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コミュ障だって成長できる

夕方ホームセンターでカーペットの滑り止めを買うつもりがガーデニングコーナーに釘付けになっているとき、母がお世話になっているケアマネさんから電話がかかってきた。
母が近所のホットモットに毎日通っているのを知って、(要支援2の利用者への様子見訪問は3ヶ月に1度と決まっているので、仕事として様子見したのではない風にしてくれたのか)待ち伏せして偶然を装って話をしたらしいのだが、「区変(介護保険の区分変更)の調査の日が6月1日になったと言われたんだけどお母様の勘違いなのかしら」との確認の電話だった。

この人は福岡の人だけど、問いかけの語尾が「かしら」になることがけっこうある。かしら、嫌いじゃない。私も使いたい。

勘違いじゃなくて本当なんです、と私は言った。ケアマネさんはショックを受けていた。なぜって、遅くとも6月頭には「結果」が出るように、4月半ばに申請を出してくださったのだ。普通は申請から1週間以内に調査が来るのだが、まさかそれが1ヶ月半後になろうとは。しかしケアマネさんがそれを知らないとは思わなかった。調査会社から連絡がきたとき、すぐに知らせればよかった。

遡ること4時間前、ちょうどお昼ごろだったか、母が入りたいと願っている老人ホームの担当者からも電話があった。そろそろ区変の結果が出る頃だけどどうなりそうか。実は一部屋空きそうだから、要介護1に変更できていたら、6月半ばぐらいに入居できますよ、と。
本当だったら、こんな連絡はホームの人からわざわざ来ない。しっかりした絆を作ることに成功した結果だ。
本来だったら介護等級が足りないから入れない施設なのだが、見学前から電話でかなり色々相談して、見学でも3時間ぐらいは話したか。その後も何度か連絡を取り、もし介護1に等級が上がって申し込みできるようになったらしっかり「忖度」しますから、と言ってもらっていた。つまり、一番に入れてもらえるということだ(老人ホームの待機リストは早い順からではなく緊急度順で声がかかる。だから待っている人を飛び越えて母に声がかかっても一応おかしくはない)。
しかし6月半ばまでに結果が出るとは思えない。その旨現状を報告し、お互いまた連絡し合いましょう、といって電話を切った。その話をケアマネさんにしたら、大変申し訳ながっていた。

そんなことないですよ。
いつも本当にお世話になっているし、こんなことになったのはケアマネさんのせいじゃない。母に必要な人材も、最適と思える人を集めてくださったし。それでどれだけ救われているか。今こうして私も母も安定した生活になれたのはケアマネさんの環境づくりのお陰だ。ひたすらお礼を言った。
ケアマネさんは、審査結果を早く出してくれるように再度依頼をするからと言って電話を切った。


母が骨折で緊急入院してからこっち、どれだけの人に頭を下げ、お願いし、お願いした倍ぐらいの好意を返していただいたか分からない。
総じて私も母もラッキーだったと思う。
しかし、限られた福岡滞在と電話連絡で、母の状態をコントロールしつつよくこれだけ必要な人脈が作れたなとも思う。自慢。自画自賛。
誰にでもできることじゃない。これって要は、私のコミュ力が高いから、ここまで色々もってこれたんじゃないの!?ともう、夕暮れのガーデニングコーナーで一人悦に入った。


私はいわゆる発達障害児として育ち、17歳で躁うつ病を発症して入院→ドロップアウトの引きこもりとなった。そこから社会復帰するのに、まずなんの言葉を発すればいいのか、どうすれば日常普通の人がやっているような当たり前のことができるようになるのか、というところから、人生をまるきり作り直してきた。
あれからもう30年になるのか。
若い頃の私を知っている人は、コミュ障の代表みたいに私のことを言う。
社会性は全くといっていいほどなかった。
一人暮らしを始めた頃の部屋のなかはひどい有様だった。
いわゆる大人のADHDど真ん中でもあったし。
しかし!ADHDも躁うつ病も、本気で克服しようとすれば、少しずつ状況を改善していける。らしい。今こうして自分を振り返ると、忘れ物も無くし物も遅刻もドタキャンも失言も締め切り破りも少なくなったし、生活がぐちゃぐちゃになるほどの過集中やらもなくなった。家事も自分比ではかなり器用になった。人としての「普通力」が相当に向上した。感情の起伏をある程度予知し、先回りして行動を調整することも、少しずつできるようになった。社会生活がぶち壊しになることもなくなった。もちろん服薬を怠らないこともあるが、ここ数年は寛解状態、軽く躁鬱気味の人ぐらいにおさまっている。父、老猫、義父、母と介護を続けながら、専業主婦と小5女児の母として生きていけている。


まともすぎる!


なにより、人と交渉するのがうまくなった。元々他人に助けてもらえる運がある気はするが、今は(必要な分は)相当に相手の懐に入ったり、場をコントロールできるようになった。
これって、コミュ障害どころか、高コミュ力の人じゃないか!!


なんてね。
すばらしいですよ。
人生、頑張れば状況って改善するもんなんですね。と前向きに捉えたい。
人って改善したい生き物なんですよ。
改善できない場合は、改善したくない無意識の理由が何かあるんです。
私がいつまで経ってもダイエットに成功しないのも、きっと何か理由があるに違いない。

と、明るく思えるということは、5月病が終わったということだ。
今からしばらく猛烈に忙しくなるから、終わってくれて本当によかった。


今日かかってきた電話の〆は母からだった。
送っておいた、内側にポケットがいっぱいある夏用のベスト、母のイメージ通りのジャストサイズだったとのこと。
よし!


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