ダイエット


今年に入って、地球では様々な異変が起きていた。あるところでは大洪水が発生し、あるところでは干ばつが発生した。あるところでは大地震が起き、ある所では大型台風が街を襲った。度重なる異常気象に科学者を始めとする専門家たちも頭を抱えていた。これは環境破壊を止めない人類に対する警告なのではないか。一部の市民たちは騒ぎだしていた。そして、ここ日本にも、頭を抱えている女子高生がいた。

嘘でしょ、と良子は思った。体重計の針は55を指している。身長148センチの良子にとって、その数字は殺人的屈辱を意味する。どうして?なんで?あの時のマックがいけなかったのか。あの時のお菓子がいけなかったのか。今週3回もスタバでカフェモカを飲んだのが悪かったのか。いや、というか、理想の体重よりも8kgもオーバーしている。近々の課題ではない。ずっと無視し続けていたことへの戒めか。

ふらふらとよろけながら良子は体重計を降りた。床のきしむ音が悲鳴に聴こえる。目の前の洗面台に映る良子の顔は、表情こそやつれて見えるがその見た目はまるで青森の厳しい冬を耐えぬいた赤リンゴのようだ。ぷくっと身が張り、表面がテカる。いやあ、これはこれで健康的でいいんじゃない。そうよ。今時の女子高生は痩せ過ぎなのよ。これぐらいのぽっちゃり感のほうが男子にもウケがいいってなんかの雑誌に書いてあったわ。ぶるんと垂れた下腹を見ないように良子は洗面所を跡にした。

無理。無理無理無理。絶対無理。良子は枕に顔をうずめながら思った。良子には好きな男子がいる。同じクラスの高橋だ。そういえば高橋が細い女性が好きだと言っていたのをすっかり忘れていたのだ。そんなわけで良子は今絶望にかられている。

良子は元来、痩せにくい体質だ。食事を抜いても、運動をしても体重が減らない。むしろ変に生活習慣を変えるとその反動で食事量が増え、結果体重が増えてしまうことが多かった。つまり、良子はダイエットに向いていない人間なのだ。そういう人間は普段からこまめに体重を気にし、現状維持に努めるというのが本来あるべき姿なのだが、良子にはそういう気持ちがまったくない。つまり、ダイエットに向いていない人間というのは体質的にも精神的にも向いていないのである。

そうだ。そうだよ。良子は思った。「体重計に乗るだけダイエット」があるじゃないか。これは数年前に流行ったダイエット法で、その名の通り毎日体重計に乗り記録を付けることで自分の体重を把握し続けることで体重の増加を極力抑え、ひいては痩せる体質にしていく、、、というものだ。食事制限なし。過度な運動もなし。やるのはただひとつ、規則正しい生活だけ。これだ。これならできる。いやむしろ、これができなかったら、もう、どんなダイエットもできやしない。絶対に出来ない。というか、体重計に乗るだけダイエットなんて、本当はダイエットでもなんでもないのだ、きっと。

でも、それでもいい、と良子は思った。気休めでもいい。そうだ。ストレスは体重増の原因のひとつだ。そのストレスを抑えるためにも、過度なダイエットはさけたい。地道に努力していこう。一週間に5キロ落とすボクサーのような減量を求められているわけではないのだ。一ヶ月に一キロ。5ヶ月で、5キロ。道のりは長い。でも、必ずたどりつけるゴールに違いない。かくして、良子の体重計に乗るだけダイエットが始まった。

次の日の夕方、良子は体重計の上で口を両手で抑えていた。家族にバレないよう、歓喜の雄叫びを必死に抑えていたのだ。なんと1キロ痩せている。信じられない。アンビリーバブル。なぜ。どうして。私、まだなにもしていないのに。ダイエット初日なのに。というか、体重計に乗っただけなのに、1キロ痩せている。これなら、5キロなんて楽勝だわ。マリーアントワネットのウエストも夢じゃないわ。そこまで思って、良子の頭がずきりと痛んだ。あ、そうだ。私、朝と夜では毎日1キロくらい体重差があるんだった。これは、痩せてるわけでもなんでもなくて、ただ、さっき行った排泄行為が夢を見せてくれているだけなんだわ。気持ちへこんだお腹をすりすりとさすって良子は現実を目の当たりにする。パンツの上に、お腹の肉が乗っている。これではだめだ。夢を見ず、現実を見よう。へこたれることなく、自分の体重と向き合おう。

