見出し画像

震災の日に思うこと

東日本大震災から半年ほど経った頃、とある仕事で福島、宮城、岩手の沿岸部の市町村を取材することになり、幾度となく被災地へ足を運ぶことになった。

国道45号線の、リアス式海岸の段丘部と低地、市街地を交互に繰り返しながらレンタカーで行ったり来たりした。テレビで見ていた被災地を目の当たりにしたとき、多くの事を教えられた。

人間は自然の一部であること
人が他人に対して出来ることなどほとんどないということ

そして、人間は忘れるということ

仙台市若林区に「浪分神社(なみわけじんじゃ)」という神社がある。江戸時代、三陸地震が発生したとき、神社近くまで大津波に襲われ社前で波が二つに分かれ引いていき、それ以来波(浪)が分かれた神社、「浪分神社」と呼ばれるようになったという伝承がある。つまり、「浪分神社」までは津波が来るということだ。
東北の沿岸部には、浪分神社に代表されるような過去の津波被害を教える石碑などがいたるところに建っている。

それでも、時間がたてば、人は忘れ日常の中で生きる。

「もう、大丈夫だろうと・・・」

人は楽観的であり、目の前に恐怖が迫らない限り自分事として捉えることが出来ないということを取材するうちに肌で感じた。だから、生きていけるとも。

僕らは、土を固めたコンクリートの中で「安全だろう」と思いながら生きてる。

3.11をむかえ、自分に問う。
全てを自分の都合のいいように解釈していないか?
根拠のないことを信じていないか?

そして、何かを忘れていないか?と。

#震災
#エッセイ
#コラム
#3月11日
#東日本大地震

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?