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手をつなぐ二人の距離は 第11話

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「やっぱり豊橋名物だもん!一度乗りたかったんだ!」
 那由は、初めて乗る路面電車にはしゃいでいる。

 土曜日。僕たちは敦のコンクールを聴きに出かけた。
 場所は豊橋公会堂。敦たちの出番は二時半くらいと聞いていたので、早めに昼を食べてから出かけることにした。 
 豊橋駅に出てから、陸橋を渡って路面電車に乗り換える。しばらくホームで待っていると、電車がカーブを曲がってやってきた。路面を車と一緒に走る一両編成の電車は、那由が言う様に豊橋の名物と言われている。
「ちっちゃくてかわいいね、晴ちゃん!」 
 そういえば那由が引っ越してきてから今まで、乗る機会がなかったっけ。運転席越しに進行方向の景色が見える一番前の座席を陣取って、那由はご満悦だ。 
 チンチン、とレトロな鐘の音がなり、電車が動き出した。ゆらゆらと揺れるように走りながら、交差点で曲がり、信号で止まる。そして停留所でも、もちろん止まる。
「ゆっくりだねえ、不思議な感じ」 
 那由は、窓ガラスに顔を押しつけんばかりの熱心さで風景を見ている。確かに、母さんの車から見る街の風景とは、ちょっと違う……かもしれない。 
 車内は空いているが、停留所から一人、また一人と、ちょっとずつ人が乗ってくる。
「市役所前、お降りの方は、ボタンを押してお知らせください」
 車内アナウンスが、降りる駅名を告げた。僕がボタンを押すと、「あー、私が押したかった!」那由が怒った。子供か。 
 車内では静かに、のサインのつもりで人差し指を口に当てて見せてから、僕は降車口に向かった。那由は、慌てて両手で口を塞ぎ、黙ってついてきた。 

 「だってさ、『降車ボタン』って、こういうときの華じゃない」 
 電車が発車するのを見送って、那由が不満げに言う。
 「まあまあ、帰りには那由が押したらいいじゃないか」
 「それならいいか……って、帰りに降りる駅前は、終点じゃないっけ?」 
 気づいたか。しかし、そんなふくれた顔も、公会堂が見えてくるにつれ明るく変わった。
 「うわー、きれい!」 
 公会堂は、彫刻で飾られた白い建物だ。正面の大きな階段と、円柱が目を引く。周囲には、今日のコンクールに出場予定なんだろう、楽器ケースを持った制服姿の集団があちらこちらに固まっている。
「いいか! お前たちは…………!」
「はい!!!!!!」
「だから! ………………!」
「はい!!!!!!」 
 何を言っているかは聞き取れないが、それぞれの集団から、顧問の怒鳴り声と、それに負けないような大声の返事が聞こえる。 
 鬼気迫る雰囲気に、こっちの気持ちまでそわそわしてくる。それは、那由も同じようだ。僕にしがみつかんばかりに、距離を詰めてきた。
「怒鳴り声って、なんで出すんだろう」
「なんでって」
「言葉を聞いてほしいなら、逆効果だよ。体が固まって、何にも頭に入らなくなっちゃう」
「……まあ、そうかな」
「コンクールなのに体を固めたら、もっと逆効果じゃない?」
「あの人たちは、大きな声に慣れてるんだろ。自分たちも大きな音を出すんだし」
「……そんなもんかな」 
 僕のいい加減な答えに、那由は首をひねりながら「帰宅部でよかった……」とかなんとかつぶやいている。
「ほら、行くよ」僕たちは、並んで公会堂の階段を上った。
 入り口でチケットを差し出し、半券とパンフレットを受け取る。 
 しばらくロビーで時間を潰すことにした。ロビーには大きなテレビが据え付けられ、画面の中ではどこかの学校が演奏していた。
「これ、今、演奏中の人たちかな?」那由が、画面を指さす。
「そうなんじゃない?」 
 どの顔も真剣だ。揃って背筋を伸ばしている様子は、僕の落ち着かない気分を、ますます加速させていく。

