たまちゃんのパパになりたい
たまちゃんのパパ。
いつも一眼レフを構えて、愛する娘の一挙手一投足をフィルムに収めようと奮闘する。
娘からは鬱陶しがられているけど、それでもめげずにパシャパシャとシャッターを切り続ける、パパ。
僕も、たまちゃんのパパになりたい。
娘や妻に鬱陶しがられても、ご近所さんや、その辺の誰かに冷ややかな目で見られても、いつもカメラを首からぶら下げて、娘の成長を記録したい。
その写真の価値は、きっと今は伝わらないかも知れない。
十年後か、二十年後か、あるいは娘が嫁ぐ日か、母になる日か。
今はずっと先に思える、けれどきっとすぐに来てしまうその日になれば、ああ、なんていい写真なんだろうと身に沁みて分かるんだ。
僕はすぐに忘れてしまうから。
生まれたての娘の足が、ぷくぷくとして気持ちよかったことも。
八ヶ月目の夜泣きのピークに、眠い目を擦って毎日毎日抱っこして寝かしつけたことも。
初めて立ち上がったときの娘の嬉しそうな満面の笑みも。
芝生が触れなくて、公園で転ぶと一人じゃ立ち上がれないことも。
僕のコーヒーミルを、朝一緒に回したことも。
だから、写真を撮る。
写真を見れば、色んなことを思い出せる。
忘れずに、しまっておくことができるんだ。
ちゃんとプリントして、アルバムにして。
いつか家族で懐かしむ時のために。
誰のためでもなく、自分自身のために。
ピントを外しても、少しくらいブレていても、大丈夫。
全部味になって、セピアなイメージに変化していく。
その過程をしっかり噛み締めて、味わって、飲み込んで、消化して。
だから僕は、たまちゃんのパパになりたい。
鬱陶しいと思ってくれてもいいよ。
キミが大人になったとき、酒でも飲みながら写真を見返して、一緒に笑おう。
その日まで、僕はカメラを構える。
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