犍陀多

小さな雑木林に足を踏み入れると、目立つ色彩の女郎蜘蛛が、じっと獲物が飛び込んで来るのを待っている。
深まる秋から冬に備えて、今が一番栄養を蓄えなければいけない時期なのだろう。
そのまま越冬するのか、それとも産卵して死んでしまうのかは門外漢なので分からないが、微動だにせずやわらかな日を浴びてのんびりしているように見えても、実際は腹を空かして必死なはずだ。

こちらが接近して凝視していることに気付き、クモはソワソワし出した。
「心配しなくても大丈夫だよ」
と思ったものの、私のテレパシーが伝わる気配はない。
殺生与奪はこちらの意志や気分次第なので、無理もないか。
私が気づかないだけで、靴底でアリなどを踏みつけているかも知れない。
「何だかヤバイぞ」と、虫たちは虫の知らせで逃げてくれていたら良いのだが…。

もっと近づいたら、かなり警戒したようで、態勢を反転させて頭を上にした。
もっとも、クモは昆虫ではないから、どこが頭や胸や胴かは分からない。
分かるのは4対8本の脚で、そのためにクモは「昆虫」ではないということくらい。
3対6本の脚でなければ昆虫ではないというのは、人間が分類学上の都合で決めたことだから、ああ、そうなのかと思うだけ。
ならば私は、昆虫やクモを「虫」と分類しよう。
カラフルな胴?と、黒と黄色の警戒色の長い脚に、しばし造形とカラーリングの妙を見る。

まだまだこれから秋本番のいい季節なのに、思い返せば今年の秋は虫の音が少ないような気がする。
それも大合唱ではなく、わずかな数だ。
セミも同様。
まさかクモの仕業ではないだろうが、こんな年だっただけに気になっている。


昆虫は大丈夫だが、クモは苦手という人は多い。
脚の数が多くなるほど、それは顕著だ。
私はクモはOKだが、これがムカデ、ゲジゲジ、ヤスデの類になると、ちょっと引いてしまう。
しかし脚のないヘビやミミズなどを嫌う人も多いから、それは幼い頃に磨り込まれた潜在意識で、長いものに巻かれるのが嫌なのだろう。
脚といえば、やがて蝶や蛾になるイモムシ類は脚の数が多いのに、幼虫の頃から「昆虫」と名乗っていいのか。
どうも合点がいかぬ。

最近は「釣り女」や「釣りガール」などといって、女性の釣りがブームらしいが、釣り餌のゴカイやイソメ、ミミズなどは自分でつけられるのだろうか。
小物釣りではウジ(サシ)にも触らなければならない。
それでも、「歴女」「山ガール」「鉄女」などと同様に良い趣味だ。
「鉄女」といっても、サッチャーのことではない。

かつて、大手の紙問屋の三代目の旦那がマカオやシンガポールのカジノで会社のお金をつぎ込み、百億円以上の散在をして逮捕された報道を記憶しているが、釣りでも趣味にしていれば良かったものを、お金があり過ぎると、そんな馬鹿なことを思いついてしまうのだろう。
逮捕で名を下げたが、これがもし社会のために使ったのであれば、善意の人として末代まで名を残したはず。
愚かな男だ。
それにつけても、バカ夫婦がばらまいた一億五千万円の原資の出所も是非知りたい。


まだ幼稚園児だった頃、クモがこれから巣を張ろうとしているところを目撃した。
どうやって、あのように張れるのか観察してやろうと、じっと息をひそめて動かずにいたら、何かが目の前をスッと横切り、クモが一瞬で消えた。
その正体は、種類は分からないが、小鳥だった。
クモが可哀そうだと思った記憶はあるが、巣を完成させたクモだって、昆虫などを捕食するから仕方のないことで、自然界の弱肉強食、食物連鎖を初めて見た。
ただ、生きたままの獲物を糸でグルグル巻きにして、チュルチュルと体液を吸うやり方は気に食わなかった。
その後、クモの巣を見つけると、小枝を拾って、それで巣を壊していた。
それが子供というものだ。
でもこれで、私は犍陀多にもなれないだろう。

蜘蛛の巣アートと称して、クモを追い払い、逃げて居なくなったところで巣全体にカラースプレーを吹き掛け、それが乾く前に急いで紙に巣を張りつける「芸術」があった。
巣の造形の美しさを紙に転写し、それをアートだと称していた。
本人はアーティストの気分でいるようだが、単なるアイディアで勝負しているだけで、そこには芸術家としての感性を一切感じないのは私だけだろうか。