 いくつかの学校の出番を見送り、僕たちの学校、つまり敦の出番の直前に座席に着いた。
「晴ちゃん、ここ、ここ、空いてるよ」 
 幸い、出て行く人と入れ違いに、通路横に二人並んだ席を確保することができた。 
 ずいぶん混んでいる中で、空いている席がすぐ見つかるなんてラッキーだ。そう思いながら会場を見渡すと、前の方に、さらさらとした長い髪の女の子が見えて、ちょっと心臓が跳ねた。永野さんだ。敦のやつ、何だかんだ言いつつも、自分で永野さんを誘うことに成功したんだ。 
 やがて、ステージの上に見慣れた制服が並び始めた。手にした楽器たちは、どれも会場の照明を映してキラキラと光っている。 
 一番端に、敦もいた。トランペットの一団は、ステージの高いところに陣取って、ひときわ輝いている。 
 チェレスタや、大きなハープまで運び込まれている。うちの学校の吹奏楽部、えらく大規模だったんだな。 
 舞台の上の雑踏が収まり、それぞれの配置に生徒たちがついた時、場内アナウンスが僕たちの学校の名を呼んだ。 
 指揮棒が上がり、数十人の息を吸う音が揃う。一瞬、静寂が張り詰め、そして音楽が爆発した。
 初めて、オーディオ機器を通さない「生の音」をホールで聴いた。家のスピーカーから出る音楽は空気を染めるけど、いま目の前にある音楽は圧力を持ってぶつかってきて、会場全体を震わせている。
 音の切れもいい。こんな演奏ができるようになるまでには、どれだけの練習をしたんだろう……。僕が家に引きこもっている間に、彼らは。敦は。 
 転がるようなピッコロを引き立てるように、スッと全体の演奏が小さくなった。でもひとつひとつの存在感は消えず、音の粒が均等にそろっている。そして再び音楽は大きくなり、さらに熱を帯びてクライマックスを迎える。 
 トランペットのソロが響き渡った。敦だ。 
 敦は、飯山の弟との競り合いに勝ったらしい。敦のために喜んでやるべきなのだろうが、そんな余裕すら、今の僕にはなかった。 
 課題曲が終わり、指揮者の先生の楽譜がめくられた。二曲目の『7つのヴェールの踊り』。ティンパニが激しく打ち鳴らされる。 
 曲調が次々と替わる中、敦はトランペットを置き、舞台の左隅に据えられたチェレスタの前へと移動した。まったく、どんだけ色んなことができるんだよ。聞いてはいたが、実際にこうやって目にしてみると……。 
 早く終わってくれないだろうか。演奏中、僕はそればかり考えていた。 
 気になる女の子を誘うのに成功して、楽器も人並み以上に演奏できて、ステージの上であんなに輝いている。そんなすごいやつに親近感みたいなもんを持つなんて、僕はどれだけ思い上がっていたのだろうか。いたたまれなさと、動悸が止まらない。 
 練習に費やされた数百時間。その全てのエネルギーがぶつけられ昇華した数分間のあと、残響音が消え、指揮の先生の手が下ろされる。客席からの大きな拍手が止むと同時に、僕は席を立った。
「すごかったねー、ドガジャガドガジャガ、って……あれ、晴ちゃん、もう行くの?」 
 那由も慌てて立ち上がり、案の定パンフレットを落とした。僕は散らばったチラシとパンフレットを拾い上げ、出口へと急いだ。
「あ、ごめんごめん、」 
 那由もついてくる。
「ごめんって……」那由は謝ってくるけれど、だから、僕は一刻も早くこの場を立ち去りたいだけなんだって。

 帰りの電車の中でも、会話は弾まなかった。 
 那由は、もの言いたげにこちらをチラチラと見てくる。そんな顔をされても、会場で説明している時間も惜しかったし、那由の声は大きいから、会話もできなかったし。 
 僕の様子がおかしいくらい、見てわかるだろうに。勘弁してくれよと思うのだが、それができないのが、那由だもんなぁ……。

 日曜日。永野さんに、カーディガンを返す日だ。
正直、気が重い。敦と、顔を合わせたくない。僕の気持ちとは裏腹に、豊橋の空は晴れ上がっていた。
 梅雨入りする前にと、朝から家中の窓を開け放って、三人分のシーツを洗濯し、布団をベランダに干しておく。
 手伝ってくれている那由も、心なしか暗い顔だ。
「永野さんと、何を話せばいいのかなあ」
「まあ、」洗い上がったシーツのしわをたたいて伸ばしながら、僕は返事をした。「特に、しゃべらなくてもいいんじゃないの。カーディガンを返して、それで帰ってくればいいじゃん」
「そういう訳にもいかないでしょ」那由は、タオルを一枚ずつ念入りに振るっている。
「失礼なことをしたら、ちゃんと謝る。最低限でも、世間話をする。これが、人間世界のルールらしいし」
「人間世界って」
「『仲間に入れてください』って表明するには、ルールを守らないといけないらしいね。そのルールがどんなものかは、どこにも書いてないからよく分からないけど」
 そう言って那由は、振るったタオルをパラソル型のハンガーに掛け始めた。真剣な顔で干している割には、ハンガーはどんどん傾いていく。
「那由、間をあけて干さないと乾きが悪いってば」
 たまらず僕が声をかけると、那由ははっとした顔をしてパラソルハンガーを見直した。
「……タオル一枚ずつしか見てなかった……」
 確かに、一枚ずつのタオルは、きれいに真ん中でかけられてはいるけど。
 那由は掛けたタオルをハンガーの骨一本おきに外し、もう一度干し直した。
「晴ちゃんは、書いてないルールがいろいろよく分かるんだねえ」那由はこちらを見ずに言った。
「私は、やっぱりよく分からないや」

 僕も那由も冴えない気持ちを抱えつつ、待ち合わせのハンバーガーショップに向かう。
 店内に入ると、もう敦と永野さんは並んでテーブルに着いていた。それぞれの前に、アイスコーヒーが置かれている。
 敦が、こちらを見つけて手をひらひらさせてきた。那由はやや硬い表情で、カーディガンの袋を胸に抱きしめている。
「そんなに抱きしめていると、カーディガンが皺になるよ」
 僕が声をかけると、那由はあわてて手を緩めた。両手で持ち直すと、敦と永野さんのいるテーブルに早足で向かっていく。
「永野さん、あの、これ……」
 那由が袋を突き出した途端、袋が永野さんのアイスコーヒーに引っかかった。プラスチックのコップが傾き、水音とともに倒れる。
「那由! 何やってんだ!」
 カウンターに向かっていた僕は慌てて引き返し、通路に置いてあった紙ナプキンを何枚か掴んでテーブルに駆けつけた。
 那由は固まっていたが、僕が来たのでやるべきことを思い出したようだ。テーブルの上に広がったコーヒーを、四人で拭き取る。
「永野さん、ごめんなさい。コーヒー、弁償させてください……」
 那由は永野さんに謝った。
「いいわよ、別に。今回は服も無事だったし」
 永野さんは微笑んだが、那由は恐縮したままだった。

 いつまでたっても、那由から日記帳は返ってこない。那由、このまま交換日記をやめちゃうつもりなのかな。


(続く)


次の話はこちらです。
最終話、読んでくださればうれしいです。

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