猫手舎

2000年頃よりネットサービス企画や旅行、カルチャー、動物、ドラマ関連の執筆を請け負っ…

猫手舎

2000年頃よりネットサービス企画や旅行、カルチャー、動物、ドラマ関連の執筆を請け負ってきました。2015年から家族の看護、介護が本格化。レビー小体型認知症を発症した母の、遠隔介護の話題を中心にnoteしてみます。夫、小学生の娘、シンガポール在住時に貰った地猫2匹と暮らしてます。

最近の記事

解放老人

いろんなことに、慣れた。 母は食事を買いにいく近所の店々や銀行で、お金をぼったくられた、騙された等小さく難癖をつけ縁を切ったり、電話が壊れた、人に見てもらったけどみんな「おかしい」と言った等、小さく嘘をついたり嫌な過去を都合よく塗り替えたりしながらも、そこそこ落ち着いて暮らしている。 デイサービスでできた友達が遊びに来たり、訪問看護師さんに懐いたりして、何かあったらサポートの人が連絡をくれることもあり、こちらから電話するのは週に2〜3回に減った。 長々と時間がかかった介護認定

    • コミュ障だって成長できる

      夕方ホームセンターでカーペットの滑り止めを買うつもりがガーデニングコーナーに釘付けになっているとき、母がお世話になっているケアマネさんから電話がかかってきた。 母が近所のホットモットに毎日通っているのを知って、(要支援2の利用者への様子見訪問は3ヶ月に1度と決まっているので、仕事として様子見したのではない風にしてくれたのか)待ち伏せして偶然を装って話をしたらしいのだが、「区変(介護保険の区分変更)の調査の日が6月1日になったと言われたんだけどお母様の勘違いなのかしら」との確認

      • ボケてもいいよ?

        と言われた。 We love 赤ちゃんプロジェクトというステキなキャンペーンで「泣いてもいいよ」というステッカーがあって、それを褒め称える記事をFBに書いた友人が、お年寄り向けに「ボケてもいいよ」というステッカーもできるといい、と書いていたのだ。 その人は本気で書いているのだ。 赤ちゃんがどこで泣いてもママが気にしなくていい社会。認知症の老人にも優しい社会。そうなるといいな、と、それが「泣いてもいいよ」と「ボケてもいいよ」で実現すると、なんてステキなアイデア!みんなもそう思

        • ははからでんわ

          なんだか目が覚めなくて二度寝進行に陥っていた私を、むりやり現実に戻したのは母からの電話だった。 私はいま5月病でぼーっとしているが母は逆のようで、なにかと「自分アレンジ」をかましてくる。去年自分に降ってわいた「認知症」という現実に慣れて、「認知症を患う老人」という新たな生活にも慣れてきて、新しい知り合いも増えて、逆に「自分はまだできる」と思うタームに入ったのだろう、あれこれアレンジしたり冒険したりして、そのうちの半分ぐらい失敗してパニックを起こす。 今朝は「これから今宿ま

        解放老人

          いまのきもち

          知らないうちに、心の芯みたいなものに手が届かなくなる。 ゴミごと握れた気がしても、あっという間にまた感触を感じなくなる。 心の芯みたいなものに手が届くかどうか。 本当は私にとってだけじゃなく、生きている人みんなにとって大事なことだ。動物は心を気にしないから、自分の気持ちが分からないことで混乱したりしないからいい。動物のように生きたいと思う。動物みたいに、心の赴くままに心配し、弱いものの世話をし、昼寝し、腹を減らし、食べ、喜んだり怖がったりしたい。 でも不思議なもので、動物

          いまのきもち

          患者家族の会へ行ってきた

          疲れました。 ほんとうに。 私、こんなに初対面の方が苦手だったっけ?と。 はじめて会う、どんな方なのかも全然分からない、年齢層も様々な、ほとんどが多分年上の、介護歴だってもちろんすごく上の人たちのなかで、いきなり自己紹介と親の状態をまとめて言うこの難しさ。 しっぽ完全に巻けてるし。なんなら完全に腹を出して「どうぞにおってください」と背中でにじり寄ってるぐらいの感じ。しかし、犬だったらすごい簡単に話が運ぶけど、人はにおい一発で解決はしない。 勝手に気圧されただけで、皆さんが厳

          患者家族の会へ行ってきた

          死んだ人が出す音

          母とも介護とも全く関係ない話だが、今ちょっとぞっとする気づきがあったので、ここに書き記しておきたい。 2012年から2015年まで、私はシンガポールに住んでいた。 向こうに行ってから家を探す間、2ヶ月だけサービスアパートというところに住んでいたのだが、あとから思うとそこは入ったときから変だった。 日系店舗が多数入っている、在星邦人御用達ショッピングモールの上にあり、便利だからと夫が渡星前に決めた物件なのだが、とにかく暗い。外廊下も、室内も、窓から日光が降り注いでいてもなんか

          死んだ人が出す音

          「私にもまだできることがある」

          母に電話した。 母は失禁が膀胱直腸障害からくるものではなくて、圧迫骨折も現状程度安静が保てていれば大きく悪化することもないから、どっちにしろ手術はいらないし何かしらの麻痺にもならないと医者に言われたことがよほど嬉しかったようだ。私との言い争いから2日経ってみると、母の嫌いな月曜のデイサービスの話をしても、ベッドに丸まる人の話は蒸し返してこなかった。失禁問題からの放免が全体的な拒絶案件を半分くらい恩赦したようで、あれほど嫌がっていたデイサービスすらもそこまで嫌ではなくなったらし

