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ナナメさん#013 みるみるさん

大学を卒業後、一般企業に就職し、組織に所属しながら生きる。多くの学生がイメージする社会人の姿だろう。みるみるさんもそんな風に社会人として歩んできた。しかし、頭の片隅にはいつも、海外で見た心豊かな生き方への憧れがあるのだそう。仕事や生活の理想と現実を見つめ続けてきた、みるみるさんからのメッセージ。

みるみる さんのプロフィール

・男性・40代半ば・関東地方出身

・高校:県立高校普通科

・部活動:高校では帰宅部

・好き(得意)だった教科・分野:地理、歴史、確率統計、中学の数学の証明問題、生物など
・嫌い(苦手)だった教科・分野:英語(大学では好き)、古文、技術科、美術、音楽(美術や音楽を観賞するのは好き)

・卒業後の略歴を教えてください:大学(March)卒→就職→転職3回

・現在の家族構成:妻と子ども2人

・趣味:旅行、神社仏閣巡り、以前はマリンスポーツ、最近は山歩き(登山レベルではない)

・休日の過ごし方:子どもと過ごす、神社仏閣や山に行くなど

・好きな音楽:ZARD(世代が分かりますね)

・おすすめの本:モモ、最近は新書あれこれ

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将来について深く考えることはなかった

――みるみるさん、今日はよろしくお願いします。早速ですが、みるみるさんはどんな学生時代をお送りになったのでしょうか。

子供の頃から漠然と海外に興味があったんですね。小学校の頃に友達と世界地図を見て問題を出し合っていたことで世界地理に詳しくなり、テレビで外国の話題が出ると妙に心惹かれるようになっていました。
実際に海外に行ったのは大学生になってからですし、高校までは英語も嫌いだったのですが。

――高校・大学は、「海外」という軸ではお選びにならなかったんですね?

そうですね。中学の時の成績は良かったので、高校は進学校と言われるような学校の中から良さそうなところを選びました。
当時はわりと「今が楽しいことが大事」という考えで生きていました。将来のために具体的にどう行動すればいいかもわからなかったし、将来のことって何だか重くて、考えるのが怖いような気もしていました。
むしろ将来の夢も、恋人も、いつか運命的な出会いがあるだろうと信じていたところもあり…。まぁ世間知らずだったんですね。

――あぁ…わかる(笑)。では大学受験の際も、将来についてはあまり考えずに専攻を選んだんですか?

当時はバブル崩壊直後で、氷河期という感覚はまだない時代だったので、ある程度有名な大学に入ることが重要で、専攻はあまり関係ないという認識でした。
それで、ファミコンのゲームをきっかけに日本の古代史に興味が湧いていたこともあり、史学科を目指すことにしました。

――受験は志望校に合格されたんですか?

ある国立の難関大が第一志望だったのですが…。センター試験の結果はA判定で、これはいけると思っていたんです。ところが、受験日前に私大の合格をいくつかもらって安心してしまっていて、さらに当日の試験会場が暖かくて…国語の試験中に夢の国へ…。

――ひえぇ…!

遺跡発掘に、イギリス留学。充実していた大学時代

――それで結果は、やはり…?

はい、結果は案の定不合格で、受かっていた大学の中から進学先を選びました。
でも進学してみたら、気の合う仲間にも出会えたし、勉強熱心でユーモアのある先輩とも仲良くなれて自分の世界もすごく広がったし、とても楽しかったです。

――史学科ならではのアルバイトも経験されたそうですね。

1年の夏休みに、同じサークルの考古学専攻の先輩からOBの人が働く遺跡発掘現場に連れて行ってもらったんです。もともと2日程度の体験の予定だったのですが、良かったらバイトしないかと誘われて。友達と朝7時のバスに乗って山奥で発掘してました。

――それは貴重な体験ですね。

高齢の作業員さんと一緒に遺跡で働いた経験は、今でも印象に残っていますね。M.エンデの「モモ」に出てくる村の日常のように、ゆったりとした時間の中で精神的に豊かに働いている、そういう働き方には影響を受けたかもしれません。

――ところで海外に関しては。

大学2年の終わり頃まで発掘調査のバイトをしていたのですが、それに一区切りつけてイギリスに8週間行ってきたんです。ホームステイをして、語学学校に通いました。
そこは小さな学校だったので、先生方の目も行き届くし、学校中顔見知りで和気あいあいとした雰囲気で、人見知りの私にとってはすごくいい環境でした。

――いい学校を見つけられたんですね。

本当に気に入ってしまって、その後も二度、同じ学校に留学しました。大学在学中に、6週間と10週間行ってきました。他の国や別の学校も見てみたい気持ちもあったけど、イギリスにまた行きたい、あの村に行きたい、という気持ちが大きくて。
旅行ではあちこち行ってますが、留学先としてはイギリスのあの学校一択でした。

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就活が自分の価値観と向き合うきっかけに

――さて、充実した大学生活を送られていたわけですが、後半には就職活動も始まりますよね。いかがでしたか?

