ラマダン前にお風呂へ行きました
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボに住み始めてから2度目の春を迎えています。3月中旬にもなると暖かい日が続いています。
ミリャツカ川沿い左の歴史的建造物は18世紀のオーストリア・ハンガリー帝国時代に建てられた国の文化財です。1913年に建てられた当初から今現在も銀行業務を担っています。
湯舟無し生活が17カ月・・
湯船につかってない期間が約1年半になります。初めのうちは「お風呂に入りたい!」と嘆いていましたが、自宅の快適な水圧のシャワーシステムや浴室暖房が傷心を癒やし、もはや長年のポカポカ湯船タイムの記憶が脳からデリートされかかっています。完全消去される前にそしてラマダン前にお風呂へ行きました。
トルコ式バス
ハマムへ行こう!
トルコ式のハマムHamam(トルコ語の綴り)を持つホテルが旧市街地にあるので宿泊をしました。市内には浴槽を持つホテルは少数派。ラマダンが始まるとムスリムの方々に色々とご迷惑が掛かりそうなので(過去の経験@在アラブカントリー)早めに行ってきました。
Isa Begov Hamam Hotel
ミリャツカ川に沿って走る通り(Obala Isa-bega Ishakovića)にあるホテルです。西側の外観が千夜一夜物語風なので目につきます
ホテルに隣接するツァレヴァ(エンペラーズ)モスクは国内で古いモスクの一つです。
サラエボの創設者であるイサ・ベイ・イシャコヴィッチは、スルタンメフメト2世に敬意を表して1462年(日本は室町時代)に市が設立された直後、このモスクを建てたとされています。
モスクの前を流れるミリャツカ川に架かるツァレヴァ橋もイサ・ベイ・イシャコヴィッチの要請で建設されました。
イサ・ベゴヴ・ハマムは、15世紀末にイサ・ベイ・イシャコヴィッチにより建造されましたが、1880年の火災で焼失し、1891年に建築家ヨシップ・ヴァンカシュの設計に従って再建。しかし旧ユーゴスラビア時代は公衆浴場としての活動を停止、その後の内戦でひどく損傷しました。
大浴場と19の客室からなり、オスマン帝国様式の豪華な家具で装飾されたホテルは2015年のオープンです。
一番お手頃ツインルームですが十分オスマン帝国気分
茶、緑、金色が基調色のインテリアは、アンティークで上品
クローゼットの木彫りが素敵。建付けが悪いところもアンティークのあじがあって良いです。
レトロな電話!繋がるのか分からなかったのでフロントへは直接話をしに行きました。
いざ、ハマムへ !
事前にホテルへ問合わせたところ「チェックイン前にハマムを利用しても良い」「水着を持ってくると尚良し」とのことでした。水着は持参して正解でした。私以外に外国人の奥様が3名いましたが皆さん一糸まとわず・・・温泉慣れしている日本人だけど全裸は恥ずかしくてムリ。
「ハマム初めてなんです」とスタッフに言うと、事細かに使い方を教えてくれました。ロッカーのカギやタオルをあてがわれ、水分補給のコップも用意してくれました。マッサージやピーリングを勧められ惹かれたのですが「ケガをしたり感染症になったりしたら」というオトナの判断を以て思切。「敏感肌なので、ゴシゴシ系ダメなんです」と辞しました。痩身目的でマッサージを受けている女性も数名いました。
久々に、あの感動が蘇りました!頭のてっぺんから足先までの温熱効果!ジャグージーで腰を温め水分補給後さらに長湯をしたり極楽でした。長年、人間やってますがもはやお風呂に入ることでしか、この世での快楽は味わえないかも・・
トルコ絵画
館内の通路やロビーには沢山のトルコ絵画が飾られていました。
イスラム神秘主義のメヴレヴィー教団の絵は旋舞している様子ではなく、お辞儀をしているパートの描写でおもしろい!
トルコの国花チューリップが大きくあしらわれた、オスマン時代の男性装束と法具の絵。トプカピ宮殿博物館所蔵のカフタンを描いたと思われます。
お食事🍚情報です
ホテルの朝ごはん
breakfast at the hotel
小さなホテルなのでビュッフェ形式ではなく、各ゲストのテーブルへ朝食がセットされ、好みの卵料理と飲み物を用意してくれました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?