しかし、奇跡は次の日も、その次の日も起きた。痩せている。確実に痩せている!良子はうなった。たった3日のダイエット。しかも特になにもしていない。やったことはただひとつ、規則正しい生活を送るということ。体重計の針はまるで良子を喜ばせるために数字を指している。どうしよう。困ったな、私。このままいくと、どんどん痩せていくんじゃないかしら?ひょっとして病気?ううん、そんなことない。だってめっちゃ元気だもん。食欲だってあるし。しかも三食食べて、おやつまで食ってるし。それにしてもおかしいな。3キロ痩せたんなら、少しは顔に出てもいいようなものだけど。私、いつも顔から痩せていくのよね。良子の目線の先、洗面台の鏡には、3日前となんら変わらないりんごっぺが映っている。

一週間経っても、良子の体重は減り続けていた。今、48キロ。そろそろ、理想の体重になりつつある。しかしもはや、良子には恐怖しかなかった。私はきっとなにかの病気に違いない。何の努力もしていないのに、何故か体重がどんどんどんどん落ちていく。食欲はある。体力もある。いや、むしろ体が軽く感じて、以前よりむしろ元気だ。顔色だっていい。ただ不思議なのは、どういうことだろう、鏡の中の私は、一週間前の私となんら見た目が変わっていないのだ。なんっにも変わっていない。というか、どちらかというと、以前よりさらに丸まるして見える気さえする。嫌でも、と良子は頭を振った。体重はたしかに減っている。病的な減り方だ。このままいくと、そのうち私は消えてなくなってしまうのではないか。良子はそんなことを思うようになっていた。はは、そんなバカな。そんなバカなこと、あるわけないじゃない。いいじゃんいいじゃん。これ、きっと神様から私へのプレゼントじゃん?よくぞダイエットに目覚めました。その清い心に免じて、脂肪を取り去ってあげましょう。そしてついでに恋人も差し上げましょう。良子、お前、痩せてキレイになったな。えっ、嘘、高橋くん。うれしい、ありがとう。ねえ、高橋君、私ね、前から高橋君のこと。

2ヶ月後、良子は体重計に乗れなくなっていた。体重が減り続ける病気にかかってしまった恐怖から、、、ではない。物理的に、良子は体重計の上に乗れなくなってしまったのだ。良子だけではない。良子の家族、友達、クラスメイト。全校生徒。先生。家庭教師。町内の人間。日本人。アメリカ人。白人、黒人、黄色人種、もう、要するに、すべての人が体重計に乗れなくなってしまった。体重計に乗れなくなってしまった人の中に、地球の異常気象に頭を抱えていた科学者たちの姿もあった。彼らは、もう悩みから解放されていた。異常気象の原因をつきとめたのだ。

重力を失った地球の上で、良子はふわふわと浮きながらテレビを見ていた。地球のコアが活動を停止しつつある。この星はもってあと数週間。最後はばらばらに弾け飛び、やがて大爆発を起こしてブラックホールになる——————。学者先生たちは冷静に話しているが、インタビュアーたちは大変そうだ。マイクのコードがあちこちに浮かび、記者の腕や足にからまっている。映像だって不安定だ。カメラがふわふわと浮かんで安定しない。安定しない映像を無重力空間で見ているんだから、せわしないったらない。テレビのスイッチを切ってポテチをかじった良子の頭に、こつんと何かが当たった。それは体重計だった。体重計はふわふわと浮かびながら0を指していた。それを見て良子はためいきをついて笑った。

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