私が就活を始める頃にはもう就職氷河期になっていて、順調なのは超有名大の友達くらいでした。それに、日本で就職することに少し疑問というか、不安を感じるようになっていたんです。
留学先でのホストファミリーの親子の様子がずっと心に残っていて。親子がお互いに尊敬し合い、離れていても心がつながっている感じなんです。外国で働く息子さんが彼女と一緒に帰省して人生の相談をしてたり、日本では親子で見るのが気まずいような恋愛映画を一緒にしゃべりながら見てたり。そういうフラットかつ絆の深い親子関係、家族関係いいなあと思って。
そういう生活が「24時間戦えますか」の日本の会社では難しいんじゃないかと思い、「何をしたいか」も大事だけど、「どう生きるか」も考えたい…と模索していましたね。

――当時は特に、ワークライフバランスなんて考えはあまり無い時代でしょうからね…

日本だけで人生を完結させるのではなく、グローバルスタンダードの環境に片足だけでも置いていたかったんだと思います。
外国と関わりたい、外国人と働きたい、外国で働きたい。ヨーロッパ的な、プライベートを大切にできるような人生を生きたい。若いうちに苦労しても後にプライベートを享受できるようになりたい。そう思って、海外赴任があったり、少なくとも外国人のいるような会社をかなり幅広く受けては、片っぱしから落ちていました(笑)

――氷河期は尋常じゃない数の就職試験に落ちたと聞きますが…

私には武器と言えるものがあまりなかったので。
英語については、初めは「英語を武器にして就職を有利にしよう」という意識が割とあったんです。でもバイトしたり、何より海外に行きイギリス人や色んな国から来てる学生と話したりしているうちに、英語は日本の企業に入り込むためのものではなく、理想の生活を実現する手段である、と考えるようになって。
外国で暮らしたり、欧米流の家族を大事にする考え方の下で暮らしたいなら、英語はできて当然で、他に武器が必要だなと感じていました。

――他に武器、ですか。

イギリスにいたとき、料理の修行をしている日本人と出会ったんです。料理人として評価されれば、ある程度自分の好きな場所で生きられる。それがすごく羨ましいと感じました。鍼灸師や看護師、プログラミングの仕事も、働く場所や働き方を選びやすい仕事ですよね。そういう「どこででも求められる・評価される武器」を持っているって強いなと思いました。

――それは私も感じたことがあります。永住権が得やすい職種とか、早くから知っていたらまた違う選択ができるなと。

私はその時もう内定をいただいていたし、私立の四年制大学を出させてもらって、今さら全く別の道に進みたいとは言えない…と感じていました。

――その感覚すごくわかります。「大卒資格」とか「新卒で正社員」とか、目の前にあるのにあえて捨てるのってすごく勇気が要りますよね。

働き方やキャリア形成に悩み、三度の転職を経験

――ところで、みるみるさんは就職氷河期の中、内定を得ることができたんですね。

就職説明会で良い印象を持った、某英会話の会社に就職しました。活気のある会社で、いろんなことができそうで自分の成長にもつながるだろうし、外国人の社員も多いし…と。

――実際に働いてみていかがでしたか?

人がすごくいい会社で、男女の扱いの差も全然なくて、環境としては良かったです。ただ、始業が遅い分毎日24時過ぎまで残業で、当時付き合っていた妻となかなか会えなかったり、休みも合わせにくかったり…。
それに業務内容が社内だけで求められるような内容になってしまい、これではスキルを身につけて転職したり、海外転職を目指すのは厳しいと感じ、辞めることにしました。

――環境が良かった分、残念ですね。転職先は、どんな会社だったのでしょうか。転職活動は順調に進みましたか?

2社目は、某大手企業の子会社の商社です。一度、ある国際物流企業を受けて落ちたのですが、そこに入れたらいいなと割と強く感じたので、似た業種を受けました。働きながらの転職活動で、業種も違うため未経験者扱いだし、苦戦しましたね。転職先が決まるまで数か月はかかったと思います。

――やはり大変なんですね…。

この時独身だったら、鍼灸師や接骨師になるために学び直す選択をしていたかもしれないです。でももう結婚していたので妻との時間も大切にしたかったし、リスクのある選択をしたいとは思わなかったんですよね。そのため厳しくても一般企業への就職を目指しました。

――2社目の仕事内容はどんな感じだったのですか?

大手企業の子会社に就職したのですが、親会社に派遣される形で、そちらで仕事をしていました。ロンドンやニューヨークの現地採用スタッフと貿易関係のやり取りをしていました。大学で商業英語の授業を取っていたのが思いがけず役に立ちましたね。

――また海外とつながりのある仕事に就くことができたんですね。

はい、仕事は面白かったです。しかし、子会社で働いている人たちは8時頃には帰宅するのに私は10時半や11時半。また同世代の同じ業種の人たちは海外赴任があったり、プロジェクトでも色々と任されているのに、私自身は下働きから抜け出せる気配がなく…。
激務とモヤモヤした気持ちがキャパを超えてしまったようで、心療内科に通うようになり、数か月間休職もしました。

――お仕事がかなり負担になっていたんですね。それで次の転職を?

