ロドルフ・テプフェール「ド・ソシュールの旅行記における絵画的な部分について」

【原典:Rodolphe Töpffer, « De la partie pittoresque des voyages de De Saussure », 1834】
【ヨーロッパで観光旅行が一般にも広まった19世紀はじめ、アルプスには登山客が押しかけるようになりました。しかしジュネーヴにいて観光客を迎える側だったロドルフ・テプフェールは、そうしたスイス旅行の流行や紋切型のスイス描写にうんざりし、同郷の地質学者オラス=ベネディクト・ド・ソシュール(言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの曽祖父)によるアルプス紀行を称えます。表題にある「絵画的」とは「ピトレスク(英:ピクチャレスク)」のことです。()は原文にあるもの、〔〕は訳註、太字は原文にある強調です】

おかしなことに、毎年このスイスに大挙して押しよせる観光客は、田舎風のものや崇高なものを求める。深淵や雪崩を熱望する。大自然の驚異に飢えているのだ。到着すると、案内される。こちらがフィンスターアールホルン、あちらがユングフラウ、そしてモンブラン。ほら、皆さん、ご覧ください。そして一同は眺める……。こうした大自然の驚異は、結局のところ単なる大きな山であり、見る者を楽しませようと一歩たりとも動きはしないので、観光客は、たいして驚きのない大自然の驚異など金輪際うんざりだといって、さっさと帰ってしまう。ストラスブールやミラノへ行ってドゥオーモに登り、よかった、こちらは別物だぞ、と思うのだ。

別のひとたち(繊細な者)は黄金時代を見つけようとした、黄金時代を期待していたのだ……かわいそうに、ここらの田舎風旅館は本当に高値なのだから。

別のひとたち(豪傑な者)は、しょっちゅう氷河が割れ、道端に大瀑布があり、草原にカモシカがいるのを望んでいた。

別のひとたち(哲学者)は、自分たちの訪れた16日にランツゲマインデ〔直接民主政の青空集会〕を開いてほしかった……しかし主権者たる民衆は種まきに出ていた。ランツゲマインデを見られなかったといって、たいそう悔やんでいる。

別のひとたち(なんとたくさんのひとがいることか!)は、小教区ごとに新しい衣装が用意してあれば満足したのだろうが、興味に適ったのはエントレブッフの短かいスカートだけ、それも膝まではあるのだった。

そして最後に、別のひとたち(これが最も多い)は、これらの驚異のすべてを、さらにはもういくつかを一度に求め、他の驚異には目もくれなかった!

おかしなことだ、こんなまやかしに出くわすとは。わたしはラウターブルンネンの宿屋の主人になりたい!

そして奇妙なことに、ラウターブルンネンの宿屋の主人も、こうした物事について観光客と全く同じように考えている。これほど面白い話はない。シュタウバッハは? 澄んだ水。ラウターブルンネンは? 危険な裂け目。シャイデックは? 狼の国。毎年やってくる群衆から何も聞いていないのだ。宿屋の主人が考えているのは、群衆が存在し、危険な裂け目の街で、感じのよい一行が食事の場所や支払い相手を見つけてくれたら都合がよい、ということなのだ。

しあわせに暮らしているはずだって? 考えてみよ、宿屋の主人が、誰にも見られていないとき、シュタウバッハを眺めて呟くのを。「この水の流れがなかったら、俺は何者でもなかっただろう、俺の父祖たちのように! ああ! シュタウバッハ! シュタウバッハ、わが友よ!」そして考える。「不思議な川だ! ……しかし、そうすると、やつらはいったい何を見に来ているんだろう?」ラウターブルンネンの宿屋の主人は迷信深いに違いないと、わたしは思う。

そして正午ごろ、勘定を済ませた観光客が、4時間かけて急な坂道を登り、汗をかき、息を切らし、疲れきっているとき、主人は金庫のそばに座り、大金を数え、積み上げ、記録し、足し引きをする……。急に恐ろしくなる。もしシュタウバッハの流れが止まってしまったら!!!!ラウターブルンネンの宿屋の主人は愚かだ、もう折目はついており〔癖がついているということ〕、シュタウバッハが干上がっても観光客は同じ数だけやって来ると、分からないのだ。一匹の羊が跳ねた場所で、棒を取り除いたところで、他の羊も同じように跳ねるのだ。

