうちにお願いします」
バルーガは初めて見るオリキスの畜生ぶりに殺気を感じ、唾を飲み込む。
「…………殺さないって、約束をしてくれるなら」
オリキスは何も言わない。それはミヤに求める権利がないことを表していた。拷問に近い。
沈黙の末、ミヤは観念する。
「私はシルリア……。アンシュタットの、人間」
「「!!」」
バルーガはどう対処すべきか戸惑う。
「魔術師の……」
アイネスに本拠地を置いている、魔術師最高峰のアンシュタット一族。本土ではまず、その名を知らない者は居ない。此処がシュノーブだったら間者と見て、警戒するところだ。
オリキスの口元からは笑みが消え、表情が冷たくなる。
「何の目的でバーカーウェンに?」
「翼竜の情報を集めるため」
「何か、わかりましたか?」
「いいえ、まったく。アーディンは何も話さないから」
「アーディン殿は何者です?」
(サイモンであることは、まだ知らないのね)
「翼竜の友人以外の情報を除き、何も知らないわ」
オリキスは五秒黙って口を開いた。
「言えと吐かせたいところですが、いずれ本人に口を割らすので、まぁ良いでしょう」
ミヤは縋るように訴える。
「彼に酷いことしないで」
「しません」
「エリカにも」
オリキスは胡散臭い笑みで返す。
「ご心配なく。エリカ殿のことは大事にしてます。僕の人生を預けてもいいと思うくらいにね」
ミヤの声が震える。
「オリキス。あなた、何者なの?」
「シュノーブから来た魔法騎士です」
頑として言わないつもりらしい。
「お願い。私が何者か、島のみんなに言わないでっ。困るの」
「約束しましょう」
バルーガは、あっさり受け入れたオリキスの顔を見る。
「いいのか?」
「あぁ。島のためにずっと尽くしてきたようだから、悪さを働きはしないだろう」
オリキスは地面からナイフを抜いて立ち上がり、バルーガの横に移動する。
「ミヤ殿、あなたの素性は隠しておいてあげますが、僕のすることに干渉しないでください。気が散ります」
「……わかったわ」
ミヤはなんとか体を起こし、座る。
「それと、お願いがあります」
「?」
「エリカ殿を許してください。あなたが姑息な真似をしなければ、彼女は傷付かなかったのです。アーディン殿に、理解するよう勧めてください」
「…………」
人間味のある叱責を食らったミヤは立ち上がり、よろけながら来た道を戻って行く。
善かれと思ってしてきたことは、エリカを苦しめる結果になった。それを突かれたミヤは反省し、泣きながら自宅へ向かう。
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