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『サラバ!』 西加奈子

 僕が驚いたのは、そういえば小説は、紙と鉛筆があれば書けるということだった。音楽や映画を作る行為に対して、僕が屈託なく接することが出来たのは、楽器が出来たところで、フィルムに触れたところで、実際の音楽や映画を作るのには、途方もない技術と才能を必要とするだろうと思っていたからだった。つまり僕はどこかで、僕も含めた皆、絶対にプロにはなれないと思っていた。
 でも小説には、そもそも習得すべき技術が見当たらなかった。
 ターンテーブルもいらなかったし、ギターのコードを覚えなくても良かった。8ミリフィルムを指紋がつかないように切り貼りしないで良かったし、俳優たちを思い通りに動かす必要もなかった。
 僕が読む小説の中には、難しくて分からない言葉ももちろんあったが、大抵大学2年生の僕が理解できる、つまり見知った言葉だった。その言葉をつなぎ合わせて、小説が出来ているのだった。
 小説は、書こうと思えば、たった今からでも書けるのだ。
 僕は衝撃を受けた。その用意された感じ、間口の広さにおののいた。そしてだからこそ、今まで書こうなんて思ってもみなかったし、書いている奴を見たこともなかったのだろうと思った。小説を書くという行為は、あまりに身近にありすぎたのだ。誰にも気づかれずやってのけられるという点では、小説の右に出るものはなかった。だがまさか、自分がその行為に触れるなんて、思いもしなかった。

 小説があるということは、間違いなく「書く人」がいるのだ。その「書く人」は、「警察官」みたいなもので、僕にとってはまったく関係のない人だったし、そういう人たちは生まれながらにその「 」の中にいるものだと思っていた。でも、もちろん違う。生まれながらの警察官がいないように、生まれながらの書く人もいない。いつか誰かが、書く人になるのだ。音楽を奏でる人や、絵を描く人と同じように。
 小説を書くことに関して、こんなに言葉を尽くすことを、皆さんはいぶかるだろう。
「何で、急に?」
 申し訳ない。
 でも、僕が後に手を染めることになる文章を書くという行為に、僕が初めて触れた瞬間を、きちんと書いておきたいのだ。小説は、僕にも書けるものなのだと知った瞬間を。

 僕は、大学に文芸部があること自体知らなかった。でも若田は文芸部に真っ先に入部し、怒涛の勢いで小説を書き続けていた。そもそも、この大学に入学したのも、文学部の客員教授が自分の好きな作家だったからだった。教授で大学を選ぶ奴がいることにも、もちろん僕は驚いた。
 どれくらい書いているのか僕が訊くと、若田は
「大学入ってからは17編くらいかな。」
 そう言った。
「その前から書いてたってこと?」
「うん、俺、小学校3年から書いてたよ。」
 僕は、絶句した。作文じゃなく、誰に強制されたわけでもなく、小学生の時から小説を書いているなんて。
 勝てない。そのときそう思った自分が不思議だったが、でもその感情は真実だった。
 勝てない。
 小学校3年生のときに好きなものに出会い、それを二十歳過ぎても(若田は一浪していたので、僕よりひとつ上だった)好きでい続けられるなんて。
 しかし僕は、そんな連中をそれからたくさん見ることになった。大学は、東京は、とても広かった。僕は、誰もプロになんてなれないという思いを、覆さざるを得なかった。

 僕は、書くのが好きだった。
 そのことに初めて気づいたのは、オッドで売っているレコードや本の推薦ポップを書いたときだった。オーナーに初めて頼まれたポップは、ディアンジェロの『Brown Sugar』というアルバムだった。
 ほんの数行で、そのアルバムの、ディアンジェロの良さを伝えるには、どうしたらいいだろう。僕は、精一杯知恵を絞った。正直、大学のテストより努力したと思う。考えても考えても何も浮かばず、書いては消し、書いては消しを繰り返した。そうしながら、僕は結局、須玖の言葉を思い出していた。音楽や物語を称賛するとき、須玖がどんな風に話したかを。
「ダニー・ハサウェイの声って、なんていうか、その場所にしかない感じがせぇへん?」
「オーセンティック・レゲエって、もろリズムのための音っていうのが渋いねん。」
「モリスンは、この世で一番美しい言葉を使って、戦ってる人や。」

 文章を書くときは、ひとりだ。
 結果誰かに読まれ、ジャッジされる文章だとしても、書くときはひとりだ。誰の目も気にすることなく、それに没頭することが出来た。
 当時の僕は、文章のプロではなかった。今でも僕は、文章のプロというものが何を指すのか、はっきり分かってはいない。でも間違いなく言えることは、そのときの僕は、「誰にどう読まれるか」ではなく、「書きたい」そう思っていただけだった。その思いだけで、筆を進めることが出来た。頭のどこかで「編集長が褒めてくれるかな」という思いがよぎってもそれは一瞬で、その後はただ「書きたい」という欲望に背中を押された。

 小説を書きたい、と思ったのは、カイロから戻る飛行機の中だった。
 正確に言うと、僕は「化け物を書きたい」と思った。
 僕たちと共にある化け物。消えた、掴めないと思っても、常にそこにある化け物。きっと忘れてしまったことばかりで、だから白いのだが、でも絶対にある、あの化け物を。
 それを書くことで、少しでも留めておきたかった。
 化け物のすべてを残すことは出来ないが、その輪郭くらいは、残すことは出来ないだろうか。こうしている間にも、化け物はどんどん堆積を増し、形を変えているはずだった。
 それを考えると、いてもたってもいられなくなった。

 書くのは、本当に難しかった。何度「もうやめよう」と思ったか、知れなかった。3年の間に、矢田のおばちゃんから、そして父からもらった金は乏しくなり、僕は守衛のアルバイトを始めた。深夜、建物を巡回しながら、頭の中で物語を組み立て、翌朝になったらそれを言葉にした。
 書いていると、時々自分が物語の「神」になってしまうことに気づいた。
 家族から聞いた話は際限なくあったが、その中から何を選び、何を削り、何を創作するのかは、すべて僕に委ねられた。それだけではなかった。僕は物語を書くことをいいことに、実際には存在しなかった人物を黙殺し、ある人を悲しみの淵に追いやり、ある人に怒りを覚えさせ、ある人を殺し、ある人を生かした。
 僕はこの物語において、まったくの神になってしまった。
 僕はそれに怯え、それを恥じた。この物語を伝えるものが、創作者である僕しかいないことを心細く思った。何が正しいのか分からなくなった。
 でも僕は書いた。書かずにはおれなかった。
 書き続けてゆくうち、正しさなどどうでも良くなった。僕はこの物語において「神」だが、それを信じるかどうかは、読む人に委ねられているのだと思い至った。それが、僕を安らかにしてくれた。
 だから、これを読んでいるあなたには、この物語の中で、あなたの信じるものを見つけてほしいと思っている。

『サラバ!』西加奈子

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