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『武士の家計簿』を観て、家計簿の大切さを知る

こんにちは、東京スタジオのヤマケイです。


以前、『殿、利息でござる!』を観たのですが、Amazonプライム・ビデオに『武士の家計簿』も入っていたので、観てみました。

『武士の家計簿』は加賀藩(石川県金沢)の御算用者(会計処理)で、「算盤馬鹿」と呼ばれるほど算盤が得意な猪山直之(いのやまなおゆき)が主人公の話です。


ある時、民に渡しているはずの米について「(紙にも書いて)数えたが足りない」という口論に出くわし、主人公は「そんなはずはない、確かに米は城から出た」と伝えたものの、帳簿を調べてみると民の訴えが正しく、一部が抜かれて横流しされていました。

横領を暴いたことで、主人公は加担していた上司から理不尽に怒られ地方へ飛ばされそうになるのですが、逆にそれを暴きたかった人から救われ、昇進して城勤めを継続します。

「こんな感じで城のドタバタに巻き込まれるのだろうか…」と思っていたところ、裕福と思われた実家(自宅)が実は借金だらけということが判明します。

上司のように家をつぶすよりはマシと、家族皆で節約を開始したり、家財を売ったり、「ほとんどを今すぐ返すから、このあとは利息なしで返済する」ことをのんでもらったりと、奔走します。


いわゆる映画になるような物語だと、かっこよくどこかからお金を調達してきたり、偶然や奇跡が起きてなんとかなる、ということも多いのですが、この映画ではそういうことは起きません。

人間、収支が合わないときは怒られたくないし、ミスをした自分を認めたくないがために「どこかから調達してきてプラマイゼロにする」「ミス自体に気づかなかったことにする」「誰かのせいにする」ということをしがちです。

そして「自分のミスはなくなったと思い込む」「バレなきゃいい」「これは前とは違う状況だから」と思ってしまい、同じミスをして以前成功した方法で解決しようとしたりします。

こうなってしまうと、「ミスの発生が必然」になってしまい、いつまで経っても「常にミスと同居」という状態になります。

「最初と最後が合っていればよい」という言い分にも「途中も大事だ」と答える主人公は神経質でもあり、周りからすれば面倒くさい人でもあります。

そのせいで、家族と喧嘩になってしまったりもします。

しかし、結局そのおかげで借金を返済し、子供ですらも算盤稼業のおかげで直接の戦闘に巻き込まれずに済んだり、そのデータが紙として現代まで残り、「こういう生活だったんだなあ」ということを知ることが出来るので、面白いです。


歴史を知ろうとしたときに、意外と「庶民がどういう生活をしていたか」(給料がどのくらいで何を食べていたか、何を経験したか)という資料はなかったりすると聞いたことがあります。

本の「はしがき」の部分が既に面白いので、後追いですが本も読んでみたくなりました。

驚いたことに、猪山家は、すでに幕末から明治・大正の時点で、金融破綻、地価下落、リストラ、教育問題、利権と収賄、報道被害……など、現在の我々が直面しているような問題をすべて経験していた。

日々の家計簿をつけることは面倒ですが、将来「令和のことを調べよう」とした人がいたときに、現在の資料がどれほど残っているのか気になります。


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ニイザト

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ヤマケイ