クモがどれだけの期間を生きるかは知らないが、おそらく一年かそこらだろう。
人間80年とすれば、クモが巣を張る一時間は、人間の数ヶ月分の時間や労力になるはずだ。
子供は小枝を振り回してクモを追い払うが、そんな経験の末に、自然界の生き物たちの生命の大切さも考えるようになる。

ただし例外はあって、以前、友人の半夜逃げの荷造りの手伝いをしていたら、押入れからGの死骸を数匹発見し、失神しそうになったことがある。
Gは昆虫だが、こいつばかりは絶滅して欲しいと心から願っている。
たとえレッドデータブックに載ったとしても、そんなことは無視して抹殺したい。
幸いなことに、ここ何年もGを見ていない。
嫌なことばかりの今年だが、これは歓迎する。


小学生の一年生か二年生の時、国語の教科書に「くものいと」が載っていた。
それに触発され、芥川の本を読んでみた。
すると二年の時、母が担任の女性教師に呼び出された。
「まだ八歳で芥川は早すぎます」
との指導のようなものだった。
買い与えてくれたのは母だったので、どんなやり取りがあったかはここに書くまでもない。
その教師にはずいぶん可愛がってもらった記憶があるが、その一件に関しては余計なお世話でしかない。
それも教師がいない休み時間のこと。
最近はどうか知らぬが、当時の教師は児童をよく観察していた。

子供が読んで面白いと思える芥川作品は多い。
それでも何とか理解できたのは「杜子春」くらいまでで、後はちんぷんかんぷんだった。
ちょうどその頃、創刊された少年サンデーの方が、数倍も面白かった。
今では嘘のような話だが、まだ公衆電話が、国内ならばどこへ掛けても何時間通話しても10円だった時代の話。


中学生になってからは「地獄変」や「羅生門」などに再挑戦したが、内容は理解しても、その意図する芸術性まではまだ分からなかった。
分からないのは当然で、堀川の大殿様の倒錯したサディズムや、絵師の良秀に芽生えた狂気や芸術観などは、まだ中学生だった私の理解の範疇を超えた。

但し「或阿呆の一生」は、小説のネタ帳のようで、興味深く読んだ。
後は「猿蟹合戦」で、これはお伽噺のシュールな後日談として、真本グリム童話のようで面白かった。
猿を殺した、カニ、臼、蜂は裁判にかけられて死刑になったと、芥川は噺を創作した。
カニの妻は娼婦になり、息子は猿に父親カニが仇討したことで敵討に遭って死んでいる。
因果応報は果てしなく連鎖する、これが芥川の書きたかったことか。
最後の一行に、芥川独特の強烈なスパイスが効いている。

とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。


話が少し脱線した。
自然界のすべては連鎖し、循環する。
この季節、福島の木の葉はまたセシウムなどの放射性物質を付着させたまま枯れ落ちて腐葉土になり、それをミミズやカブトムシの幼虫などが餌にするはずだ。
モグラや野ネズミがそれらを食べ、タヌキやアナグマやハクビシンや猛禽類が小動物を捕食する。
一方、木は腐葉土を栄養としてまた葉を茂らせ、果実を実らせる。
ドングリなどは、リスや野ネズミの餌になって、また食物連鎖の中に組み込まれる。
それが太古から自然界が営々と築き上げた営みであり、変わることはない。
その自然のサイクルの中に、消滅することのない放射性物質が加わり、ほぼ未来永劫まで続く。

人間も、その摂理の中に組み込まれた一生物だ。
養分を吸い上げた杉は翌年以降、セシウムを取り込んでしまった花粉を広範囲にまき散らしたし、長野辺りでも栽培の椎茸にセシウムが取り込まれた。
人間の居住区域を懸命に除染したところで、森や林で濃縮された放射性物質は、人間の暮らす土地をまた汚染させる。
それらを途中で断ち切れない本当の犍陀多は、永田町と霞が関にいるのだ。


枯れ葉をカサコソと踏んで歩くと、小さな祠を見つけた。
自然界の森羅万象すべてを神と崇めてきた日本人が、神の怒りの前では為すすべがないのは、タチの悪いブラックジョークになった。

