流されて

朝は川面に朝霧が立ち込めていた。
見上げれば曇天、思いのほか寒かった。

われを知る人はきみのみきみを知る人もあまたはあらじとぞ思ふ

歌の作者は17世紀後半の元禄期を生きた真言宗の僧であり、国学者、歌人でもある契沖(けいちゅう)。
その契沖が兄とも慕った下河辺長流に贈った歌で、長流への敬意とともに、友情にも似た内容に満ちている。
古今を通じてこのように男の友情を詠んだ歌は案外珍しく、それも謙虚に控え目な物言いだけに、清々しさが感じられる。

契沖には友人知人が多かった。
少し踏み込んで説明すると、控え目とは、まるで唯我独尊を絵に描いたような、気を許せる友人のほとんどいない長流の孤独(変人とも孤高と言い換えて良い)に向かって、本当の私を理解してくれているのは君だけです、と言っている。

これはレトリックのような表現だが、長流にしてみれば、自分を知って気遣ってくれる人は契沖しかいないわけで、それを承知しているからこその「控え目」なのだ。

節度ある本当の友情の姿が垣間見えるようで、噛みしめて鑑賞すると、じんわりと心が上質の絹に包まれた感覚になる。


やがて弱く降り始めた。
本降りになる雨ではない。
あちこちで起こる集中豪雨による自然災害は勘弁して欲しいが、自然に「ほどほど」は通用しないから、訪れるものを蕭条と受容する心積もりはできている。

いつかどこかでこんなシチュエーションを体験したなと思ったものの、5W1Hのひとつも思い出せない。
取り出しやすい記憶ばかりをいつも安直に引き出しているので、深層の記憶は歳を重ねるたびに脳内から消滅していくのだ。
もどかしいが、これこそが「老い」なのだ。

もう失うものは無いんだ、そう思ったらブルッと震えが来た。
いや、家族や仲間がいるじゃないか。

以前、深夜のバカ番組で、「守るべきものがある人と、失うものが無い人はどちらが強いか」という話をしていた。
バカ番組だから結論は出なかったが、ちょっと考えてしまった。

守るべきものがある人とは、きっと家族を念頭に置いてのことだろう。
戦時中は、天皇、国家、山河、同胞、家族などがそうだった。

現在もその感覚は、特殊なケースを除外すれば当てはまるように思えるが、実際は家族を中心とした身内や財産などを指すと思われる。

対して、失うものが無い人とは、簡単に言ってしまえば「捨て鉢」と似たような、いわゆる人生を投げた自暴自棄の人の意味で捉えるのが妥当なところだろう。

極論を言ってしまえば、それは、死刑になりたいからと身勝手な理屈をこねて、無差別殺人を犯してしまう人を連想してしまう。
そこにはさまざまな状況が混在して、決してこの通りとは思わないが、究極の命題は、自らの命を賭して戦えるかという部分に収斂される。

いずれにせよ、失うものが無いから強いというのは、力尽きるまで戦うと決めた決意表明のようなもので、私のように先を見ると不安になり、後ろを向くと後悔ばかりの軟弱漢からすれば、眩しすぎる思考だ。

比較できないものを同列に論じようとするから、論理もへったくれも無くなるのだ。
そこにあるのは、通俗的なロジックだけである。


西行は春を選んだが、私は燃え立つような紅葉の季節がいい。
花の下にて、ではなく、これから季節を閉じる秋に惹かれる。

自然界の万物がこれから再生を始めようとする春に逝きたいと考えるのは、どことなく嘘っぽいが、秋ならば太陽の衰えとともに生命力を失い、自然の摂理に叶っていると考える方が説得力がある。

運命の奴隷になんか成り下がりたくはないと思う。
だから、そこいら辺の人よりも魂の奥行きを保持したい。

生きてようが死んでようが、義理も人情も一括りにして川に流すぞと、浪花節を気取ってみる。
なんだ、結局、余命を延長させたいだけじゃないかと気づいた。



ネットで契沖を確認してみたが、すべて嘘っぱちの情報が、さも正しいかのように載っている。
本居宣長、賀茂真淵に影響を与えた、徳川光圀から委嘱を受けた「万葉代匠記」を著したとあるが、これすべて、下河辺長流に当てはまるのだ。

契沖の業績は評価されて当然だが、その業績は長流から始まっているのである。
ネット情報を鵜呑みにすると、真実が次から次へと闇の彼方に葬られて行く。
怖い時代である。


周囲はあれこれと賑やかだ。
反して当人は顔には出さぬが、悲観楽観の反復に忙しい。

闇の彼方に待ち受けている真実を覗いてみたい。
ちょっと弱音が出た。

流されている…。

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