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子は、親を選べない。続

子は親を選べない。

私は自身の両親の子ども時代のことをふと思った。

父は幼い頃に母を亡くし、父と近所のおばちゃん達によって育てられた。

母はフィリピンで11人兄弟の末っ子として生まれ、間もなく母は亡くなり、兄弟に育てられた。

私がこの世に生を受けた時、既に両親のまた両親(私からみて祖父母)は亡くなっていた。

私は25歳になってまだ葬式というものに参列したことがない。


そもそも、私の両親はどちらも母親の愛を知らないのだ。

そりゃ子育ても苦労するだろう、母も言葉が通じない土地で大変だったろう。両親もまたある種、被害者なのかもしれない。

でも、それを言い訳に虐待を容認してはいけない。罪のない子どもにそれをぶつけてはいけない。同情はするが。


私のところでこの虐待の連鎖を止めたい。私に子どもが授かることがあれば、怒りを手に込めてぶつけるのではなく、きちんと言葉で叱りたい。

勿論、そんな余裕言ってられるか!なんてこともあると思う。上手くいかないのが子どもだ。でもそれが子どもなのだ。

児童養護施設で働く私は現実そこにぶち当たっているので痛いほどよく分かる。

でも、施設でチームで支え合って子どもをみていくように、職員同士でケアし合うように、

私もチームで自身の子育てをできるパートナーと一緒になりたい。

ふと、そう思った。




子は親を選べない。

https://note.com/cbsk_chibi/n/nbf37f405f5d1


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