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札幌市子どもの権利条例と「子ども観」

 こんにちは。教育系キャリアコンサルタントの、みのるです。

 僕が参加している札幌のオルタナティブ教育学習会で話題になったことを、不登校の親の視点や、教育系キャリアコンサルタントの視点の両面から考えたことを綴ります。

 今回は、オルタナティブ教育学習会の始まりから、子どもの権利条例が制定される時に見られた「子ども観」の違いについての論考です。

1.オルタナティブ教育学習会のはじまり

 僕が参加している、札幌のオルタナティブ教育学習会は、2021年11月にスタートしたばかりのプライベートな学習会で、大学のゼミ活動のような集まりである。

 11月と12月に、例会を1回ずつ開いて、オルタナティブ教育に関するトピックについて話し合った。話し合いと言っても、まだ会が発足したばかりであるため、雑感、雑談のようなものではあるが、気付けば毎回、予定の2時間があっという間に過ぎていた。

 この学習会は、僕の知人のAさんがアイディアから・・・、いや、むしろAさんの「学びたい」という強い好奇心から生まれたものだ。

 Aさんから連絡をもらった11月中旬に、僕はAさんと一緒に、札幌でフリースクールを運営している代表とお会いして、学習会の発足について打ち合わせをしたのだった。僕は、Aさんのその行動力に感服しつつ、Aさんとフリースクールの代表のSさんとの話を聞いていた。

 11月下旬に、道民活動センターの学びの広場を利用して、第1回目のオルタナティブ教育学習会が行われた。メンバーの一部はオンラインでの参加となったが、僕とAさんのように、不登校の子を持つ親、不登校だった子を持つ親だったり、フリースクールの代表だったり、大学の先生だったり、高校の先生だったり、オルタナティブ教育に関心がある「現場側」の人間が集まった。

 ここでいう「現場側」とは、不登校の子と関わる側で、その逆は「行政側」としておくが、便宜的な区別で、あちら側とこちら側というような敵対的な区別をしているものではない。

2.オルタナティブ教育とは

 オルタナティブ(alternative)は、「代わりになる」「代替する」という意味の形容詞である。オルタナティブ教育は、代替教育という訳語になるが、学校教育法に位置付けられる学校での教育、いわゆる一条校での教育に代わる教育を指す。

 一条校とは、小学校、中学校、高校、義務教育学校(小中一貫校)、中等教育学校(中高一貫校)、大学、高専、特別支援学校、幼稚園のことで、僕らが一般に「学校」と読んでいる場所のことで、学校教育法の第一条に定められているだけの場所のことである。

 義務教育の代替となる教育をオルタナティブ教育と呼ばれることが多く、代表的なものに、フリースクールでの教育や、不登校の子が家庭で学ぶ「家庭教育」が挙げられる。海外であれば、オルタナティブ教育を担う場所として、チャータースクールやシュタイナー学校が挙げられる。

 日本では、2016年に「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が公布され、不登校の子への積極的な支援へと舵が切られた。この法律は、教育機会確保法と省略され、主に義務教育での不登校生徒の支援、「学びの保障」の側面が強い。フリースクールの代表Sさんは、確保法は、フリースクールなどの一条校ではない場所の法的根拠を十分に与えるものではないと、話されていた。

 しかしながら、不登校の児童生徒(小学生・中学生)が18万1272人(2019年)で児童生徒1000人あたり18.8人(2019年)と、毎年増加し続けているため、「不登校」を法律的に支援することを謳ったのは意義があるとも話されていた。

 そして、さらに不登校の人数が19万6127人(2020年)と過去最多になった。さらに、児童生徒(小中高)の自殺が合わせて415人(2021)となり、10年前の2.7倍になっていることが文部科学省の問題行動・不登校調査で明らかになった。

 学校以外の「居場所」が必要であるし、学びたいという気持ちがあれば学校以外の場所で学べるように行政側が支援をするようになったことは意義がある。

3.フリースクールでの気づき

 僕が大学生の頃、半年程度の短い期間ではあったが、フリースクールでボランティアスタッフとしてオルタナティブ教育に関わったことがある。

 不登校の子たち、学校の外にいる子たちと出会い、僕はフリースクールの役割を直に学ぶことができた。さまざまなことを学ぼうとする子もいれば、ゆっくりと休み、学校のいろいろなプレッシャーから自分を解放している子もいて、そういう子たちが「居ても良い場所」「存在を互いに認めることができる場所」がフリースクールだと感じたのだ。

