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第95号(2020年8月17日) ベラルーシ大荒れの背景は?ほか


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【インサイト】ベラルーシ大荒れの背景は?(その1)

 日本ではあまり報じられていませんが、ベラルーシ情勢が大荒れの模様を呈しています。
 1994年からルカシェンコ大統領による独裁が続いてきた同国ですが、8月9日に行われた6回目の大統領選を機に反政府運動が盛り上がっており、国営企業でのストにまで発展している他、政府の治安部隊や軍からも反体制派に身を投じる人々が相次いでいます。
 しかし、盤石と見られていたルカシェンコ体制がここへきて何故、急に揺らぎ始めたのか。私はこの辺は専門ではありませんので、初の試みとしてゲスト・ライターをお迎えして解説してもらうことにしました。
 以下、モスクワ在住国際政治アナリスト村上大空氏による解説の第1回をお届け増します。

連載:ベラルーシ大荒れの背景を探る
「中小規模のデモからティハノフスカヤへ」
村上大空(モスクワ在住国際政治アナリスト)

 ベラルーシ大統領選挙(8月9日)から一週間が経過した。「欧州最後の独裁者」として悪名高いアレクサンドル・ルカシェンコは80.08%の票を獲得し、6度目の再選を実現。しかし、大統領選挙当日、およびその選挙キャンペーンにおいて、数多の不正が指摘されており、ベラルーシ国内では、大統領選当日より、抗議運動が多発した。
 こうした情勢は、少なくとも本メルマガ執筆時点では落ち着く気配はなく、情勢は未だに流動的である。
 小泉悠先生のメルマガの枠をお借りし(小泉先生の論考を楽しみにしていた読者の皆様ごめんなさい)、8月9日に行われたベラルーシの大統領選挙、およびその後のデモの展開を振り返る。
 第一回では、ティハノフスカヤが台頭した背景を概観し、大統領選挙前日までを扱う。なお、村上大空はペンネームであり、本メルマガは特定の組織の見解を代弁するものではなく、すべて個人の見解であることをお断りしておく。また筆者はベラルーシ語を理解しないため、表記はロシア語のものに則っている。

求められる変化
 今回の大統領選挙の特徴として、ベラルーシの大手メディアよりも、OGP-TV(ОГП-ТВ)やナスタヤーシチャヤ・ヴレーミャ(ロシア語で現在の意)のような独立メディア、あるいはビデオブロガー(ざっくり言えば、政治について発信するユーチューバー)といった個人の活躍が挙げられる。
 彼らは大手メディアが報じない各地の中小規模のデモにカメラを向け、参加者を解散させようとする警察の対応を含め、その様子を拡散していた。しかし、そのようなデモは突発的で、有力な指導者がおらず、「デモを企画した」とされる者はその後連絡が取れなくなることが多発。またデモの発生地付近において、インターネットが遮断されるなど、その活動があからさまに妨害されていることも報告されており、ベラルーシ当局による介入が明らかになっていた。
 これに対し、デモの参加者や市民は「会社に行きたいけど、どのルートで行ったら、足止めを食らわずに行けるのか」と警察への問い合わせ、「そのような事実はない。そんなに心配なら、会社に行かなければいいじゃないか」という対応を録音し、その音声を自らが発信、あるいは発信力のあるビデオブロガーに音声を提供する、といったささやかな抵抗を続けていた。ただ組織力が弱く、本来であれば、所詮コップの中の嵐で終わるものになるはずだった。
 しかし、このデモ活動を後押しするあるネット上の世論調査の結果が拡散されたことで情勢が大きく変化した。
 それによると、ルカシェンコの支持率は、たったの3.8%であり、彼が大統領をやめるべきと回答したのが62.6%。そして、ルカシェンコ以外であれば、誰にでも投票するつもりがあると72%が回答しているという。むろんこれは非公式のネット調査であり、実態を正確に反映しているものではないだろう。
 しかし、ベラルーシにおいては、公正な調査機関が存在しない。そのため、「大統領の支持率は70%を超えている」という政権側の主張を信じるか、ネット上の大統領の支持率が異様に低い数字を信じるしかない。実際、他の多くのネット調査でも似たような結果が出ていた。
 デモの参加者は積極的にこの数字を援用し、「サーシャ(アレクサンドルの愛称)3%」と唱え、「我々は97%だ!」と主張。この様子をネットメディアやビデオブロガーが積極的に発信した。
 こうした動きに対し、ルカシェンコは「ネット上の情報に振り回されるな。デモは法律で認められる範囲でなされるべきであり、ウクライナで2014年の政権崩壊につながったマイダン革命は「起こさせない」。「国をやるつもりはない」」と主張。これに対し、ネットメディアやビデオブロガーは「ベラルーシは、一個人の所有物ではなく、ベラルーシ国民のものである。これは最重要文書である憲法にも書いてある」とこぞって反論し、政権に対する批判を繰り返してきていた。