夕方、疲労で不機嫌になり驚きにくたびれて宿に着いたイギリス紳士が、木の部屋で粗末な夕食をとるのに10フラン支払い、主人に助言を貰っている、日の出の光輪を見逃さないよう夜明け前にシュタウバッハへ行くとよい……真夜中ごろ月が昇るから今晩も散歩したほうがよい……。イギリス紳士はそこで一夜を過ごす……そして日の出前にシュタバッハですっかり濡れてしまったイギリス紳士は、虚空を見つめて太陽を待つも、光輪は見えず、風邪をひく……。ラウターブルンネンの宿屋の主人以上に楽しげな食わせ者を知っているか、わたしに教えてくれるか? ……

主人は太った男だ。観光客がイタリアへ移動すると、さっさと扉を閉めてベルンに下り、夏の間に見ていた者たちを冬の間ずっと笑いものにして過ごす。

わたしが出会った、全員が失望しきった観光客の一行は、ラバに乗せられ、ガイドに長々と説明され、歌手につきまとわれ、力士に追いかけられ、楽しい物事の只中にあって想像しうるかぎりの苦い顔をしていた。痛ましい光景である。こうした不幸の原因を探さねばならない。できれば人間の心の奥底に見つけるべきだ。わたしは旅行者をひとり捉まえて、人間の心を調べる。

観光客とは、本当に真面目な好奇心を持っているわけではないが、それでも目の前で山が4つに割れて、事態が進行するのを見られれば、とても嬉しいと思う人間である。既製の喜び、大量生産の感動、都合のよい驚きを求める。愚直でもあり気まぐれでもあり、飽き飽きしてもいるが多くの要求もする。目の前にあるものを見ず、そこにないものを見たがる。想像上のスイス、理想のスイス、奇跡に満ちた土地、その真ん中に自分のための小さな道が通っている、と予め思い描いている。流行によって、習慣によって、来ることになっているから来ている。つまり羊なのだ、群れに従う羊、通過したがる羊(邪魔してはいけない)、群れの通ったところを通るであろう羊。これが観光客の心理である。

では、観光客が楽しめないとしたら、誰のせいなのか? 第一に、自分のせいである。第二にも、観光客自身のせいである。スイスを台無しにしたのは観光客であると認めねばならないからだ。

観光客がこの地に立ったら、自分でも認めねていると、指摘してやらねばならない。観光客がどんなに愚かであっても、住民の風習や未開の美しい自然のうちにあった、素朴さ、壮大さ、神秘性、静寂、古代スイスの魅力のすべてが、先に来た観光客によって変えられ、衰えさせられ、破壊されているのを、理解せずにはいられないのだから。氷河は大通りになり、山頂は宿屋になった。羊飼いは乞食に、歌手は……。観光客は、これらすべてを見て、誰を責めるべきか知っている。それに、先に来た観光客を非難したいとも思っている。羊である観光客は、先に来た観光客に自分の草を踏みつけられ、牧草地を荒らされ、芝生を汚されたのだ。

そのとおり! 昔のスイスは、美しく慎ましい乙女で、孤独で人慣れしておらず、その色香は大衆には無視され、少数の真に愛する者たちの心を躍らせた。無遠慮な者たちは、自分たちの受けた秘密の好意について、黙っていられなかった! 口に出し、言いふらしたのだ、そして皆が分け前に与ろうとするようになった。大陸の野次馬もイギリスの冷血漢も列をなしてやってきて、衆目に晒された慎ましい乙女は、美しさこそ保ってはいるものの一切の魅力を失った。

さいわい、魅力のいくつかは残っている。羊は一本道を辿るだけでよい。道の右や左、遠く、上空に、まだ世俗化されていない隠れ家がある……。しかし、興味深いスイス、歩くべきスイスは、かつてはローザンヌやジュネーヴから始まっていたが、今では、人里離れた山の麓、森の只中、濃霧や深淵で観光客の来られない高い岩の上から始まる。観光客は馬車で行く、観光客はロバの背に乗って行く。どうして皆リバプール発マンチェスター行の機械に乗りに行かないのか!〔1830年に開業した世界初の営利鉄道路線であるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道のこと〕 ああ! わたしは喜んで同行したいものだが!