          「私にもまだできることがある」

          おとしどころ

          頭の中で散々ネガティブなことを考え尽くすと、もうネタがなくなって、不思議と楽しいことを思い出し始める。 ああ、母がすぐ食いつくだろうと見越して北海道物産展でウニ丼買いたいねえと仕向けて一番高級なやつ(母のお金で)買ってきて二人で食べたとか、母がデイサービスで出来たというお友達の話が悲惨で、そういう人と仲良くなれるだけでも母には存在意義があるなと思ったとか。その人は天涯孤独の女性で、週3透析週3デイサービスの87歳。母と話せる木曜日のデイサービスだけが楽しい一日なのだそうだ。諦

          おとしどころ

          認知症介護のリアル

          水曜日の午前中に整形外科と脊椎脊髄外来の初診があって、金曜日の夕方に区変のための担当者会議があるので、火曜の深夜に福岡の母の家に行って、金曜の深夜に東京へ帰ってきた。 帰路ザワザワが止まらず、福岡空港に新しくできたラーメン通りで豚骨トマトラーメンを食べて、帰ったら夜中に大人食いしようとお得用明太子を買って、機内で「認知症の親 むかつく」で検索していい感じの掲示板を見つけて親への罵詈雑言を読んでちょっと気分が落ち着いて、頭のなかで母を泣かせられそうな言葉責めの台詞をいくつも考え

          認知症介護のリアル

          丸まった人

          母が幻覚を見て倒れたのは、帰省が終わって1週間も経たないときだった。 その「直前の帰省」を合わせるとこの4ヶ月半のうちに、私は東京―福岡間を8往復している。 親が認知症となると、何かの支援を受けるにも、新しい病院を受診するにも、家族がいないと進まないからだ。 そんなことしているうちに、母の中で私が「月に2度、帰ってくれば4日ぐらいはいる人」になってしまっている。 今回も、用があるのは2日なのに、その用事と飛行機の都合で3泊4日だ。弾丸のつもりだったのに、結局平日のほとんどを

          丸まった人

          モヤる介護を乗り切る方法

          誰かのために頭と体を使い続けると、自分が摩耗していく。精気を吸い取られる。そんな毎日を乗り切るための、たったひとつの方法は、 なんとかして、母のことも、犬のことも、誰のことも追い出してしまえる「自分だけの場所」を作ることだ。 追い出せる「時間」でも「場所」でもない。 自分だけのための「感情」や「思考」を確保するのだ。 自分にとってそれは、「小説を書くこと」だと気づいた。 このブログじゃダメだ。これは一時的な憂さはらしにはなるけど、ここに何か書いている限り、私の脳内は母に占領

          モヤる介護を乗り切る方法

          犬も倒れた

          私には犬がいた。 甲斐犬の雑種で、里親募集サイトを見ているときに、あと1週間で保健所行きになるという子犬を見て、すぐに山梨まで貰いに行ったのだ。 大人になってからは猫としか縁がなかったが、元々は犬が大好きだ。子供の頃から犬を飼っていた。だから、マンションを買って、猫以外に犬も飼えるとなったとき、吸い寄せられるように里親募集サイトを見るようになった。そして出会ったのが黒い甲斐だった。山梨の保護犬には甲斐っぽい犬がとても多い。甲斐が山梨の地犬だからだろう。なので、貰った犬も素性

          犬も倒れた

          母が重い

          娘の春休み中、3泊4日で母の家へ行ってきた。 本来ならばこれがいつものペース。 基本は娘の休みに合わせて行く。 冬休みと春休みの間に1回ぐらい様子を見に行って、娘がいる時だけはちょっと滞在が長くなる。 それが、娘がいる今回のほうがいつもより短くなり、前に母にあってから2週間も経っていない。 変わったなあ。 母は孫のことをちゃんと覚えていた。 よかった。 でも、夕方になると娘の写真が私の顔に見えてくるのは変わらない。 緊張すると、どこに電話をかけても私にかかってしまうのも変

          母が重い

          何よりいやなこと

          母がつらい。母がしんどい。よく聞く言葉は、きっと私にも当てはまる。母を心底好きになることはできないし、今でも十分やっかいで、どうか母が満足する「頼り先」が私以外に見つかりますように、と願っている。 でも何より辛いのは、嫌なのは、 母が母らしさを失うことだ。 あの気の強い、人を恨みがちな母が、切れて罵詈雑言を並べる、そのかわりに、認知症者だからとバカにされて、それに反論もできずしょんぼりするのを見ることだ。 母との関わりを振り返ったとき、母が嗅覚を失った、つまり認知症の最初

          何よりいやなこと

          母の悪口を書くとその後に起こること。こんなに嫌って申し訳ない気持ちになり、母に電話をしてしまう。で、やっぱり鬱陶しくて無理やり電話を終わらせる。こういうループにハマってる人、少なくないようですな。

          母の悪口を書くとその後に起こること。こんなに嫌って申し訳ない気持ちになり、母に電話をしてしまう。で、やっぱり鬱陶しくて無理やり電話を終わらせる。こういうループにハマってる人、少なくないようですな。