反体制派ブロガー、ティハノスキーの拘束
 中でもとりわけ大きな存在感を出していたのが、ビデオブロガーのセルゲイ・ティハノフスキー。もともとは自身のYouTubeチャンネル「住める国へ(Страна для жизни)※筆者の意訳」において、大手メディアが触れない経済や政治問題について発信し、ルカシェンコ批判を展開していたが、デモの取材を通して改革の必要性を訴え、支持層を拡大していった。
 彼はデモの取材の他には、時には養豚場で「権益にしがみついている政治家たちにインタビューを取ってみよう」と豚を追い回す。そして別の動画では、田舎の熱心なルカシェンコ支持者の老婆にマイクを向け、「問題がいっぱいあるのに、なぜルカシェンコを支持するのか」「他の大統領のことを知らないのに、なぜルカシェンコが一番いい大統領だと思っているのか」と質問責めにし、最後はその老婆に「私は他の候補者のことは知らないけど、ルカシェンコが一番いい候補だと思う」と言わせるなど、やりたい放題だった。
 そんな破天荒な彼も支持者の要請を受け、大統領選への出馬を表明。支持者に向けたビデオでは、ベラルーシは公正な選挙を欠いており、自分たちの代表を自分たちで選べず、その代表の責任を問うことができない。公正な裁判もなく、憲法を取り返す必要性と法の正常化を訴えた。そして、26年間独裁者によって国が支配されており、国民は仕事を失いたくないがために、黙っているしかない。ベラルーシには変化が必要だ。「ゴキブリを止めろ!」と訴えかけた。
 ティハノフスキーはデモの参加者からの支持も高く、彼がベラルーシ各地で企画していたデモには人が詰め寄っていた。独立メディアにおいて、反ルカシェンコの最有力候補としてもてはやされていたが、ベラルーシ当局からの圧力が強く、「公共秩序を乱した」という理由で5月末に拘束され、その後逮捕された。

躍進するティハノフスカヤ
 ここでティハノフスキーの代わりに出馬を表明したのが、妻のスヴェトラーナ・ティハノフスカヤ。主婦であった彼女は夫の地方訪問についていくなど、選挙活動を支えていた。政治に対してはもともとは中立的であり、夫とは政治が話題になることはほとんどなかったという。
 彼女の出馬は容易ではなかった。例えば、ドイツの国営メディアDeutsche Welleのインタビューに対して、夫の出馬にあたって必要な署名を提出しようとした際、「詳細は明かせないが」と前置きしたうえで、ウクライナの番号より「署名の提出を見送った方がいい。でないとあなたたちは捕まり、子供は孤児院に入れられる」という旨の電話があったことを告白。当局からの圧力があったことをほのめかしていたが、「夫の助けになりたい」と屈せず、一晩で必要な署名を集め、大統領選に出馬した。
 まわりの候補が署名上の何らかの不備を理由に出馬を実現できない中、彼女だけが出馬できた理由は謎である。
 ただルカシェンコはたびたび「国は強いリーダーを求めているが、そのリーダーは男(ムジーク)でないといけない」という旨の発言を繰り返しており、女性が大統領になりえない、とタカをくくっていた。彼は自分のことを「ゴキブリ呼ばわりしないでほしい」と発言していたことから、ティハノフスキー候補のことは知っており、中央選挙管理委員会においても、ティハノフスカヤ候補のことは知れ渡っていたはずだ。
 いずれにせよ、ティハノフスカヤは出馬を認められ、大統領選挙の正式な候補者となった。彼女は夫の思いを引き継ぎ、「94年憲法に戻し、半年後に大統領選挙をやり直す」ことを主張。つまり、彼女の主張は「新しい国にする」というよりも、「正常」な状態に戻すことを掲げていたものであった。よくも悪くもシングルイシュー候補であり、反ルカシェンコ票の受け皿となった。
 またティハノフスカヤの勢力には、出馬を認められなかった有力候補であったウィクトル・ババリコとヴァレリー・ツェカプロ陣営が合流を表明。前者が当局に拘束され、後者も国外に避難したため、代わりにババリコ陣営の選挙対策本部長のマリア・コレスニコワとツェプカロの妻であるヴェロニカがティハノフスカヤの活動を支援。3人は行動を共にベラルーシ各地の支援者を訪れた。ティハノフスカヤは当初はセルゲイの妻である、というイメージがついていたが、両陣営の合流により、ルカシェンコに対する有力候補になっていった。

「白の革命」?
 ティハノフスカヤ陣営は集会の参加者に対して、公正さと変化の証である白いリストバンドをつけて参加するように要請。彼女への支援が可視化される努力をしていた。集会には、多い時には6万人が参加し、ベラルーシ内では最大規模の野党集会であったという報道もあった。
 ティハノフスカヤの選挙活動はベラルーシ当局からの妨害を直接的にも間接的にも受けた。例えば当初集会会場として指定し、事前に許可の下りた広場には当日、工事用の重機が複数台置かれていたり、警察より安全を確保できないという理由で開催を断念するように働きかけられたりされることもあった。ティハノフスカヤ陣営はこうした圧力に対し、集会の場所を変えたり、妨害の様子を動画に収め、それを発信したりして、抵抗を続けていた。
 ティハノフスカヤ陣営は特に選挙の透明さの確保に努めた。公正な選挙を実現するためには、期日前投票には行かず、圧力があった場合には人権団体に連絡するように呼びかけ、選挙結果の改ざんを防ぐよう、協力を要請。事前に正しい投票用紙を説明し、記入した後に両面の写真を撮り、集計をしている団体にそれを送るよう呼び掛けた。法律により、投票用紙の撮影は禁止されておらず、誰に投票しても個人が特定されることはない。結果が正しく集計されたことを確認できるように工夫した。
 このような文脈でベラルーシは大統領選挙当日である8月9日を迎える。
(次回に続きます)

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