しかし、その観光客を作ったのは誰なのか? 美しい乙女から、持ちえたはずの魅力や色気をすべて奪い取ったのは、誰なのか? 通りを引きずりまわし、店に並べ、安値で売ったのは誰なのか? 旅行案内書や風景画を作った者たちだ。憎んでも憎みたりない。おぞましい商売を嫌っても嫌いたりない。そいつらは最下層のひとつ上の人間である、そして最下層は商人だ!

そう、商人たち! 美しい乙女の魅力に目をつけ、色気を売りものにしたのだ。軽蔑すべき悪魔に金を払って描かせ、色をつけさせ、売って回らせ、世界の端から端まで、偽りの描写、美化された姿が、ショーウィンドウの奥に現われ、野次馬を呼びこみ、観光客を作り出したのだ。

それ以来、ふたつのスイスが存在するようになった。自国に留まる本物のスイスと、世界中を飛び回る商人のスイス。アルプスの素朴なスイスと、並外れた驚くべき奇跡のスイス。自然で古風で平和なスイスと、人工的で近代的で騒々しい廻り舞台のような大仕掛けの作られたスイス、……しかも最悪なことにパリ製なのだ。ああ! そうだ、時間になるとスイスを万力で震えさせる。やつらフランス人は、スイスに来た最も知的でない者たちだ! やつらパリ人は、スイスについてフランス人の中でも最も愚かだ! やつら商人は、パリ人の中でも最も野蛮で冷酷だ!!!

しかし、流行がやって来た、その国民にとって全ては流行なのだ。流行が政治を、道徳を、宗教を、慣習を作る。あるときは背徳、あるときは良俗、あるときは狂信、あるときは無神論。あるときは共和国、あるときは帝国。つい先日、七月には、英雄主義、無私、気高い勝利の後の崇高な節制。今日は強欲、利己主義、暴動、騒乱、自殺……しかし何より絵になることだ! 絵になる美しさがフランスを侵略し、夢中にさせ、大地を覆い、流行そのものを支配している。何も喜びをもたらさない、何も、百科全書さえ! ああ、何という時代、何という風習!〔O tempora, ô mores !〕 百科全書! 何ということだ!

それでも、もし、見えているごとく、万事が絵画的に変わるとしても、文句は言うまい。

ともかく[1]、ド・ソシュールの旅の絵画的な部分、感性と自然に満ちた作品、質素と詩情に満ちた作品、山の涼気を湛えた瑞々しい作品、高地アルプスの澄んだ純真さを湛えた清廉な作品、素朴な谷や人里離れた山小屋のような、青々とした隠れ家のような甘美で田舎風の作品、つまり、ほとんど留保なしで称えることのできる作品、40年の歳月と100人の模倣者が、ただ元の作品の名声を広め、魅力を高め、独創的で真似できない作品だと証明するほかなかった作品である。

お分かりだろうか、観光客よ、この本はあなたのためには書かれていない。あなたには何ひとつ理解できないだろう。ド・ソシュールは驚異について二度は語らず、椿事について一度も語らず、あなたの求める感情、そしてむしろしばしばあなたには受け取れないような感情についても語っていない。ドール、サレーヴ、モールといった、険しく巨大で溢れんばかりのものを求めるあなたにとっては不毛な丘を、念入りに訪れ、愛情を込めて描写している。モンブラン? なるほど、確かにあった、あなたはいなかったが。しかしあなたも方法さえ知っていれば! ……ごく自然にやるのだ、友よ。登るだけ、他には何もない。土地の者と気圧計と一緒に。冒険? わたしの手にある以上のものはない、そして頂上での幻滅! 旅行者よ、あなたには信じられただろうか?

