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第172号(2022年4月10日)「戦費でロシアが破産」論を考える

【NEW BOOKS】新著が出ます

小泉悠『ロシア点描』PHP研究所、2022年

 

榊純一『中国の航空エンジン開発史』並木書房、2022年

 今回はまず手前味噌で新著の紹介をさせていただきたいと思います。
 ロシアという国について、一般の読者に分かりやすく説明するような本を、というお話をPHP研究所さんからいただいたのはたしか一昨年くらいのこと。ただ、新しく本を書いている余裕はとてもないので、編集者の方に聞き書きをしてもらって「語り下ろし本」にする、ということになりました。
 それから昨年秋くらいまで掛けて数回聞き書きをしてもらい、本書の完成に至りました…と言いたいところだったのですが、ここで番狂わせが二つありました。
 第一に、本のゲラが出来上がったところでロシアが戦争を始めてしまい、果たしてこの本の位置付けをどうしたらいいものか頭を抱えてしまったことです。政治や軍事について書いた部分は事実ベースで修正が必要になりましたし、そうではない、ロシアの社会やロシア人についての描き方もこのままではダメだろう、という想いがありました。
 第二の問題は、出来上がってきたゲラの中身そのものです。私はなるべくロシアを「理解する」ということを本書の重点にしたかったのですが、編集サイドとしては「理解し難い国、ロシア」という方向に持って行きたかったようで、この点からしても本書はこのままでは出せないな、という結論になりました。
 かといってロシアに対する関心が(残念ながらあまりいい意味ではなく)高まっている今、既に予約注文もかなり入っていたようで、刊行時期を伸ばすのは難しい。となればやることはひとつで、語り下ろし原稿を横目に見ながら突貫工事でほぼ一からの書き直しとなりました。
 しかもロシアのウクライナ侵攻で連日のようにメディア出演の予定があり、その間にも研究所の仕事は止められず、という中でのことなので正直かなりキツかったのですが、やはりそこは妥協せずによかった、と今では思っています。また、すったもんだの末に出た本というのはなんとなく「かわいい」のですね。
 こんな時に巡り合わせてしまった本書がどう受けとられるのかは全く未知数なのですが、どうかご一読いただければと思います。

 もう一冊は並木書房さんからいただいたもので、中国の航空エンジンというどうにもマニアックなテーマ。しかし、今や中国の航空産業は世界でもトップクラスですから、これをマニアックと感じること自体がもう時代遅れなのかもしれません。
 また、凋落していくロシアの軍需産業が最後まで競争力を持っていたのが航空機エンジンでもあります。果たして中国のエンジン技術がどこまで到達しているのか、ロシアが完全に勝ち目がなくなるのはどのあたりにおいてなのか。この辺を知るためにも有益な一冊になりそうです。

【インサイト】軍事支出から見るロシア・ウクライナ戦争

ロシア・ウクライナ戦争の戦費が「1日2兆円」?

 一時期、日本のマスコミから集中的に問い合わせがあったのがこのテーマです。ロシアの戦費が1日に2兆円(3兆円という説もあり)かかっているという説は本当か?という電話が10件がとこは来たと思いますが(どうもマスコミは同じ時期に同じようなことを集中的に聞いてくる傾向があります)、私からは毎回同じようなことを答えていました。
 すなわち、「金は掛かっているだろうが、1日に2兆円とか3兆円ということはありえないのではないか」ということです。後述するように、ロシアの国防費は人件費から装備調達費までひっくるめて年間3兆5000億ルーブルちょっと、要するに日本円で5-6兆円ですから、こんなペースで金を使える訳がありません。
 また、これだけの金を毎日何に使うのかということもいまいち想像がつきません。弾薬や燃料は激しく消費されるでしょうし、兵器も破壊されたり鹵獲されたりして損耗していくというのは分かりますが、それは過去に調達してあったものです。「X兆円相当の損失が出ている」とは言えても、それは「X兆円の戦費が掛かっている」というのとは別問題でしょう。また、軍人の給与とか糧食費とかは普段から国防費の中に含まれている訳ですから、戦時の危険手当みたいなものをつけるとしても、そう極端に増加するとは思われません。
 では、この「戦費が1日2兆円」説は一体どこから出てきたのか。ちょっと検索してみると(便利な時代です)、「経済回復センター」などいくつかのコンサル会社が2月28日に出した合同レポートが元ネタのようです。