 小学校から中学校、高校と単線化された日本の教育システムの中で、寄り道ができるオルタナティブ教育が必要だと感じた最初の体験だった。

 今の僕は、キャリアカウンセリングやコーチング、教育的カウンセリングトレーニングの方法を学び、その専門性を活かして、学校生活を送ることが辛そうな子どもたちの話を聞いている。

 フリースクールで出会った子たちと同じように、現場側でも、単線化システムに上手に乗れないと子もいるし、いじめや教員からの暴言で、学校に行くことが不安になる子もいる。今の学校に行きたいか、行きたくないかという二択ではなく、学校に「行かなければならない」という一本道ではなく、たくさんの寄り道があって「行きたいところに行くことができる」選択肢がたくさんあることに子たちが自分で気づけるように、僕は支援している。

 海外のように、複線化の教育システムが全て正しいとは思わないが、日本の中にも緩やかな複線化の教育システムが必要だ。僕は、日本の国民性というか感性に合う、オルタナティブ教育の方法をもっと知りたい。

4.札幌市子どもの権利条例の制定と「子ども観」

 12月の第2回学習会では、「子ども観」がテーマだった。小学生や中学生を「子供扱い」する大人がいるが、そもそも「大人」は「子供」をどのように見ているのか、その「子ども観」が違いすぎるので、オルタナティブ教育への理解が進まないという仮説から生まれたテーマである。

 その事例として、「札幌市子どもの最善の利益を実現するための権利条例」、通称、子どもの権利条例の制定のついて僕たちは意見交換をした。

 この、札幌市子どもの権利条例は2008年(平成20年)に制定されて2009年(平成21年)21年に施行された条例である。2005年に、札幌市子どもの権利条例制定検討委員会が設置され、学識経験者や公募の市民、高校生など25人の委員が選出た。この委員会のレポートは札幌市のホームページからダウンロードできるのだが、制定までの紆余曲折がよくわかる資料となっている。

 子どもの権利条例を制定することへの賛成意見や反対意見、消極的な意見が残されていて、「権利という言葉に対して義務がある」というような意見が見られ、特に「意見表明権」への抵抗が強いと僕は感じた。中間答申に寄せられた市民意見概要から、一部抜粋する。

《18歳未満の市民からの積極的意見》

  • 親や先生達などの大人たちは、「子どもは、自分で何も決められない」などと思っていることがあるので、子どもは一人ひとり意思や想うことなどがあるから、その想いや意見を聞いて、話し合ってもらいたい。

  • 子どもには、子どもなりの考え方がある。子どものための条例をつくるのなら、子どもの意見を聞くべきだと思う。子どもは、かならず大人になるのだから、子どものうちか ら社会のことにも少しふれておいたら、大人になったときに役に立つと思う。

《18歳以上の市民からの消極的意見》

  • 意見表明権が必要というが、そんな子どもたちが占めたらどうなるのか、学校の中で「私は数学はいやだ」と表明したら、どうまとめるのか。

  • 条例制定に関して、「子どものわがままを助長するだけではないか。」という批判はないのか。自分もそう思う。

  • 子どもの権利ばかり先行するのはおかしい。まず、義務を果たしてから、権利について言うべきだ。市は、子どもの義務についての条例をつくるのが先だ。

 僕は、このレポートに書かれていた異なる意見を読んで、根底に「子ども観」の違いが際立って大きいのだと感じた。

 子どもの意見表明権は受け入れたがたい、という意見は、彼らにとって「子供は大人にとって都合の良い存在」、「子供は未熟で信頼できない存在」という子ども観が垣間見えた。学習会では、Aさんが真っ先に、この子ども権利条例の制定レポートから感じた違和感を表明し、僕もさらに調べようと考えるきっかけになった。

 僕の中学生の子は不登校だが、わがままで学校を行かないという選択をしていない。むしろ、学校で学ぶ意義を感じず、家庭で学ぶことを積極的に選んだ。僕は、最初は戸惑いもあり、少し時間はかかったが、子どもの意見表明を受け入れた。そして、今は、僕の子が、自分の言葉で意見表明できたことを誇りに思っている。だから、レポートにあるような消極的意見に強い違和感を感じたのだ。

 第2回学習会を終えて、子どもを、どのような存在として捉えるのか、次回も子ども観について、もう少し時間をかけて話したいと思った。

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