アルプスを最もよく感じとり、理解させることのできた人物、その性質と雄大さを自身の文体によって伝えることのできたほとんど唯一の人物が、ひとりの学者、気圧計と湿度計のひとであり、同じ場所に来て詠んだり描いたりした多くの画家や詩人たちの中で、彼に匹敵するどころか、多少なりとも近づけた者すらひとりもいないのは、興味深い出来事、奇妙な運命である。誰も試みなかったせいではない。しかし、どこでも、いつでも、状況に熱狂し、強引な色彩、偽りの描線となっている。いわゆる詩的な文体とされるあれこれの道具については言うまでもない、わたしの耳に入るのは、ありきたりの美辞麗句、鬱陶しい呼びかけ、義務的な形容、恐るべき比喩、そして……根底には何か観光客めいたところがある。

しかし、この興味深い事態について、わたしは説明がついている。この奇妙な運命に、わたしは驚かない。ド・ソシュールは、自然学や自然史を研究するため、つまり真面目な目的、夢中になった精神、活発な身体を持ってアルプスを歩きまわり、旅の魅力、道の美しさ、研究にともなう生き生きとした新鮮な感覚を恵みとして受け取る。夜、山頂の山小屋で、満足し、自信を持って、日記をつける。そのとき、科学の狭間に、その日の描写、記憶、観察が滑りこむ。すると、凝っていないからこそ真正であり、真正であるからこそ絵画的で詩的な、千もの真の描線が筆先から現われるので、何も考えず、忠実で素朴で愚直な描写をすれば、そこには周囲の雄大な景色と自身の受けた印象とが同時に表わされている。

しかし、詩人は、藝術家は! ……まずは認めねばならない。詩人や藝術家は、詠むため描くために来ている。他の者にとっては余談や前菜に過ぎなかったものが、詩人や藝術家にとっては要点なのだ。他の者にとっては自然発生的なものが、詩人や藝術家にとっては目標、企画、任務、さらに悪いことには職業なのだ。だから、着いたばかりで、もっと驚かされないか、仰天させられないかと気を揉んでいる(わたしは賭けてもよい)。この地について何も知らないうちから、どうやって知るかよりも、何を語ればよいかを探るので頭が一杯だ(これも賭けてもよい)。踏破すらしないうちから、額に汗をかいて高地に登り、無垢なる地を征服したという強烈な快楽、山での抑えきれない満足感、頭は空っぽ、心には何もない、これで準備はできた! ……形容詞が降りてくる。呼びかけが聞こえ、比喩が見える……ミューズ……ミューズ……そしてミューズが来て、われらが友人は歌うのだ。無を歌い、空虚を歌う。美しい響き、それだけだ[2]。

どうやったら別のものになれるのか? 人間の中にあるもの、そこに見いだせるもの、人間がそこに置いたものだけが文体のうちに広まるのではない、詩情もまた、他のもの全てと同じく、自ら作られ、予め現われるのだ。むしろ詩情は、詩人が息を切らせて探し求めても掴めなかった石の只中で、千回も地質学者を訪ねるだろう。

しかし詩人よ、わたしはあなたの目の前に無をひとつ置きたい、それはわたしがあなたに創造のために百も差し上げようという無だ。その無は、描かれた場面の中心にわれわれを難なく置いてくれる。その無は、単純であるのが魅力であり、著者が詩人になろうと全く考えていなかっただけにいっそう本物の詩情に溢れている。ド・ソシュールが山の頂上に到達したところだ。

そこでこう述べている。「わたしたちは頂上付近で2匹の蝶しか動物を見なかった。片方は小さな灰色のシャクガで、最初の雪原を横切った、そしてもう片方はマキバジャノメと思われる昼行性の蝶で、頂上から100トワーズ〔1トワーズは約1.95m〕ほど下の、モンブランの最後の斜面を横切った。わたしはこうした昆虫が氷河に入ってゆくのを何度か目撃していた。氷河に接する草原を飛びながら、雪や氷の上へと進む。地面を見失なったときは常に前進し、どこで着陸したらよいか分からず、少しでも風の支えがあれば最も高い頂上まで飛ぶが、そこで疲れ果てて落ち、雪の上で死ぬ」