消極的な理由になってしまいますが、とりあえずこの状況を脱しなければと次の職を探しました。経験のあった教育業界で、海外展開も視野に入れていたある企業と出会い、入社したんです。ただ、ここも激務でして…
業績は上向かず、お客さんも社員も減り、巻き返しのために新サービスを手広く打ち出したため仕事は増える一方。どうにか終電で帰る日々だったのが、帰らずに近くのホテルに泊まったり、一度帰ってから夜中に車で仕事に戻るような生活になってしまって。

――何かおかしくなりそうな生活ですね…

リーマンショックで海外展開の構想も吹き飛んでしまったし、会社の将来性にも不安がありました。何より、当時子どもが保育園と小学校低学年で、一緒に過ごす時間を大切にしたかった。そこで今度は「土日休み・残業がひどくない・安定している」を条件に転職活動を開始、幸い良いご縁に恵まれて現在の職場に入りました。

ついにプライベートを大切にできる職場と出会う

――理想の生活には近づけましたか?

採用されて一年と経たない頃に、東日本大震災が発生しまして。しばらくは関連事業で忙しくなり深夜の帰宅が続きました。でも、すごくやりがいを感じていたし、マニュアルのない仕事を手探りで進めていった経験は大きかったですね。

――その節はご尽力いただきありがとうございました。私も東北の人間なので…。最近はもう落ち着かれましたか?

震災関連の激務は2年経ったころにはだいぶ落ち着きました。そこからは、家庭の事情なども配慮してもらえるようになり、妻が忙しい時は私が定時で上がって家のことをする、ということもできるようになりました。当時の上司が理解のある人だったことにも助けられました。

――ようやくワークライフバランスが取れるようになってきたのですね。

だいぶ向上はしましたね。とは言え理想にはまだ遠いなと思いますが。日本は組織の都合に振り回されやすいし、転職など再チャレンジをするハードルが高いので、それでも組織にしがみつくしかない。会社と個人の関係や、男性と女性の関係など、色々なことが変わっていかないと難しいなと思います。

挑戦か、安定か。揺れる気持ちと共に

――今も海外への思いはお持ちですか?

海外に住みたい気持ちはまだまだあります。
日本では男性は仕事以外の人間関係って築きにくいんですよね。海外の方が、趣味の合う友達を作ったり地元のコミュニティに参加したりしやすいような気がするんです。
理想はヨーロッパや東南アジアの家族の形ですね。旅先で現地の生活を見たり、いろんな人の話を聞いたりした限りでは、仕事より明らかに家族が第一な印象で。私もあんな風に家族と暮らしたいなと思いますね。
あとリスクヘッジとしても、海外に自分の居場所を作っておけたらなと。

――ご自分のキャリアをやり直したいという思いは?

今思えば、大学卒業時点で日本的なキャリアを降りて新しい道を進むのもありだったなと思います。一般企業でキャリアを積んでいくのではなく、手に職をつけ、好きな場所で働く道。でも、もしそうしていたら今の妻や子ども達には出会えなかったわけなので、今までの道を無かったことにはしたくないですけどね。

――わかります。私もそうですが、子どもが生まれると自分の人生に肯定的になれる気がします。

私にとっては、家族や友人と笑いあって暮らせることが一番で。今後もっと理想の生活に近づきたいという思いもありますが、具体的な手段も見つかってないし、今の生活も悪くはないと思っているので、今は動きたいような動きたくないような…ちょっと葛藤はありますね。

学生さんへのメッセージ

――では最後に、大学を出て一般企業に勤めるという一般的な大卒のキャリアに疑問を持っている学生さんに向けて、メッセージをいただけますか。

「何をするか」より、「どう生きたいか」、という視点で考えてみるといいと思います。そしてその生活を実現するためにはどうしたらいいか、と。
やはり海外へ行って、色々な国の同世代の人と語り合えば、そういう視点は出てくるんじゃないかなと思います。なのでワーホリはお勧めしたいですね。ワーホリが無理なら短期留学でも、外国人が経営するお店でバイトするのでもいいと思います。

仮に、流されるままに大学を出て就職してしまったとしても、もう終身雇用が前提の世の中ではないですから、就職先で身につけられるスキルはしっかり身につける。また、世界で、少なくとも社外で通用するスキルを身につけるよう心がければ、将来的な道は広がると思います。
そして道を見つけたなら、「失敗したら…」とか、「今さら…」とか気にせず、飛び込むのもアリだと思います。心配する親御さんもいると思いますが、私が親なら背中を押しますね。


――ありがとうございました。

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理想の生活と現状の狭間で悩みつつも、日々の小さな幸せを大切にされているみるみるさん。学生時代に海外で見聞を重ねた経験が、みるみるさんの生き方を前向きに、主体的にさせているのだなと感じました。進路や将来に悩む方には、ぜひ参考にしていただきたいと思います。


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