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全力で頭を振った日

わたしには最推しが居る。

Janne Da Arcのボーカル、そしてABCことAcid Black Cherryのyasuさん。
yasuさんの歌も曲も歌声も大好き。
今は活動休止していらっしゃるけど、ずっと応援する。
生きてる限りずっと推す。
この先も一途に愛を捧げる所存だ。

そんなyasuさん、とてもヘッドバンギングが綺麗なことで有名だ。
いつもライブに参戦する度、綺麗なヘドバンを見て憧れていた。
わたしもライブ参戦した際には、上手くないながらもヘドバンしたりしたものだ。


…そんな思い出をよそに、ある日わたしは全力で頭を振っていた。

場所は武道館などではない。
職場のトイレである。

今から語るのは、決して推しへの愛ではない。
忘れようとしても忘れられぬ、それはそれは忌まわしい事件の記憶である。

…。
……。



2021年のある日。

その日はいつも通りの平和な一日だった。
前日の雨が上がり、空は晴れ渡っていた。青い空が高く、日差しが視界を眩く灼く。
夏を目前に緑は濃く、アスファルトには近くの土壌から出てきたのか百足が蟠を巻いていた。

昼休み、外から帰ってきたわたしは汗を拭いながら仕事に戻った。
部下たちや同僚と「暑いねー」と言い合う。
夏になったら車中での休憩はキツイな、と思ったのを覚えている。

夏前の平和な午後だった。


夕方、仕事もひと段落ついた頃、手洗い場に向かった。
同フロアの手洗い場は数が少ない。蛇口を捻り、腰を屈めて手を洗う。流れる水の感触が心地よい。

その時、首筋にするりと何かが触れた。
結い上げていた髪が解けたのか、はたまた首後ろで結んでいた服の紐が解けたのか。

-手を洗い終えたら、鏡を見ながら直そう。

そう考えたが、一度意識すると首筋の感触が擽ったくて気になってしまった。
取り敢えず、と首筋に触れるそれを手で払った。

ところが。
払ってから少しした後、首筋の感触が帰ってきたのである。

-これは服の紐ではなく髪が解けたな。

そう思ったわたしは、折っていた腰を戻して目の前の鏡を覗き込んだ。

-…?

しかし、鏡の中のわたしの黒髪は結い上げられたままであった。
多少の後毛は見えるが、特段大きく崩れた場所は見当たらない。
服の紐も蝶結びで背中側に垂れている。

-?????

それならば、わたしのこの右後ろの首筋に触れるこの感触の正体は何だ?

頭の中が疑問符で埋まる。
鏡越しに確認するべく、わたしは首筋の右後ろを映そうと顔を大きく左に向けた。
そのままちらりと目線だけで鏡を見遣る。

「…………?」

その瞬間、確かに時が停まった。
目に映る光景を一瞬理解できなかった。

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ?!!!!!!」


そして、わたしは全力でヘドバンをかました。
たぶんライブに参戦していたときよりも一番綺麗なヘドバンだった。

びたんっと床に何かが落ちる。
黒くて長いそれを尻目に手洗い場から転び出た。
目線を逸らせぬまま後退る。

通り掛かった同僚に助けを求めた。

「百足が出た…っ」

そう。鏡の中、わたしの右後頭部には見事な百足が居たのである。
それがうねうねと首筋に頭だか尻尾だかを触れさせていたのであった。

トラウマである。
完全なトラウマである。
これがトラウマにならず何になると言うのか。

同フロアの別職種の後輩が箒と塵取りで黒い多足類を捕まえにきた。そのまま外に逃しに行く。

「待って大丈夫? 噛まれてないです?」

同僚に言われてからゾッとした。
知らぬとは言えいつから頭に乗せていたのか。
頭に乗せて、そのまま首筋に触れ、それを知らずに手で払おうとした。
よく噛まれなかったなと思う。怖過ぎる。


侵入経路を考えたところ、怪しい箇所が一点あった。

個室の中の換気口である。
座ると真上に換気口が来る。
換気口の出口は外の植え込みの近くであった。

昼休み、植え込みから出てきたと思しき百足がアスファルトの上で丸くなっていたのを思い出した。
アスファルトに居たのは、そういえば1匹だけだった。
…百足は、番で動く。


他の個体が侵入してくる可能性があった為、換気口は即座にフィルターで塞がれた。

わたしの部下たちが被害に遭わずに良かった。
誰も怪我しなくて本当に良かった。



尚、5〜6月はあの多足類たちは産卵の時期にあたり、動きが活発になるのだと言う。

ちょうど去年の今頃起きた事件だ。
今年また同じ悲劇が起きぬよう、わたしは今から気が抜けずにいる。

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