わたしはあえて大きなものの中から2匹の蝶という最も小さなものを選んだ。そこでは花から花へと飛び回るわけではないのだ、詩人よ。哀れな蝶たち! もはや最後に見た花から遠く離れている。しかし、蝶たちのあてどなく彷徨う広大な平原、蝶たちの近くにある頂上が、あなたの目の前にあるかのように見えないだろうか、そしてあなた自身も、蝶に続いて輝く静寂の中に入っていかないか? こうした簡素な文体だけが、簡素な光景に相応しいと、あなたは理解しているか(あやしいものだ)? 簡素であると何が得られるのか、マキバジャノメを描く美しい言葉がいかに優雅に輝いているか、あなたには分かるか? 詩情は? あなたに指さして示さねばならないのか? 何だって! ……静寂と死の領域へと進む2匹の弱々しい生きものの周りではないか? ああ、あなた自身は何なのか、この地の風に同じように投げ出された一匹の昆虫か?

しかし、以上のことから、アルプスの画家となるには地質学者や博物学者であれば充分である、手に杖を持ちポケットに気圧計を入れればよい、と結論づけてはならない。また、ド・ソシュールと同じく、山への熱情、アルプスに対するこの上ない適性、多大な疲労に耐えうる身体、疲労を楽しみ疲労を気晴らしや娯楽とする感覚があっても、やはり充分ではない。これら全てを揃えていてもつまらぬ本となるかもしれず、これら全てを持っていなくとも素晴らしい本ができることはある。ただ、ド・ソシュールは、こうした探検のための資質一式に加えて、こう言ってよければ、時代や題材を問わず作家を立派で傑出した存在たらしめる才知と性格の資質、内容においても文体においても最も読者の共感を呼び注意を惹くような資質を、高い次元で統合したのだ。

この作品でわたしが感嘆するのは、高度かつ繊細な、厳しくも愚直な、偉大なものを受け入れつつも小さなものを軽んじない、その観察精神だ。哲学的でありながらも穏やかで晴れやかな、モールの斜面を背にした素朴な山小屋のまわりに愛すべき草原を見つけ、モンブランの凍った荒野を前にして壮大な思考のできる、その好奇心だ。美しさを誇張せず、偶然の出来事を平凡な現象に、珍しいものを驚異に、特異なものを奇跡に仕立てあげず、いつでも正確な現実のうちに充分な糧を見出す、豊かな、そしてとりわけ高尚な、その想像力だ。もっとも、ド・ソシュールにおいては、真実への愛が際立っており、最も輝かしい能力を和らげている。描写や詩情にも、学問と同じ忠実さ、同じ純真さがある。とても珍しい、それ自体が非常に興味深い現象である。

この作品でわたしが興味を持ったのは、わたしの気づいたこれらの特徴の他にも、旅人の足取り、嗜好、所作に刻みこまれている、どれほど単純で古風であるか分からないほどの活力だ。この学者は裕福であり、快適な生活に慣れているが、ひとたび愛する山に近づくと、節くれだった棒を手に、強い足腰を信じて、シャモニーの男となり、宿も手段もない土地で、尊大にならず、与えられた田舎の食事や仲間たちの粗末な小屋を受けいれる。純粋で生き生きとした高度な楽しみが、多少の不便など存分に補ってくれるのだ。さらに、誰もが知っているが誰も実践しない、大いなる秘訣を知っている。食欲が一番だ。心地よく充実した甘美な休息が一番なのだ。それを得るのだけが重要なのだ。贅沢な生活の幸せよりも知的な楽しみを好きになれるのが高貴であるとすれば、張りのない息抜きを骨の折れる喜びと交換できるのもまた高貴なのだ。ド・ソシュール以降、道路が拓かれ、山頂までホテルが広がり、馬車やラバや駕籠がどこにでも入りこむようになって、幾人かの玄人によって守られてきた大いなる秘訣は、人混みの中に消え失せてしまった。

