第9番にまつわるいろいろ

 私が音楽好きであることは以前にも書いた通りだ。

 今、これを書いている最中に聴いているのはベートーヴェンの交響曲第9番、いわゆる「第九」というヤツだ。
 何故かは知らないが、日本では年末の風物詩として定着している曲でもあり、第4楽章の合唱部分はクラシックを知らない人でも聴いたことがあるくらい有名だ。

 この「第九」がとても好きなのだ。
 ベートーヴェン最後の交響曲である。
 なんというか、第1楽章から第4楽章までドラマチックなのだ。それゆえに美しさすら感じるわけで、クラシックが芸術であるということを納得させてくれる。

 交響曲第9番というのは、19世紀の作曲家の間では忌み番号とされていた。
 実際、ブルックナーやマーラーといった人気のある作曲家も、交響曲は9曲しか残せなかった。
 ブルックナーはこの交響曲第9番の第4楽章を書く途上で亡くなっている。
 マーラーは「9番の呪い」を怖れて、第8番と第9番の間に「大地の歌」という交響曲的な作品を挟んで第9番に挑んだものの、第10番は第1楽章までしか書けずこの世を去った。

 ブルックナーの第9番、マーラーの第9番も非常に美しい作品である。

 クラシックの場合、作品の数は限られているが、演奏者は今後も現れ続ける。中には名演と呼ばれる演奏を残す奏者が出るかも知れない。
 
 私はと言えば、今の演奏者にほとんど興味がない。無論、現代の演奏者が悪いと言っているわけではない。
 ただ、今から数十年前に演奏され、名演と呼ばれる演奏を聴いたり、巨匠の演奏を聴くとどうしても色あせて見えてしまう。

「第九」の話に戻るが、クラシック愛好家の中では1951年にフルトヴェングラーの指揮で録音された「第九」が演奏史に残る名演とされている。
 私も同じ演奏のCDを4枚持っているが、正直なところ原盤はモノラル録音で、良い状態で残っているとは言い難い。が、やはり名演とされるだけあって、鬼気迫る迫力があるのだ。
 同じ「第九」でも、かの有名なカラヤンのデジタル録音された晩年の「第九」とはモノが違うとしか言えない。
 フルトヴェングラーも晩年の指揮であり、演奏そのものも完璧とは言い難い。第4楽章の最後は演奏が崩れているとすら感じる。それでもどちらかを選ぶならフルトヴェングラーを選びたい。

「第九」は祝福されるような出来事の記念として演奏されることが多い。
 フルトヴェングラーの「第九」もバイロイト音楽祭の開幕に演奏された「第九」である。

 この点で、フルトヴェングラーの「第九」に負けずとも劣らない「第九」の演奏がある。
 今から約30年前。
 1989年、ベルリンの壁が崩壊したことを記念して演奏された「第九」がある。
 指揮は巨匠のひとりであるレナード・バーンスタイン。
 これもバーンスタイン晩年の指揮となる演奏だが、第4楽章の歌詞を「歓喜」から「自由」に変えて演奏された名演だと思っている。
 人類史上に残る記念碑的な演奏で、「第九」ではフルトヴェングラーの遺した演奏が名演とされがちだが、バーンスタインのコレもまた認める人は少ないだろうが、好きな演奏である。

 クラシック通に言わせれば、実は交響曲第7番がいいとか異論はいくらでも出てくるだろう。
 私は別に通ではないが、クラシック好きではある。
 全うなクラシック好きが単に「第九」が好きで、第9番の交響曲が好きというだけの話だ。
 わかりやすいだけに、万人に勧められるし、心に響きやすいとも思っている。

 ちなみに、今聴いている「第九」は1942年にベルリンで録音された「第九」だ。
 戦時中のベルリン、1942年というとスターリングラードの戦いで戦局がドイツ優勢から連合軍優勢に傾く転換期だ。
 そんな時代の録音が残っているのも奇跡だし、録音状態は「当時」を考えれば非常にいい、というレベル。
 演奏史に残るような演奏ではないが、やはり心に響く何かがある。

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