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明らかに他の人とは違う事

自分にはひとつだけ、同世代のほとんどの人と明らかに違う事がある。
それは、保育園にも幼稚園にも通って無いこと。
この話をするとたいてい驚かれるし、
「戦時中か!?」とツッコまれた事もある。

自分の場合は通わせてもらえなかった、というべきか。
幼い自分に通いたいか否かを問われた記憶も無いし、特に選択権も無かった気がする。
もちろん親に虐待なんてされてない。
でもホントは同じマンションの子達の様に、同じカバンさげて、同じ帽子をかぶってみたかったし、お遊戯とかお泊り合宿のスイカ割りや肝試しもしてみたかったし、卒園式や先生とのお別れ会もしてみたかったし、そういう幼稚園ならではの写真やアルバムも欲しかった。

なぜ通わせてもらえなかったのか。
それはうちの母が結婚前まで幼稚園の先生をしていたから。
保育園や幼稚園に通わせずに家で幼児教育をしたらどうなるか、という実験的な事だったらしい。
同じマンションの友達が幼稚園に行っている間、うちは妹や弟と一緒に家で母から文字の読み書きや時計の読み方や計算を習ったり、絵本を読んだり妹達に読み聞かせたり母に読んでもらったり、音楽を聴いたり歌ったり、教育テレビ番組を観たり、工作をしたりぬり絵をしたり、おやつを作ったり食べたり、、、
家で色んな事をするのも楽しかったけど、友達が幼稚園から帰って来るのを毎日楽しみにしてた。
そして友達の帰ってくる声がマンションに響き渡ると、遊びに誘って今日幼稚園で習った歌や振り付けや折り紙を教えてもらったりして遊んだ。

しかし今になってふと頭をよぎるのは、母はかなりの倹約家だったので、もしかしたら、自分で幼児教育はできるから、子供3人分の保育園や幼稚園の費用をケチって自力のみで幼児教育しようとしたのかもしれない、ということ。
でも自分は3歳から水泳とクラシックバレエを習いに行かされていたので、もしかしたらやはりケチったのではなかったのかも。
いや、その習い事の費用を捻出するために、幼稚園も保育園もケチったのか?
ちなみに3人とも生まれつき体が弱かったため、スイミングスクールへは体を鍛える目的できょうだい3人とも通わされ、泳ぐのは好きだけど、コーチが怖過ぎて3人で泣きながら通ってた。
クラシックバレエは完全に母の趣味だったけど、通ってみたらとても楽しかった。

そして春になり、小学校へ入学した。
横浜市内の新設校。
同じマンションの子達と念願の同じ学校に入学できたものの、3人とは別々のクラスになり、教室には誰一人として知った顔は無く、休み時間になると同じ幼稚園出身の子同士が楽しそうにお喋りしてるのが羨ましかったし、寂しかったし、焦った。
そこで考えついたのが、用も無いのに休み時間が来る度に必ずトイレに行き、トイレの行列の前の子から順に友達になってとお願いするというもの。
あっという間に人と喋れる様になったし友達もできたけど、それをキッカケに無視してくる子も少なからず居た。
まぁウザかったに違いない。
こっちは友達作りに必死過ぎたから。

そして時期を同じくしてもうひとつ変化した事がある。
妹と弟が幼稚園に入園した事。

なぜそうなったか。
実はクラシックバレエはうちだけが通い始め、妹と弟は母と一緒に見学ルームから見てるだけ。
家に帰って復習をしていると、下の二人もマネをするので、妹達もバレエをやりたいと言い出したら習わせるつもりだったらしいが、いざバレエ学校へ着いて体験レッスンをさせようとすると、二人とも尻込みして必死に拒絶する。そして二人とも異常なほどの内弁慶だったし、とてもマイペースというか、スローペースだった。
後から聞いた話では、長女である自分とは下の二人があまりにも性格が違い過ぎたため、うちの時と同様にいきなり小学校へ入学させたのでは、友達も作れないかもしれないし、マイペース過ぎて小学校で団体行動ができるのかも心配だったらしく、また同じマンションに妹の同い年がひとりも居なかったという事もあり、両親話し合いのもと、下の二人は幼稚園に入園させたらしい。
ところが、内弁慶な二人は幼稚園で一番体の大きいいじめっ子に目をつけられ、怖いから幼稚園に行きたくないと二人揃って言い出した。
それも束の間、その3ヶ月後には父の転勤により、横浜から遠く関西へ引っ越す事になる。
自分にとっては3度目の引っ越し。
せっかくできた友達や、同じマンションの友達とまた離れるのがイヤでイヤで、1学期の終わりが近づくにつれ、寝るとお別れする日が近付くからイヤだと毎晩泣いてグズッて両親を困らせた。

そして現在に至るまで、どこへ行っても誰に会っても親しくなると「変わってるね」と色んな人に言われ続け、どこが変わってるのか聞き返しても明確な返答はなく、「何かわからないけど変わってる」としか返ってこない。
たぶんその変わってる理由は、
幼少期の環境と、その時期の人格形成が、まず大きな要因なのではないかと自己分析している。

ちなみに、関西へ引っ越しと同時に兵庫県の小学校へ転校したが、妹はというと、小学校へ入学するまでのたった8ヶ月のために制帽や制鞄を揃えるのはお金が勿体ないという母の経済観念都合で、そのまま保育園にも幼稚園にも転入させる事はなく、日中はまたしても弟と自宅で母からの幼児教育を受け、長女である自分同様、顔見知りがひとりも居ないままにうちの通う小学校へ入学した。

結局のところ、妹が幼稚園に通ったのは横浜での4ヶ月間だけだった。

横浜と関西では言葉もかなり違う事もあり、関西弁に適応しようとする自分とは違って、妹は関西弁になかなか馴染めず、言葉の違いからからかわれる事も多々あり、妹の人見知りは悪化した。
そして両親念願のマイホーム完成により、うちが小学校2年生になった夏休みに、隣町へまたしても転校。
やっと妹にも友達が出来始めたのに、、、昨年の自分同様、妹は入学してたったの4ヶ月、1学期間しか通わずに転校となった。

その後も妹の人見知りはひどく、初対面の人とペラペラ喋れる様になったのも、おそらく社会人になってからではなかろうか…。
そして妹は両親が建てた兵庫の家に残り、結婚して母親になった今でも、妹の関西弁は不自然だ。
そして姉である自分から見ても、妹はかなり変わってる。

そして弟はというと、隣町へ引っ越してから小学校入学までの8ヶ月間だけ保育園へ入園した。
今は一見して普通だし人当たりもよく、反抗期が酷すぎたうちと妹に比べ、反抗期が無さ過ぎて母が心配するほど穏和なまま高校受験を迎え、受験勉強に疲れると庭へ出て畑を耕して気晴らしをするという、こちらからしてみれば、それはそれでだいぶ変わってる様に見えた。
その後農業大学へ2年通い、アメリカの農場で働いて学費を稼ぎながら、アメリカの大学へ編入し2年通った。

一体何が普通なのか、って話になってくるけど、
保育園か幼稚園のどちらかに一度も通ったことが無い友人や知人は、今までにひとりしか出会った事が無い確率だということ。

あ、そういえばその子もだいぶ変わってるな笑。

もし同じ様な幼少期を過ごした方がおられましたら、その時のお話から現在に至るまでをぜひお聞かせ願いたいものです。

※トップ画は、甥っ子が3歳の時に描いてくれた私の似顔絵です笑

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