この作品でわたしを喜ばせるのは、わたしのような人間ではなく優れた精神の持ち主によってわたしの手法が再現されていたり、素晴らしい学者がわたしの喜ぶようなことで喜んでいたり、すべてがわたしの手の届くところにあってわたしの見つける喜びが実証されていたりするのを見られることだ。もっとある。どのように旅するか、観察するか、興味を持つか、自然の中に多くの魅力や恵み、新しさ、神秘を見出すか、雪の境界で孤独に輝く高山植物を発見して、多額の料金を取る見世物と同じかそれ以上に感動し、喜べるかを、このように優れた案内人から学べるのだ。わたしとしては、ここで述べているのは、真実への讃辞というよりも、感謝による讃辞である。間もなく15年になろうかというところだが、わたしは晴れた日を称えに山へ行っている、そしてわたしはそこへ、この本から学べた僅かなこと、しかしわたしに多大な豊かさをもたらしてくれたものを、楽しみとして持って行っている。

この作品でわたしが好きなのは、そして著者と結びつけて考えているのは、ともに過ごす貧しい山の人々のほうへと常にド・ソシュールを駆り立てる、博愛と思いやりの感情だ。温かく明るい親切心で彼らを受け入れ、偏見を許し、艱難辛苦に同情し、粗末な外見に隠れた素晴らしい資質を評価する。案内人たちと話し、その意見に興味を持ち、友達となる。自分に尽くしてくれる素朴な人々の尊敬、献身、友情に対して、金銭的な報酬で間に合っているとは思わないのだ。真正かつ貴重な品格であり、美しい魂、健全な心、実直で善良な人格の表われだ。これらのことは、今までずっと珍しかったわけではないが、今では珍しくなってしまっているから、わたしを感動させる。ただ裕福なだけの者たちは、裕福を鼻にかけ、かわいそうに雇われた者に対して多くを要求し、厳しく高圧的に接する。しかしこの人物は、金持ちではあるが、もっと学識があり、もっと有名で、自分を愛してくれる者たちの友人となる、山では山の仲間たちの友人となるのが当然だと分かっていた。

最後に、この作品を際立たせており、この地について書かれた全てのページの先頭に必ず置かれているのは、いたるところで感じられる新しいものの魅力、発見の熱気と衝動、まだ手つかずの自然の新鮮で純粋な色だ。この魅力を描けるのはただひとり、ド・ソシュールのように、未知の谷に初めて分け入った者だけである。創世以来そこに眠っていた壮大な宝物を初めて発見した者だけである。人里離れた土地に住み、古風な作法や心に沁みる風習、気づかれたら色褪せ、褒められたら失なわれ、今日ではその美しい谷まで探しに行かねばならないような千もの素朴な性質を持った住民と出会った者だけである。

こうしたページは大著の中に埋もれており、先にも述べたが、一般人の興味を惹かない科学的な記録の中に挟まっている。とはいえ一般人でも探しに行くべき価値がある。四折判から使える箇所を探し出すのだ。しかし四折判は大きく高価であるし、万事そのままであれば金と手間をかけずとも楽しみは同じである。そういうわけで、ここに告知する作品の編者は、ド・ソシュール氏の著作のうち絵画的な部分を一冊にまとめて刊行すると決めたのだ。

わたしの紹介したページは、そこで読める。冒頭のページでは、ド・ソシュールが生まれ故郷に近い谷や山を描いている。そして、より遠く、より高い地域へと進み、アルヴ渓谷を踏破し、シャモニー渓谷に滞在する。その後、モンブランの頂上へと到達する前に、この巨大な山を囲む全ての谷、全ての峠、全ての峰、全ての氷河を探索して、登山の序章とする。最後に、コル・ド・ジェアンでの滞在が本を締めくくる。

コル・ド・ジェアンでの滞在は、純粋に科学的な踏査であり、旅行記は数ページしかない。しかし、この部分以上に、わたしの話したアルプスの風情、光の戯れや嵐の轟音によってのみ息を吹きこまれる氷と花崗岩の自然といった、はっきりと捉えられた性質を示す箇所はない。上で何行か引用したのは、あえて目立たない箇所を選んでいたから、技巧や才能というよりド・ソシュールの素朴で自然な才能の豊かさを分かってもらうために、もっと相応しい箇所を書き写してもよいだろう。

