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「私が認めた私」をみつけた、嬉し悲し恐ろしい愛おしさ。

私の尊敬するめっかわな超歌手・大森靖子さんの「GIRL’S GIRL」という曲に、こんな歌詞があります。

私は私が認めた私を認めさせたい 何が悪い

「認めさせたい 何が悪い」って何??

初めてこの曲をきいた当時、正直分かりませんでした。

他の歌詞はちゃんと意味が分かるんです。直前の「他人の承認欲求否定して てめえの平穏守ってんなよ」とかすごく目からウロコだった。なるほど!やけに人を悪く言いたい人たちってそういうことだったのか!って思った。

ただ「私は私が認めた私を―」の歌詞の憤りはどうしても分からなかったんです。人間みんな違うんだから「認めさせたい」とか自己中だと思ってて。他人に自分を認めさせる行為は、自分を認めない他人を否認することだと思って。個性の主張による個性の否定と思ってしまって。

矛盾していると感じたんです。

それから暫くして、私は唐突に今の自分にイライラしはじめました。不良になりたいと思うほどに。

私がわたしになりたかった理由

生きていると、こんな大人にはなりたくないなという人に会うこともある。「あんな風には絶対なりたくないけど、私絶対ああなるよねぇ〜」と友人に愚痴ってみたら「人間の脳は否定的に考えるの苦手らしいから、どうなりたいかみつけようよ」と言われました。

どうなりたいか?

それだけは決まっていた。「魔法使いになりたい」ということ。これは大学受験前に自分と向き合って向き合って向き合って出した、真剣な私の夢だった。

魔法使いっていうのは、誰かの人生変えちゃうくらいのキラキラしたショックを与える人。とか楽器とか音楽とか色々。まぁ簡単に言うと、「誰かに影響を与えられるような人間」です。

そう思っていたけど、絶望していました。私の前に現れた魔法使いは自分を持っている、自立(自律)した存在だった。誰かに何かするんだから自分がちゃんとしてて当たり前。

私は?「普通」の枠から若干はみ出して「経済」のレールにはうまく乗れなくて(自分で稼いで使う、が出来ていないの意)、「いい子」のフリが上手くなるたびに自分の考えを丸飲みするから、自分の思うことが分からない。

ならば、まず私はわたしになりたい。

と言って突然noteをはじめました。そこからは本当に目まぐるしいほど発見がいっぱいでした!あっという間すぎ。あとnoteに書く以外にもとにかく自分と向き合って向き合って向き合いました。大学受験以来。

その詳細も言いたいけどそれ書いてたら平成明けちゃいそうだから、割愛します笑

そしたら、段々「あれ?私めっちゃ自分もってる…?」「なんだ、私ちゃんとわたしを持っているかも」と思うようになりました。

「私が認めた私」の行動

そしてこの前。友達からの、何回目かの「この子○○だから笑笑」。いつもは「そう思われてんならそれでいいや〜楽だし」と受け流せた言葉が、許せなくて、

反抗しました。

なんて我儘なんだと思いました。でもこれがわたしなんだと知ってしまいました。

自分と向き合うようになって気がつきました。自己中だ、と非難する私が心の奥底で1番自己中で、それを抑え込んで抑え込んで「お前達は自己中だ」と冷めた目でみることで私は違うと思いたかったんだということ。

そして直前の歌詞、「他人の承認欲求否定して てめえの平穏守ってんなよ」のてめえが私だったこと。ショック。

1番の矛盾は、私だったんですね。

でも、その時私は、「私が認めた私を認めさせたい」と当然のように抗ったんですよ。

…あれ?

追いついた、??

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