福島では原発事故以来、人口が数万人単位で減少した。
放射性物質の危険を回避するために、やむなく転居を余儀なくされた人も多かった。
ところが国が明確な指針を示さないから、福島にとどまって、個人の力で除染作業を続ける人たちも多かった。
福島を離れた人を指して、逃げずに除染作業に当たるべきだと主張した人の心情も理解できたし、少しでも子供に被爆のリスクを負わせたくないと、故郷を離れた人の切なさも理解できる。
もちろん、その対立軸を作ったのは外野席の人たちで、どちらが犍陀多かという問題ではない。

シャルティエ(アラン)は幸福論の中で「悲観は感情、楽観は意志」と書いた。
マインドコントロールに通じるのはシャルティエの思想の帰結にしても、ヴィクトール・フランクルが説いた「態度価値」に一番適切な答えがありそうだ。
どんどん長くなるので今回は脱線しないが、「態度価値」を知っている人が同感してくれればそれでいい。

埼玉の狭山茶の産地でも基準値を超えたセシウムが検出され、生産農家に大打撃を与えた記憶は鮮明だ。

福島から離れた長野でも、栽培中のシイタケからセシウムが検出された。
私は年齢的に先が短いから構わずに狭山茶をガブ飲みするし、シイタケだってパクパク食べるが、私以外の大多数の人は本当に困ったはずだ。
困らせている正体も、その原因を作った経緯も今はすべてが分かる。
その後の狭山茶や長野のシイタケ報道も、今は接することもなくなってしまった。
とはいっても、何も解決はしていないはずだ。
お茶や農作物などの栽培農業に限らず、それはすでに人知の及ばない事態にまで状況が深く進んでしまっていることでもある。

本当は安全ではないのに安全だと聞かされた場合、正確な情報を得られないほとんどの人は否定するだろう。
もちろんこれは原発事故のことであって、否定するほとんどの人とは別に、肯定する人もいる。
事故発生直後、政府は「ただちに人体への影響はない」と繰り返していたし、当時の御用文化人は、航空機でニューヨークを往復する間に浴びる放射線量の方が、はるかに多いと、胸を張って堂々と言っていた。
さすがに事態の深刻さと、自分の無知に気付いてその例えは封印したが、政府、電力会社、御用文化人、そして公平中立であるべき科学者までもが、事故後も原発肯定の論陣を張っていた。

政権に対し、霞ヶ関の官僚たちは誤誘導やサボタージュを繰り出し、前政権との呉越同舟のぬるま湯の中で、既得権益の死守のみに血眼になっていた。

更に輪をかけて酷かったのは次期政権で、ここから国民の真の苦しみが始まったことを忘れてはいけない。

当時の内閣府原子力安全委員会委員長の班目春樹氏は、参院予算委員会において、政府参考人の立場で、(原発の建設について)割り切らなければ設計できなかったのは事実、その割り切った割り切り方が正しくなかったことを反省している、と答弁している。
持って回った言い方で、二度くらい読まなければ、赤上げて白上げてのようでストレートに頭に入らなかった。

科学者は客観的事実のみを伝えるべきであったし、その後の事態を、より不透明にし、不安を助長させた。
東電に掴まされた偽情報や、危機管理の指揮命令系統が繋がらず、一層の事態の悪化を招いてしまった責任は当時の政府にあり、政権が代わって更に迷走するのだが、こうなると、逆に本当は安全なのに安全ではないと聞かされた場合でも、その安全を信用することが出来なくなった。
その悪しき流れで、政治のガバナビリティなど誰も信じなくなって現在に至っている。

もっとも、そんなことを真剣に考えていたのは主に東日本の人に多く、福島を中心に、同心円状に危機感の濃度が薄れていたのが現実だった。
電源三法でシャブ浸けになった多くの自治体のうろたえなどは、すでにとてつもなく大きい他の話題などに霞んでしまっている。

トリチウムを含んだ汚染水の放出が問題になっていて、またぞろ風評被害と関連付けて語られている。
それはとても重要なことで、何としてでも暴挙をストップさせなければいけないが、本当に単純な事実が置き去りにされている。
「風評」とは「噂」であって、無根拠なのに事実であるかのように噂されているということだ。
ここを忘れてはならない。

私も含めての自戒だが、多くの日本人が犍陀多になりつつあると思うのは考え過ぎか。
でもこれが、日本人のアイデンティティ。

台風が来る。
大事に至らなければ良いのだが。。。

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