「コル・ド・ジェアンの16日目、最後の夜は、うっとりするような美しさだった。高い峰々は皆、わたしたちを名残惜しくさせようとしているようだった。毎晩のように苦しめられた冷たい風は、その夜には吹かなかった。わたしたちを見下ろす峰々と、それらを隔てる雪は、最も美しい薔薇色と臙脂色で彩られていた。イタリアの地平線全体が紫の帯に縁取られているようで、満月は帯の上に、女王の風格で、最も美しい朱色に染まりながら昇っていた。わたしたちの周りの空気はホメロスがオリンポス山について描いたように完全なる透明で、渓谷は溜まった霧に満ちて深い闇に支配されているようだった。

しかし、その美しい夕方の後に訪れた夜、夕暮れどきのあと月が独り空に輝き、わたしたちの小屋をとりまく雪と岩の広大な囲いの上に銀色の光の流れを注いでいたのを、どうやって描けばよいだろう? 太陽の光に照らされると耐えがたい景色となる雪や氷が、夜の明かりの柔らかい光に照らされると、どれほど驚くべき甘美な光景を見せることか! 綺麗に大きく割れた黒い花崗岩が、きらめく雪の中で、何と素晴らしい対比を成していることか! 何とも瞑想のためのひとときだ! このような瞬間があれば、どれほどの悲しみや苦しみも埋め合わされることか! 魂が昂揚し、心の視野が広がるようで、荘厳な静寂にあって、人間は自然の声を聞き、自然の最も秘密の営みを打ち明けられているように感じられる」

このたび告知する本について批判すべき点はただひとつ、もっと網羅的にできたのではないかということだけだ。少なくとも、ド・ソシュールがスイスで行なった、モンテ・ローザ、マッターホルン、ゴッタルド山脈への旅[3]が含まれていないのは残念である。編者が作品の統一性を保ちたいがために犠牲にしたのだろう。この点で目的を達しているのは確かだ。各部分の配置は、余計な混ぜものを全く入れていないにもかかわらず、完璧に繋げられている。唯一、編者のひとりであるサユース氏〔Pierre-André Sayous〕による序文があって、読者はこの偉大な旅行者の人生と作品について知ることができる。だから、わたしがこの記事で触れた多くの事柄について楽しく読んでもらうのは、この非常によく書かれた序文に任せよう。

(訳:加藤一輝)


[1] ド・ソシュールはスイスについて書いたが、とりわけサヴォワについて書いた。言うまでもなく、われわれの扱っている観点においては、自然によって繋がれているサヴォワのアルプスをスイスのアルプスから切り離さない。

[2] ド・フォンターヌを聴いてみよ。

「氷に包まれたこの蒼い洞窟で、
わたしは何を聞くか! アルヴェロン川が跳ね、崩れ、泡立ち、
ほとばしり、落下し、永遠に脅かすのだ、
この険しい山頂に挑む者たちを。
最も高いところに鷲が巣をかけ、稲妻が光り、風が唸る、
遠くで雷鳴が鈍く答え合う」云々。
〔Louis de Fontanes, Le Verger〕

偉大なる句切りの達人、ドリルを聴いてみよ。

「やあ、華麗なるジュラよ! 恐ろしいモンタンベールよ!
雪、氷塊、巨大な山……
氷霧の神殿、形のない列柱、
まばゆいプリズム、その紺碧の側面、
色をつけようとする太陽に抗い、
輝く山を紫と金に塗る。
一方、氷の王座の上で勝ち誇った
冬は、太陽が冬の宮殿を飾り、
冬の宮廷を彩るのを見て、得意になる」
〔Jacques Delille, L’Homme des champs〕

意図、独創的な言い回し、限りない技巧、たくさんの嘘だ、詩情はない。もっとも、もうひとりの「わたしは何を聞くか?」ほど単純ではない。「ああ、空よ!」とか「わたしは何を見るか?」とか言うだろう。

[3] これらの箇所は、このたび出版された、一巻本、十二折判、3フラン50サンチームの第2版に追加されている。

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