 そこでレポートの中身を見てみると、開戦後100時間の時点における「ロシア経済の損失」が70億米ドルだと書かれています(p.10)。つまり、ここで言われているのは戦争のために毎日出ていくカネの額ではなく、ロシアが被っている損害の規模だということです。
 より具体的にいうと、(A) 確認されたロシア軍の損失数とその平均価格を掛けた額と、(B) 戦死した兵士がその後40年間に渡って生み出すはずだった価値と戦死者数を掛けた額が算出の基準になっており、内訳は次のとおりとされています。

(A) 兵器の損失額:約42億ドル
 ・航空機:8500万ドル×29機=24億6500万ドル
 ・攻撃ヘリコプター:1408万3000ドル×29機=4億800万ドル
 ・火砲:156万6000ドル×75門=1億1700万ドル
 ・戦車:236万8000ドル×191両=4億5200万ドル
 ・装甲車両:98万1000ドル×816両=8億100万ドル
(B) 人的資源の損失額
 ・51万8000ドル×5300人=27億4600万ドル

 この計算根拠がどこから出てきたのだ、というツッコミは措くとして、仮にこれだけの損失を100時間で出したのだとすると、概ね1日あたりで17億ドルくらいということになります。さらにこのレポートでは、推定に含まなかったカテゴリーの兵器の損失額、傷痍軍人への補償、燃料・弾薬などのコストを含めると、ロシアの損失額はさらに大きくなるとしています。
 こういうことならばわからないではないですが、やはりこれは「戦費」とは言わないでしょう。
 さらに話をややこしくしたのは、コンサルタンシー・ヨーロッパという別のコンサル企業が出してきたレポートです(以下)。

「経済回復センター」による上掲の推定(5日間で70億ドル)に触れつつ、そこからいきなり飛躍して「1日あたりのコストが200億ドル以上になる」と言い出したもので、その根拠はよく分かりません。戦争によるコストが1日に17億ドル分くらい発生していて、ほかにも捕捉できないコストがあるよ、という「経済回復センター」の主張は理解できるのですが、これと「200億ドル」がどうも結びつかない(20億ドルだというならまだなんとなくわかる)。
 コンサルタンシー・ヨーロッパによるレポートにはさらに杜撰な点もあります。本文では「200億ドル」とされている1日の戦費が、タイトルでは「200億ユーロ」になっている点です。これを4月初頭のレートに当てはめるとたしかに2兆7000億円くらいになりますが、ここまでみてきたように、「200億」という数字の根拠も曖昧なら単位もドルだかユーロだかさえはっきりしないのですから、真面目に論じても仕方ないでしょう。
 まして「戦費でロシア経済が破綻」といった期待は持つべきではない、ということです。
 さらにいえば、ロシアはウクライナ東部で8年、シリアで7年に及ぶ戦争を行ってきたことは忘れるべきではありません。今回の戦争とは規模が違うので直接には比較できませんが、この国は長期にわたって戦費を負担できるということです。

ロシア連邦予算法の読み方

 では、実際の戦費はいくらかかっているのだというと、これはよく分かりません。軍事分野におけるロシアの情報公開度を考えると、正確な数字が出てくることは期待薄でしょう。実際、ウクライナ東部紛争やシリア作戦に関する戦費はこれまでも一切公開されてきませんでした。
 一方、ウクライナ側は1ヶ月間でロシアが消費した戦費を100億ドル(約1兆2000億円)と見積もっているようで、まぁこのくらいが妥当かなという気もしますが、あくまでも印象論です。

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